昔、ツアーコンダクターをしていた頃、旅行閑散期に個別指導塾でアルバイトしていた。 今はどうか知らないが、その頃の個別指導塾は生徒の学力の二極化が顕著だった。できる子は非常にできたし、できない子は本当にお世辞も見つからないくらい、とことん出来なかった。 また、できる子の場合も塾で習っているその科目に限って超できる、みたいなケースが多かった。 どれかの科目に限って、非常にできて伸ばしたい、もしくは非常にできなくて心配、だから個別で先生をつけましょうということだったのだ
記憶にはいくつかの種類がある。 分類の仕方もいくつかあって、短期記憶、長期記憶。言語化できる記憶、できない記憶など、最近はテレビ番組等でも目にする機会は多い。 人によってそれぞれの記憶に得意不得意があるが、それなりにバランスをとって、人は自己の連続性を維持している。 だが、不得意分野が日常生活に差し障るほどになると、多くの人は病院で何らかの診断名をつけてもらう。発達障害はその最たる例だ。 ADHD当事者の作動記憶(次の作業の為に一時的に覚えておく記憶)は往々
私が本当の意味で短歌に出会ったのは、小学六年生のときだった。 それまでにも形式的に三十一文字の詩があることは知っていた。でも、へーリズムがいいもんね、くらいで特に何とも思っていなかった。 だが六年生のある授業をきっかけに、急に水中眼鏡をかけたように、短歌に開眼した。それは、教科書に乗っているいくつかの現代短歌から、ひとつ選んで解釈の短文を書くという、よくあるものだ。 短文の種類は、感想文でもエッセイ風でも小説風でも何でも良く、クラスメートたちはシンプルな感想文
現在5歳になる娘のオタマが如何にして多動認定され、波乱万丈ライフを送っているか、これまでの経緯を交えて紹介してゆく。(トップ画は最近彼女からもらった手紙。小さくたたむので、折り目がとれない!) まだ新型コロナなど存在しなかった2016年、福岡県のある産婦人科でオタマは生まれた。緊急帝王切開ではあったが、アプガースコアに問題はなく、母乳もよく飲んですくすく育った。 1ヶ月、3ヶ月と特に健診で指摘されることは何もなく、深夜の授乳すら1ヶ月すぎにはなくなった。よく飲み、よ
昨年末、私は保育士試験を受けた。 と言うのは私、いつかオタマが今ほど手を必要としなくなったら、放課後デイや発達ちゃん向けの塾などでピアスタッフ的なことをしてみたいから。 せっかく当事者であることを明かして生きていくなのなら、当事者にしか出来なさそうなこと、どんどん探したい。 その為には、まず、現在の児童福祉関連事情を知ろうと思った。私が教育学部で学んだ頃は発達障害の概念すら怪しかったのだ。当事者目線とか何とか言う前に、子どもに関わる方々が学んでいる一般常識をアップ
ADHDの傾向がある人、またはその傾向があるお子さんを子育て中の方。 突然だけど…部屋、散らからない? 来るなら連絡してよ、散らかってるんだから〜(*´艸`*) のレベルじゃなく、ガチで足の踏み場もなくなって、掃除機がけが無理。重い腰をあげて一念発起しても、その日の夜にはリバウンド。 足の裏には何か小さい痛いものを踏むし、クレヨンやらパズルやら使いたいときには何かしら一部が足りなくて、いつも探しものからスタート。子は癇癪。 ああ疲れる。 先に言っとくと、色々
発達障害者による、発達障害児の子育ては文字通り波乱万丈だ。 例えば我が家の場合なら、半端なく落ち着きのない子供を、並外れて注意散漫な母親が見張らなくてはならない。お互いに苦手な部分を指摘しあって(じっとして!VSお母さんが着いてきて!)親子げんかは毎日だし、怪我や迷子のヒヤリ・ハットもしょっちゅうだ。 だが、発達障害の要因のひとつに遺伝の可能性がある以上、このような親子は存外多いのではないか。 もしかしたら、自身の障害を知らず親になって、障害特性の強い子の子育てに苦
5000年先の今日もグーグルは教えてくれる 明日はビンの日 破損したファイルの中の破損した言葉に本音とりのこされて 生えてきた羽を自分で抜く鳥の動画に割り込む美容広告
私が医療機関で正式に障害認定されたのは大人になってからだった。でも、それはこれまでにもあった困った癖のあれやこれに医学的な名前がついたのがたまたまその日だっただけ。私のなかでは自身の性質は物心がついてから一貫している。 私はサザエさんもびっくりのおっちょこちょいで、いつも忘れ物や書き損じにまみれ、ミスをカバーするのに更にミスをしてひとり忙しがっている。だが、それはADHDと診断されたから、そうなったのではない。にもかかわらず、私が発達障害と診断されてからの周囲の反応を見
帰宅して電子レンジの戸を開くと朝のミルクがうさぎにかわる