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フリースクール活動日記 2024/03/15-奥多摩

 起床時間がいつもよりも遅かったのは覚えている。昨日まさしく大怪獣の如きイマンモの鼾を般若心経で撃退したまではよかったのだが、その準備に時間をかけすぎたために睡眠時間が足りていなかったのだろう。もう一度寝ようと目をつぶってみたり、それができないとわかってからもしばらく名残惜しげに寝袋であたりを這いずりまわったりもしたが、そのうちに気温もだんだんに上がってきたためついに寝袋を脱ぎ捨てて、朝食の場を整えることに専念する。
 朝食にはパン、サツマイモ、卵などが予定されていたものの寝ぼけ眼であたりを徘徊していた僕たちがすっかり忘れていたことが多々あった。唯一イマンモの鼾から早期に逃走することで身の安全を図った龍角散も、早朝のうちに薪割をするという自分の命題にいそしむことですっかり卵の存在を忘れ去っていた。
 それでも裏山の焚き火跡地から金網を確保して薪ストーブの上に置くことでパンを焼けるようにするということは忘れないでいてくれたようで、朝食時には食パンを焼くことができるようになった。
 もちろん、食パンだけではかなり味けないため、そこでは「ベーコンさん」や「ソーセージくん」そして「ハニー様」などが登場、活躍する場所と化した。パンに味をつけるためにバターを塗りたくったパンを焼き、最後に蜂蜜をかけて食べたりもした。そんなこんなで朝食が終わってからも、皆は好き勝手に動く。いつもの合宿とは違って学習はしないでもよいのだから。薪割をしたり焚き火を囲んだりして各人の好きなように時間を過ごす。

食事の準備風景

 が、忘れてはならないことがある。メンバーの半数ほどは程度の差こそあれど花粉症を発症しており、外に出ることのできる面子だけではないということを。
 かくいう僕もその1人で、そのために閉じこもって数Ⅰや数Aをやろうとしていたのだが、ここ奥多摩には杉が密生しているため花粉の濃度も都会の数十倍といっても過言ではないだろう。
 閉め切っても締め切ってもどこからか侵入してくる花粉に呻吟する中、いつの間にかカレーの準備も佳境に入り、あとはルーを溶くだけとなる。しかしながらここでまたしても事件が発生した。僕は学習、トラは昼寝。そして残りのメンツは焚き火に薪割と厨房に立っていたのはマコ姐と龍角散だけ。そうして事件が発生する。

 そのとき、何やら言い争うような声がしてしばらく。マコ姐が顔を出して幾人かを呼んだ。カレーの味の確認をしてほしいのだという。まさか、ルーを入れすぎたということだろうか。辛いのは嫌いだと公言しているくせになぜかジャワカレーの中辛を皆は選んでいた。その選択がここにきて牙をむくとは…こんな時のことを考えて僕は自分の家からとろりとした通称「ハニー様」を持ち込んでいるのだが、さすがに全員分はない。せいぜいカレーに6皿分といったところだろう。だから、脇でハニー様ハニー様とこちらに顔を向け目を爛々と光らせながら呟くキートンには悪いけれど、あげることはできない。もっとも、「はちみつください」などと言ってくれば渡すこともやぶさかではないが。考えても見てほしい。あなたは「ねえね、はちみつ持ってる?」などと言ってくるもの相手に気軽にほいと渡せるのだろうか(案外できるのかもしれないが、少なくとも僕はくれと言われるまでは渡すことはない)。
 そんな最悪のことを想像していたのに、味はいたって普通だった。普通だったというのは言い方が悪いかもしれないが、ジャワカレーの2に対して1の割合で入れたバーモントカレー甘口がいい具合に働いたのかもしれない。玉ねぎを選んだのは僕だが、あまり甘いのが好みではなかったために小ぶりのものしか使えなかったはずだ。
 甘くもなくそこまで辛くもないというまさに僕の好みに合った辛さであり蜂蜜を入れるまでもなかった。もっとも小学生ごろの年少グループには若干辛かったようで、蜂蜜を必要としていたが。
 まあ、その分だけ量がとても多くなりとても完食しきることのできるものではなくなってしまった。けれどもここには大喰らいの龍角散がいる。彼と共同して何杯も何杯も食べる。朝食で使わなかった卵を割り落して食べるのもなかなか良い。中には自分で焼いたソーセージを添えたり卵を焼いたり炒めたりして食する面子もいた。もっとも、そこまで手の込んだことをせずとも十分に美味しく食べることはできる。

ちなみに、これはイマンモのもの。
フォークを使っているのはスプーンの数が足りなかったためだ。
なお、右上にある「キリンビール」印のコップだが、中身はビールではなく麦茶である。

 そんなこんなをやっているうちについに米が切れた。しかし、カレーは全く減ったように見えない。
 これらの大量のカレーをどうしたものかと頭を悩ませていると、不意に龍角散がつぶやいた。そしてその提案は僕の要望とも合致していたためにそれに賛同、重い腹に悩まされながらも準備を整える。目標は、裏山にある鉄塔まで登ることだ。
 実は、それをするのは今回が初めて。そのため何度も往復したことがあるという龍角散やトラを信じたのだが、彼らはしょっぱなからやらかしてくれた。てっきり僕は緩やかな斜面が続いているものだと思ったのだが、彼らが向かったのは体感で傾斜60度はありそうな急斜面。そこら中に切り倒された丸太が転がっているために登ることは比較的たやすいが、たまに支えがしっかりとしていないものもあるのでもしそんなところに体重を預けるなどしてしまえば一瞬で谷底に真っ逆さまだ。また、その開けた空間には一面に鹿の糞が散乱しており足を踏み入れることをためらわせる。加えて落ち葉が降り積もっているために非常に足を滑らせやすい状況だ。何度も滑落しかかりながら手近の木を引っ掴んで体を支え、徐々に徐々にと上へと登っていく。
 なんとかして尾根道にたどり着いた時、なぜか一人先行していたキートンが血相を変えて戻ってきた。曰く、鉄塔の奥に何かがいると。何をそんな当たり前のことを言っているのだ。事実、そこらには鹿の糞もある。裏山にはよく猿が出るとも聞くし、おおかたそれらのうちの何匹かが山の奥から降りてきたのだろう。そこから僕たちのいる尾根まではほぼ一直線ではあるが人の手が加わっている。寄ってくることはないだろう。
 しかし、キートンはなおも言う。あれは熊だと。まさか、と僕たちはそれを一笑に付した。たしかに山の奥のほうにならば居るかもしれないが、ここは国道にも近いし人もよく出入りする場所。来るはずがない。実際、熊のいた跡だと彼が指し示したのは高さから考えて鹿が木の皮をはいで食べた痕。そうだ、こんなところに熊はいない。来るはずがない。

なぜか上裸のとあるメンバー。もはや名前は言わなくてもお分かりであろう。
こんなことをするのは彼しかいない。ちなみに彼は一部界隈で裸族と呼ばれている。

 そのうち後から来たマコ姐たちのグループとも合流に成功。そのままあとは一本道で鉄塔まで突き進む。

鉄塔付近から見下ろしたあたりの風景。これは川井駅周辺を見ているから
見えている橋はおそらく奥多摩大橋だろう。

 これにてもう一つの野望、鉄塔付近にて読書をする、は達成された(もう一つの野望こそ、「鍾乳洞内でバナナを食べる」ことであった)。これでもう帰るだけなのだが、そんなとき斜面右下の方から聞こえた音を僕の耳が拾った。コツン、コツンという音が不定期に聞こえてくる。ふと後ろを振り返れば、そこはもはや人の手が及んでいない森。行きはよいよい帰りは怖い。
 不意に恐怖を覚える。これまで若干道を外れてみもしたが山のふもとの方には大量にあった鹿の糞がその周辺には全く落ちていなかった。
 早く帰ろう。そう思い立って気が付いた。来るときは急斜面を上ってきた。では、帰りは?まさかあそこを降りろというのか?そう思うと顔から血の気が引き始めた。確実に誰かが滑落する。
 そう考えたのだが実際のところは違った。もっと楽な道があるという。そちらへと回ってみると、確かにこれは道だ。僕たちが行きに通ってきたのとは大違いの歩きやすいなだらかな尾根や斜面が続いている。もしや、こちらが正規の道か?なら、なぜ来るときは尾根の横腹に取り付いて登らなければならなかったのだ。なぜ正面突破でなければならないのだ。

 そうして山を下りたころにはみな疲労困憊。カレーを口にする気力も湧かず。そうしてその疲労がとある大事件へと繋がることになるのだが、今回はこの辺りでひとまず終わり。だが一つ言えるのは、スーツケースを担いで上り下りの激しい道を数百メートル疾走するのはやめておいたほうが良いということだ。

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