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中学受験が教えてくれたこと。   「できない」ことって、実はそんなにない。 「苦手」は量が足りないだけ。


スタイルのある大人に憧れるけれど 。

 「私は料理が苦手」「数字や機械に弱い人」…… 数々の失敗と経験を重ね浮き彫りとなり、恥をかかないための前置きとして、そんなことを公言しているうち、いつの間にか固定化していった私の″苦手”。 それは私という人間の一部を構成していて、笑顔とセットであれば短所さえもやさしく包み込んでくれる旧 知の友のような。
 「自分は何が得意で何が苦手なのかが明確。苦手なことは無理せず得意な人にまかせる」。そんな“自分のス タイルを持つ大人”に憧れていたし、苦手を避けて通ることができるのは年齢を重ねた大人の特権とさえ思っていたから、真剣に向き合うことも克服しようとしたこともあまりなかった。 すでに人生の折り返し地点を通過。私は“それが苦手な人”のまま、残りの人生を許されながら生きていくの だろう……いや、今思い返せばそんなことすら考えることもせず、無意識にそう思い込み日々を過ごしていた。
 45歳という節目を迎えた昨年の夏、長女の中学受験を通して知ったある言葉に出逢うまでは―――。

壁に貼られた娘の言葉に、心臓を奪われた

 2019年7月。中学受験の天王山とも言われる夏休み直前、娘が通っている塾主催の激励会があった。小6夏休 みの頑張りがいかに大切か、入試本番までどう戦っていくのか……先生が子供たちに気合を入れる、いわば 〝やる気&本気スイッチON!の会″である。
 私に似て単純、いや素直な娘は、その会で小6一発目のやる気スイッチがパチン!と入った模様。興奮気味 に帰宅するなり、自分の心を奮い立たせた先生からの言葉の数々をA4用紙に書き出し勉強机の前に貼って いった。

 「本気100%!」「今日は昨日よりやった。次の日…昨日たくさんやったけど昨日にも負けないくらいやっ た。これを3週間以上続ける」「努力は裏切らない」……。
 さすが受験のプロ。ダイエットにすら成功したことのない母親の小言なんかよりずっと具体的だし刺さり方 がまるで違う。プチ反抗期を迎えた娘がこんなにも熱くなり即行動に移したことに母親として喜びながらも 「このやる気、今度こそ続くといいなぁ……」 そんなことを思いながら壁に貼られた娘の字を眺めていると、私の心臓をぐにゅりと掴んで離さない言葉が あった。スタイルのある大人に憧れる母(45歳)の軸がブレッブレになるほどの言葉が。

 「“苦手”は、量が足りないだけ」―――。
苦手と言っているのは“苦手”なんかじゃない、言い訳、やってる量が足りないだけ。どんなに苦手でも量を こなせばできるようになる。得意にだってなり得る。先生に教えてもらったその言葉の意味を、娘が目をキ ラキラ輝かせながら教えてくれた。
 苦手克服が重い課題となり成績が伸び悩んでいた娘にとって、それは大きな希望、光をくれる言葉だったの だろうと思う。その後、入試本番前日に至るまで、娘と私はこの言葉を何度も何度も繰り返し口にすること となる。まるでそれが、合格を手にするための大切な呪文であるかのように。

 女子最難関といわれる中高一貫校を第一志望としながらも、まだまだ“夢”レベルの成績だった娘にとって基 礎学力での苦手があることは受験で致命傷になり得る。
 「とにかく夏が終わるまでに苦手意識をなくさなく ては!」
娘と私は塾のテキストの目次を開いて、苦手と思い込んでいた“量が足りない″単元のタイトルに、印とやる 日を記入していった。これを片っ端からやっつけていけば秋には第一志望に近づける、そう励まし合いなが ら。
 
 その日から娘はそのリストをこなすたびに「今日はココやった。自信ある。受かる気がしてきた!」と、う れしそうに私に報告するようになった。 秋以降の模試で思うように点数が取れなかったときも、「このとき出題されたこの単元はまだまだ量が足り ないだけなんだ」
そう結果を前向きに捉え、とにかく“やる”を優先する子になっていた。

45歳になった母でも「成長」ってできるんだ

 大人と違って苦手を避けて通れない受験生って大変だなぁ、でもそこにちゃんと向き合っているからこそ成 長してるんだろうなぁ。成績は一進一退とは言え、日々ぐんぐん成長し、日本一の女子中学へ一歩一歩近づ いていく娘。 母親としてうれしい反面、なんだか置いてきぼりにされているような複雑な気持ちになりながら、私は自分 が苦手とする“数字”オンパレードの自社決算が近づいていることを思い出していた。(自営かつお金に余裕 のない会社なので毎年自前で夫が決算書を作成)。
 そのとき夫と喧嘩中だったこともあって「今年はちょっと自分でやってみよっかな。やってみたらできなく もないかも。いや、私にだってやればきっとできるはず!」……。 高校時代、数学に躓いて以来の数字アレルギー。繰越金ときいて栗きんとんを想うほど数字・経理オンチな 私が、受験生に向けたあの言葉と娘が頑張る姿に突き動かされ〝苦手″に向き合おうとしている、その事実に 我ながら驚いていた。
 それから決算を終えるまでの格闘のいろいろは長いので省くけれど、結果的に私は決算を自力でやり切っ た。税務署の窓口で自分が作った初めての決算書をちゃんと受け取ってもらえたときの喜びったら! 小さな達成感とともに、やり切った清々しさと誇らしさで胸がいっぱいになった。
 こんな経験いつぶりだろ? 「昭和時代生まれ45歳でもまだ成長できることがあったよ!」。その晩の食卓で小躍りしながら自慢する母 の姿は、娘の目にどう映っただろうか。

苦手に向き合った先にあるもの

 スタイルのある大人には引き続き憧れるけれど、「できない」ことって、実はそんなにないのかもしれな い。
 「苦手」―――。 その一言で避けて片付けるにはもったいないくらいの奥深くて楽しい世界、未知なる素晴らしい景色がまだまだあるのかもしれない。 そして、苦手がたくさんある私はまだまだ伸びしろがあるのかもしれない。
 受験本番直前、最終コーナーを回り残り直線100mを必死で駆ける娘に伴走しながら、私はそんなことを思 い始めていた。

 「“苦手”は、量が足りないだけ」。 娘と私は受験を終えたこれからもきっと、幾度となく、口にしていくことだろう。


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