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無職の日々に必要な知育玩具の紛失

 実家暮らしの無職の30歳の女になって一年になる。ついこの間まで29歳だったのが、寝ている日々を過ごしているうちに間に30歳になって、もう少し暖かくなったら31歳になる(2022年現在)。20代の頃は、前半は音楽の流れる都内のレストランで制服を着て働き、コロナウィルスのせいでシフトが無くなって以降は、物流や検品の日雇いの派遣のバイトを毎日毎日繋いで、家賃4万8000円の埼玉県内の1kの部屋の家賃を払いつつ、キャベツとオートミールを食べて暮らしていた。正規雇用だったのは福祉関係の専門学校を出た後の半年だけで、その頃は神奈川県にある高層マンションに両親と住んでいたけれども、両親が神奈川にある祖父住んでいた戸建てに住み移ったタイミングで私は独立し、埼玉の単身用アパートに住み始めた。それからはずっと非正規雇用の派遣会社を通した肉体労働だけで自活して、トイレで用を足すと尿道に雑菌が入るほど汚い1kの部屋の家賃を払うためにひたすら必死に全身汗だくにして冬でも暑い暑いと働いていた。農村にあるヘーベルハウスの戸建で寝起きする現在から考えると、絶対に苛烈としか言いようのない住宅環境であった。駅から歩いて5分のところにあったアパートは、私の部屋は道路に面していたせいで目の前の道路の騒音が部屋まで響くのを布団越しに全身で感じて眠っていた。今は近隣は殆ど親戚が住んでいる神奈川にあるヘーベルハウスの戸建の一室をあてがわれているので、(友人にも指摘された通り、実家がもともと農家なお陰で太いのは本当にありがたい)自分の部屋の裏山の崩落の危険のある山道を父が殺虫剤を撒いている足音が聞こえる以外は何の人の気配も無く、たまにアライグマが庭を通って行くぐらいである。もう一年くらい全然働かないでひたすら自宅なのだけども、農家のヘーベルハウスに戻って一ヶ月ほど働かずにいたら、20代に数年間を家賃を払うためだけにひたすら肉体労働をしていた疲れをある時完全に自覚してしまい、そこからあっという間に一年弱働かない日々を過ごしてしまった。飲食の仕事というのは、実は得られる社会経験に偏りがある。反射神経とか運動能力は鍛えられるけれども、代わりに社会人としての営業能力なんかは全く得られない。私はレストランの派遣の職員だったけれども、正規雇用の社員たちは高価格帯のレストランで、高い飲食費を払える客にもてなす仕事をする人たちである。私はレストランの足りない食器をひたすら黙々と仕舞ったり、料理を正規雇用の社員であるウェイターが客に手渡す手前のテーブルまで届ける仕事で、客の応対について気を回す必要が全く無い。決められた動線上を、ひたすら一日決められた準備をこなし進んでいく仕事で、重要なのはいかに短い時間で完了させられるかということだった。祝日、客が超満員で、レストランの面で客の対応で頭が一杯の苛立っている社員たちにぶつからないようにすれ違って働くことで20代の数年を過ごした。数年間ひたすらその仕事をしていたけれども、コロナウィルスのせいで、シフトが入らなくなってからは、物流の荷物の仕分けの仕事をして一人暮らしを維持していた。そういう生活を一年近くしていたけれども、急にちょっとその生活を出来るだけやめようかとなった。ある種の燃え尽き症候群かも知れない。私は手持ちの現金が無くなり、カードが使えなくなるまで埼玉で始めて借りた一人暮らしの自分の部屋で過ごしていたけれども、道路から吹き上がった排気ガスですぐに部屋の床が真っ黒になるような安アパートで、隣室の住人の叫び声が薄い壁越しに聞こえるようになった。それをきっかけに部屋を引き払い、10年以上戻っていなかったもともと祖父が住んでいた神奈川の両親の実家に転居した。この経緯を話した相手に「日中何してるの?」とよく聞かれるけれども、長年の派遣雇用の肉体労働によるストレスを、今になって私自身が感じ始めた感じめたせいか、睡眠障害が発症し(既日リズム睡眠障害)早朝に恐ろしいほどはっきり目が覚めた後に二度寝する。10時過ぎくらいに本格的に目が覚めた後、ユニクロの室内着に着替えてからオートミールをチーズと一緒にあっためて調理したり、チキンラーメンに卵を乗せてお湯を注いで食べたりするのだけども、今日ラーメンを箸で掴んで持ち上げたらうっかり指に力を入れ過ぎて、麺をバチャン、とスープの中に落とす音が、自分しかいないリビングに響いたり、20代の頃、飲食店で活発に走り回って働いていたかつての自分の感覚を今の自分の体が完全に忘れているのを、上下スウェット姿で独りぼっちでまざまざと実感した。肉体労働で毎日朝から晩までシフトが入り、全身が覚めている感覚があった頃の自分だったなら一人でにこういう気分にならないと気がつき、集団内で働く自分にやはりある種のエネルギーを感じずにはいられない。あと数十日で31歳になる私からしても、光り輝く特別さを感じるのが20代だ。永続的に前向きで光って行く方に自分が進んで、成長していく余白とか可能性がある雰囲気は、まだ将来何が起こるか分からない、という、もうとにかく夢を感じる。どういう惨めでイケてない人間でも、20代の人間の感情に自分が関われる可能性があるという気配を感じなんてしたら、意義のない自分の存在なんか一瞬で忘れてしまうのは当然。年配者からしたらそのとにかく恋愛とか結婚とか、もうあらゆる夢のあるところに惹きつけられて20代の人間の人生にちょっかいを出したくなるのも頷ける。とはいえ、私から言わせれば、今の私が全部自分の喋り言葉全部だけで通用する思春期からに友人たちとだけの人間関係の中にいるのはまさに生まれて30年以上経ったからだと思うと、ただ生きてきたと思える自分がある種の偉業を達成したとも思えるのだ。
 朝食後、ちょっと大変なことに気がついた。愛用している子供用の、虹のような色合いの丸い突起を裏返して永久にプチプチ押して潰せる知育おもちゃがまるで空気中で消えてしまったかのように無くなってしまったことである。去年の6月頃、実家に戻って直後に急に発生した持病のアトピー性皮膚炎のせいで、何をやるにもやるせないほど体が疲れ果ててしまい、何もしないでひたすら自宅で休んでいたのだけども、最初のうちこそスマホをいじっていたけれども、それにも疲れてていたずら出来るものがほしくてAmazonで注文した。一度これを手にしてしまうと、旅先でも無いちソワソワしてしまうようになった。今朝方片手で振り上げてくるくる回して遊んでいたのだが、その宙で回している最中にそのままふっと消えてしまったとしか思えない。ただでさえ時間があるせいで伽藍堂とまでは言わないまでも極端にモノが減らされた私室内を、這いつくばってベッドの下を延々と点検したり、戸建の実家内でその日自分が歩いた場所を辿って歩いて探して見たりする。何かに必要なものでは全然無く、本当に赤ん坊のおしゃぶりみたいなものがいきなり無くなったせいでソワソワする感覚が止まらないのが一人でに恥ずかしい。普段からスリッパで部屋に絨毯の敷いていない部分の同じところで何度も滑ったり、立てておいたものを奥まで押し込まないでしまったせいで手前に倒れてきて慌てたり、こういうのも不特定多数の公衆の面前で慌てている私が恥ずかしめられているシチュエーションを一人でにナーバスな気分で妄想した後、モノを正しい位置に自分で戻す。当たり前だけども、どのタイミングでも同居している両親さえ居合わせていない私一人だけの空間で起こっていることだけども、そういう風に一人でに様々な感情的な言葉を頭の中で沸かせつつ、時間が経つごとに31歳になっていくのだとふと感じる。こういうことが働いている最中に起こるのと、30歳無職独身実家暮らしの今の自分が感じるのとで、全く別物であることに驚かされる。働いている最中に皿を落として割ってしまったら、すぐに周囲を行き交う配膳人たちに気付かれ抜いているのにこっちも気がついて、とにかくサッサと割物を片付ける。しかし、無職の自意識のある30歳の人間が農村の戸建で一人で生活している最中に転んでも、周囲に誰も人がおらず、ひたすら時間がある状況で目の前の自分の迂闊な姿をじっと確認させられることになる。こういう瞬間が永久に続かないように、私も世の中の大多数の人々と同じように、ちょっとでも時間があるとスマホを手にとって色々永久に検索したりする。養命酒の最低価格を調べたり、AmazonのKindle Unlimitedの読み放題で二階堂正宏の『極楽町一丁目』を惹きつけられるように読んだりして、日中の時間をつぶす。そうしていても私が気になって仕方がないのは、30代無職生活を一年近く続けた結果、獲得されたこの内面の感情的に浮かぶ言葉である。単純に今、時間的に余裕があるせいもあるのだろうけども、20代の頃と違って、目の前のコトについて、脳内で言葉で表現しているような気がする。静かな環境と、いつでも好きな時間に起きて許される生活環境の中に長期間ひたすらいると、自分の行動を意識する自分に気付かされる。この内面の感情的な言葉が沸く時が多すぎないように、とりあえず日中、プチプチする子供用のおもちゃが必要なのである。

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31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。