ぐらしあすの「障害者と経済循環」(希望)

経済は   「人」   「物」    「金」
で回っている。

今日現在 1ドルは108円前後を推移している。
それゆえ輸入品の価格が下がる。
ひいては店頭に並ぶ、菓子、ジュース、肉(アメリカ産)が目立つ。
安いから人々の購買意欲を刺激し、より安い商品をさらに求めることになる。
例えばA社のチョコレートが1箱100円だったとしよう。
また、同じようなチョコレートをB社が作っているとしよう。
B社はA社の製品より自社の製品を買ってほしいから価格をさらに下げようとする。ここで逆に110円にはまずしない。

しかし、為替レートに影響はあるものの、価格が高くてもシャネル、ヴィトン、ティファニーなどブランド力を持つものは、いつの時代でも売れる。
それだけの金額を出してもそれだけの価値があるからである。

「人・障害者」   「物・アート、芸術」    「金」
で考えてみた。

アート、芸術は「本」「詩」 「物作り」  「音楽」   「絵画」などなど

とすると、感性豊かな障害者の「アート、芸術」(なんとも言えない抽象的表現物、表現音)はぐらしあすには描けない、発想すらできない、感性表現という付加価値が生まれる。

それらの作品を、会計に詳しい障害者、アプリづくりに詳しい障害者、販売網をつくるのが得意な障害者、作品をネットでシェアするのが得意な障害者、などなど、障害者の得意な面を集合させることによって、それらの作品は付加価値がより高くなるというように変化するのではないだろうか。

幸い海外からのテクノロジー、アイデア、海外でしか手に入らないような骨とう品などが手に入りやすい状況であるので、障害者の作品とコーディネイトできればさらに付加価値は加速する。

それらを購入してもらったお金が、また「人・障害者」に循環する。
循環したお金で、作品作りに必要な物件を借りたり、さらに付加価値を高めていくための設備投資も行える。

そして利益は障害者に還元される。
そういった仕組みが出来ればよい。

上記のようなことをふと考えてみた。

そうすると、障害者の得意な面を引き出し、商品が売れることによって身に着く自信、社会の一員であるという認識を得、ひいては社会貢献につながっていく。

「障害者は障害者にしか作れない、イメージできない、発想などの宝庫を持っている」
それがいわゆる「独自性を持つもの」になっていけばよいと考えている。

ディプレッションまっさかり。ぐらしあすの「こころの声」を中心に、自分が体験したことや、時折感じる何のエビデンスもない、主観の記事も徒然に書いていきたいとおもいます。よろしくおねがいします。