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その意見は「議論」と「個人」どちらへの「口撃」ですか?

コロナが日常の一部になってもう2年。
なんとも言えない生きにくさ、息の詰まる感じ、鬱憤を抱えているのは私だけじゃないはず。
そんな中で今日も生き抜いている私も、この記事を読んでくれている貴方も偉い。本当に偉いよ!!どうか自分を褒めて、全力で抱き締めてあげてください。人間って、結局最後まで付き合って生きていくのって自分だけだから。自分でしか真の意味で、自分を認められないし褒められないから。

意見って話し合うためにあるもの

コロナになってしんどいなぁって思ったいくつもあることのうちの1つが、いろんな意見や価値観のぶつかりあった結果、お互いを排除しようとする地獄絵図が堪えた。排除ってのが、要は意見の戦いじゃなくて、その人のあり方や生き方までも否定する状況。これがとにかく本当にしんどい。

良くも悪くも人間って社会性の生き物だから、コミュニケーションを取るのが当たり前。しかも世界中でコロナという共通の課題を持ってしまっている。もう、連日いろんなニュース、SNS、ウェブ検索の結果でコロナの話が溢れている。それに紐づく意見や価値観が無数に広がって、わちゃわちゃ戦ってる。
もちろん科学的根拠や医学的根拠とか、絶対的に正しい意見はあるよね。フェイクニュースとか人命が掛かってるから、そういうのアップする人は万死に値すると思う。でも、個人が主張するどんな意見もその人の正解だし、それは絶対に否定してはいけない。でも、意見を通り越して、その人のアイデンティティとかあり方を排除するのはきついよ...

性別っていう外見(箱)で個人を決めつけるな

もう1つ、この1年間、わたしのアンテナに引っかかってたのが、日本のジェンダーの問題。
ありがたいことに私は外資系の会社で男女平等の完全実力主義社会で働かせてもらってる。なので、お酒でお酌を強要をされたことないし、仕事を奪われたことも、金銭的な不平等も、一歩引いてろとも言われたこともない。

けれど、この1年でも結構ジェンダー問題で話題になったニュース多いよね。「やかましい女」とかTwitterのトレンドに入ったことあるよね。
これ個人的にもイラっと思ってたから記憶に強く残ってて。自分の意見を言うのに、女だからっていう性別で括られるの本当に腹立たしい。こういうことを言うとフェミだー!って騒ぐ人もいるけれど、ちょっと待って。単純に、人として、性別を枕詞にされて区別されるのってイヤじゃない?わたしは自分を勝手に定義付けられることが嫌いだからとても不快。それなら「やかましい男」って言い方もしようよ。仲良くお手てつなぎましょう?(ごめんなさい皮肉です)
でもね、1つ言わせてほしい。性別を枕詞にされて区別されるのが気にならない人って絶対に下駄をはかされてるから気づけないのよ。弱者にならないと人間って気づけないこと多いから。もし、なんで?って思った人はどうか一度考えてみてほしい。

話戻るけど、最近は、もはや男女っていうレベル感での話より、LGBTQで性の多様性が広がったことによって、個人の話の問題に議論が移り変わっているようにも思える。だからこそ、男女間で争ってしまっているあたり、本当に日本は遅れているし、ヤバイ。って思うのがが本音。

議論することは多様性に生きること

私がコロナの話でも、ジェンダーギャップの問題でも1番に思ったことは、どちらか片方の立場が良い・悪いと白黒はっきりつける議論はとても生産的でなく、ただお互いを傷つけあってるだけにすぎないこと。原因が解ったのなら解決するための話し合いをした方が建設的にもかかわらず、お互いへの誹謗中傷しかしていないように見えるから。

もちろん一人一人に主張があるのはよく分かる、不満があるのもよく分かる、メリットもあるよね。ならそれらを全てテーブルに出し合って、どういう課題があるのか全体で認識し、行動に起こして、さらにみんなが満足する結果につなげれば良いではないか?と思う。白黒付けようとお互いを非難しあうことはとても視野が狭い行為だし、さらに悪循環をもたらすだけである。

いま圧倒的に足りないのは、話し合いの場であり、お互いの主張への攻撃ではない。ってか、みんな心に余裕がないよね。私も今グチグチ言っているけど、余裕あることの方が少ないかもしれない。もしかしたら話し合いの場はあるけど、攻撃だけして解決したいって意思が無いのかなとか皮肉屋だから思う時もあるよ。

あとね、現状、日本では述べた意見に対して否定をされると、人格の否定をされたと感じる人が少なくないのも事実。そういう人にこそ知って欲しい… 議論の批判は、あなた個人への批判ではないのだ。お互いがよりよく幸せに暮らせるために、「あなたはどんな人間なの?どんな価値観を持っているの?何が大事なの?どこに不満があるの?」って語り合うことは、相互理解に必要なプロセスだと思うよ。ただでさえ生きにくいんだもの、助け合って笑い合えるようになろう。

イギリスでは、このような名言があるんよ。
(デービッド・アトキンソン『新・観光立国論』より)

棒や石で骨折することはあっても、言葉では傷つかない(その力がない)
Sticks and stones may break bones, but words never harm me.

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