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noteに日々自分の行動を記録して、かつての周囲の人の内面を知った

 noteを書き始めてからしばらく経つけれども、始めたきっかけは、ひたすらに働かない日が連続した結果、その時間全てを記録し始めたということになる。とはいえ、こうまで毎日マクドナルドに通ってそこそこ長くなる文章を書いている以上は、私の性格的にそれが大変居心地良いということである。子供の頃、本当によく親に、ちょっとしたことを考え過ぎな性格だと言われ、中学生の時は、男性の教諭に暗い性格と言われた。そもそもあまり女の子としての魅力のある子供ではなかったと言える。ただし、幼少期の私は超然としたところがあった。父が銀行員なため、小学校から学費の高い私立の小学校に通っていたのだけども、そこでの記憶はひたすら自然の中にいる自分である。私立の学校というのは授業のカリキュラムが作られていて、私の通っていた学校では、子供たちが屋外で隊列を組んで移動させられて運動させられたり、待機させられる時間が非常に多かった。私立の学校の敷地内の自然というのは、常に環境が整理されていて、私は高い費用をかけて植えられた木々や、裏山を歩けるように舗装された木の枠組みの通路の中を、乾燥した葉の香りを嗅ぎながらただ歩いた時の感情を思い出せる。幼い私は全身の感覚で季節の変化を感じていた。まだ社会的立ち位置を与えられていない、幼いが故に、完全に庇護された環境の中を歩くという特権を私は得ていた。それは全ての子供に与えられるべき当然の権利であると私は思う。しかし私も大人になり、その空気の香りの記憶も薄れ、東京で働くようになり始めた。働き始めてしまうと、常に守られた環境に生きていた私も、集団の中の自分の反応を知ることになってしまう。とはいえ良かったのは、一人っ子で人と関わり過ぎないように育った分、厚かましさは人よりかなり無い方で、他人の存在に神経質なので、あまり能動的に人に対してコミュニケーションを取れないだけに、人間関係で擦れることも難しいほどだった。そういう人間である私が他人に生意気な態度を取ることは難しいので、まず集団に入って、とにかくひたすら周囲の状況や様子を伺うのが働く私の基本姿勢だった。その場所で一番有能でなくとも、その環境の最低限の基準を認識する感覚は一応あるというか、無いことは集団の中に居る限り礼儀として有り得ないと超自我で思う性格であることを、私自身よりも先に集団の方に気付かれ、そうなると、怒涛の飲食の現場で、私は訳の分からないほど働かされた。内向的な性格故に、自分が一番下のマットレスになるというか、常に現場仕事で周囲の人の感情を受けてしまう性格である以上、その感覚で気がつく以上はそれを実行する。私のように、一度認識した物事が、自分の頭の中に残り続ける性格の持ち主の女というのは、勤務時間中に気がついた、残飯が山盛りのゴミ捨て場にある汚れたバケツを、明日の朝拭こうと前日の夕方に考える日々を送っていると、男の子とデートするやり取りのLINEの一通もしないまま東京で3年以上働き抜いて終わってしまい、20代後半になっていた。そういう性格なので、高級レストランで直接客に接することの無い、レストランの裏方やウェイターの下働きの仕事をするのに完璧な人格の人間として社会に位置を占めることに成功していた。騙されて棒で叩かれながら蟹工船に乗せられて働くことになった訳では無いのにそうまで働き抜いてしまったのは、私自身が処理されていないものを、無視出来ない性格だからという事実に尽きる。こういうことも、働くことによって私は自分の性格を知ったと思っていたけども、退職して1年弱実家で過ごす日々にある日、私は自分の性格というか、周囲を見る時の態度が子供の頃から既にあったと気づいた。一度認識したモノや出来事について、それを自分の仕事として頭のどこかでずっと意識し続ける感覚がどこかにあり、そしてその私の意識に留められている出来事は、全て私からしたらどう対応すればいいか、分かっていることである。私が周囲を見ていると必ず何か不揃いで矛盾している物事があり、それを綺麗にすると達成感を得られる。私の行動はこの繰り返しである。私が後年、レストランの下働きとして大成した素地は既に子供の頃からあり、子供の時点で私はこの物事を受け流せず、自分の仕事として認識する性格を周囲の大人や子供に気付かれて、よく親からも同級生からも苛々させられていた。周囲の小さいことに気付き続け意識する性格は、子供時代はレストランの下働きとは異なる存在意義を集団に提供していた。普段仕事相手の顔色を伺う仕事でストレスの溜まっている親にとっても、親が親として振る舞うことが無い家庭にいる、周囲の大人たちや同級生相手に必死に愛嬌良く振る舞う子供にとっても、一見大人しくて愚鈍に見えながら、一度何かわざと面倒なことを一方的に延々と話しかけて、そのことに生真面目に責任感を抱いてそわそわ気にしてくれる性格の私のような子供というのは、唯一自分の言葉を意識してくれる存在に他ならない。私が、幼い頃から自分がのんびりしていると思えるのは、周囲の大人も同級生も、関わってくるにしても、私にわざわざ複雑で分かりにい言い方をしたり、一方的に私に接してくるあたり、相手が完全に私のことを全身で全幅の信頼を寄せて接している訳ではないということを、私が全然気にしていないことである。こういうことも、働くなり、31歳になり、毎日毎日無職で街をぶらぶらしたり、ひたすら家で寝て過ごす日常生活を送っていたら、周辺の環境の変化を上から受けるように感じていることに気がつき、その受ける日常を毎日文章化していたら、かつて関わりのあった周囲の人の内面に気が付いた。自分が日常を受ける感覚で周囲の人々の私に対する行動を思い出してじっとしてみたら、何とも言えない彼らの私に対する表情の無さと、私の彼らに対する無関心ぶりに、31になって驚かされる。私はこれからも、毎日自分の日常と人生について、書いて確認することをずっと続けるだろう。書いて再確認することによって、人生を無職になってから積み重ねている。

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31歳、実家暮らしアルバイト生活の、一人っ子のノンセクシャル女性😼😽 日記、エッセイ、時折評論です。 ひたすらこつこつ書き続けていくのでよろしくお願いします。