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向上心のゆえにぐるぐると考える--服を捨てたこと(いつまで?!)と頭や心の不調のこと

服を売るつもりがほとんど値段がつかずに、流れに抗うことなく引き取ってもらった、その捨ててきた服のことを、日に何度か思い出して、ずうんと沈んでいます。振り返ると一週間経っていて、わたしは暇か、と吐き捨てそうになります。けれど考えてみたら、平日五日朝から夜まで出勤して仕事していたとしても、昼休みとか、仕事が途切れた空隙とか、帰宅後の家の中とかで、ほかの物事による圧迫がなくなった頭の中に簡単に浮き上がるなと思いました。時間が経つのを待つのが最善なんでしょうか。そもそも捨てていなくてフリマアプリで買い手がついたとしても数百円の利益で、もう過ぎたことは考えずこれからフリーランスとして引き受ける仕事を増やすための何らかの方策に着手した方が、未来に開ける感じもするし、建設的な感じがします。でもただじんじんと忘れていくのも性に合わないので、どうしてこうなったのか考えました。こんなに尾を引いているのは、もう発送できないことが淋しいのか、持ち物が日本中に旅立つのが嬉しかったのにもうそれが起こらないからか、少しのお金も無駄にしたくないと思ったからか、買いたかった方に申し訳なかったからか、買っては捨ててという資本主義のサイクルに絡め取られているのが癪なのか、単にまだ捨てる覚悟を決めていなかったからか、といろいろ考えてきました。自分にとってのお金の価値をはっきりさせていないからかもしれないと思ったり、実際に服の山を部屋から出さなければ次に進むことができなかった、頭の中で処理する能力の乏しさが根本的な原因かと思ったりしました。頭の中でシミュレーションするというか、段取りを考えることができれば、もっと効率的にできたと、思います。売りに行くのも一度で済むし、まとめて売ればポイントがつくし。

はなしは変わりますが、この間から、初めてレギュラーの案件を頂きまして、補足すると定期的な案件を 3回分ほどまとめて発注いただいたことはあったのですが、終わりの決まっていない定期的な案件は初めてで、わたしはそのご連絡を頂いてから、なんか、それからハイになったなーと思っています。神経が緊張して、それが解けなくて、うまく休めないまま、慣れないので分量を少なくして頂いたその案件をやりました。全然冴えてなくて時間も掛かるし見落とすし、やばいなと思いました。それから、回復せぬまま久し振りの友達に会ったり、何度目かの大掛かりな片付けを始めたりして、今は仕事と図書館の返却期限がない限り家で漫画を読んだり活字がびっしり組まれた本を読んだりしています。浴衣がはだけても頓着しません。この片付けがいつ始まったのか、明確な始まりはないとしてもどういう過程でこんなに、部屋が引越し前のようになるまでの深さに到達したのか、分からないことがなんとなく不思議です。日記を遡れば……と思いましたがこのところ書いていなくて、それも、自分が不調だと判断する根拠になっています。なんか早く出た方がいいと感じるんです。部屋は物が減って、居心地がよくなっていて自然なのに、居られる時間は短くなりました。あそこではどんな思考も作業もできないと私は考えます。集中できない……と表現できますが、以前と違って何かに気を取られる感じはあまりしません。なんかもう、空間と反りが合わないといえるような……それには、もうここにいようとしなくていいという判断を下させるほどの強度があります。収入は一般的に一人暮らしを考えるボリュームには達していません。誰も、もうそこにいなくていいという許しのようなことは言いません。でも、私は、今が家を出る大きな波だと思います。家を出る機運や好機が、地震計か、滑らかな折れ線グラフのような波形で表されるとしたら、今は大きな山の山頂近くにいると思います。確信と呼べるほどの精度はありませんが、思い込んでもいいかなと思えるくらいの手応えがあります。だから、目掛けているシェアハウスに、空き部屋があって、住人のみなさんが受け入れてくれたらなと、思っています。そんなにうまくいきますか?

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