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新卒3ヶ月目でオーバードーズ(OD)した話をします


私が23歳、新卒で就職して間もないころの話である。


※この記事はODを助長するためでなく、抑止するためにかいています。
 そのため、服用した薬の名前や服用量などの細かい内容は控えさせていただきます。


就職して、たったの3ヶ月で処方された薬を多量摂取し、救急搬送された。

大学で人間関係や関係に慣れないことからうつ病を発症していた私は、
就職活動も上手くいかず、手当たり次第に企業にメールを送っていた。

治療に専念することも考えたが、実家が貧乏なため、このまま働かずに世話になることを申し訳ないと思い、一般就職することを選んだ。
幸い一つの企業から、メールが返ってきて、就職が決まった。
面接時には包み隠さず、自分がうつ病であること、普通に働けるか分からないことを伝えた。福祉関係の仕事だったこともあり、とても理解のある経営者の方であった。私は受け入れてもらえることを喜んだ。

職場でのことは、個人特定に繋がる可能性があるので、深くは書かない。
需要があれば、後々、特定されない範囲で書くかもしれない。

結果的にその職場は人手不足で困っていたらしく、誰でもいいから雇いたい状況であったと言えた。
毎日の残業、いつもイライラしている中年の上司、こなせばこなすほど、増やされる仕事。達成感もなく、ただただ辛い毎日だったが、社会人などこんなものであろうと日々こなしていた。

しかし、こんな環境では自分の体調は悪化するばかりであった。
1ヶ月を経過したころには、上司からパワハラのようなことを受けるようになった。
「休みたいほどしんどくても、足をひきずってでも出社しなさい」
うつが酷くて体調が悪くても休むことは認められなかった。
たった1日休もうとしただけでも、上司が家まで来て、午後から出社するように促され、そのまま職場に連行された。

「やめよう」そう思った時には上司に泣きながら土下座をしながら懇願した。
しかし、「あなたのような人、他のところじゃ雇ってもらえないよ」などと
言われ私は丸め込まれてしまった。
ミスやうまくできないことがあれば、一時間以上の説教をされ、いつも泣きながら土下座をしていた。その日は仕事が片付かないので、一人で残業をする。
新卒、社会人。みんな頑張ってる、自分だけじゃないと言い聞かせていたが、
心はもうボロボロであり、もともとのうつ症状もあってか、希死念慮が酷くなっていった。

やめたい、逃げたいのにやめられない。
次第に上司のことが怖くなり、いつも顔色を伺い、震え、うまく仕事ができなくなくなっていった。

ああ、死ぬしかこの職場から逃げられる方法はないんだ、いつからかそんな考えがずっとぐるぐると頭の中をめぐり続けるようになった。

そんな日々が続く中、帰宅途中のバスの中で
酔っぱらいが倒れ、救急搬送されていった。
それを見た私は、これだ!と思い、
私は貯めていた多量の薬を持ち出し、お酒でひたすらに飲み込んだ。


何錠飲んだのかもう分からなくなってきたころ、意識がだんだん遠のき、
ああ、自分はもう死ぬんだ、そういえば遺書も何も書いてなかったなと思ったが、
もう手足がまともに動かせる状況でもなく、机の上にあったレシートの裏に
「ありがとう、ごめんなさい」とだけ、書き、私の意識は途切れた。



これが私の一回目のオーバードーズである。


次に目が覚めた時には、病院の天井と、点滴が見えた。
ドラマとか、映画で見たような光景だな。なんて呑気なことを考えれるほどには、意識はしっかりとしていた。

私は病院のICUに入院していた。

薬の副作用で、意識を失った後と、目が覚めた後一日の記憶がほぼないため、
ここからは親から聞いた状況なども踏まえて書いていく。


実家の近くで一人暮らしをしていた私が何故救急搬送されて、
助かってしまったのか、一番の謎であった。

親から話を聞くと、どうやら私から、謎の無言電話がかかってきたらしい、
電話にでると、声はしないが、荒い息と、うぅ……、とうめき声が聞こえたらしい。
明らかに様子がおかしいと思った母が、自転車で駆けつけ倒れている私を発見し、
すぐに救急に通報したという。
私は母に電話した記憶など全くなくなってしまっていたため、やはり死にたくないと助けを求めていたのかと、死にたいはずだったのに、心の底では生を求めていたのかと、かなり複雑な気持ちになった。

搬送されたあとは、胃洗浄などの措置をされ、そのまま入院し、半日ほど眠っていたらしい。
オーバードーズといえば、胃洗浄をされる。胃洗浄が嫌だから、もう二度とオーバードーズをしないという人が多いと、後から医師に聞いたが、私は全くの記憶がないために、2週間後に2回目のオーバードーズを行い、また救急搬送されることになる。


オーバードーズをしたって、いいことなんかひとつもなかった。
死に損なってしまった私は、たくさんの身内や友達に心配と迷惑をかけ、
そして、医療関係者の方たちは、
自分勝手に死のうとした私のために治療を施し、命を救ってくれた。
このことを忘れないし、今は社会貢献がしたい、ただそれだけである。

そしてもうひとつ、なにより痛いのが金銭面である。
私は実家が貧乏なため本当に迷惑をかけたと後悔している。
ICU一日の入院費と様々な処置で、54,000円というお金がかかった。
私はお金がなかったため、親に立て替えてもらった。

今はただただ、社会に迷惑をかけたという罪悪感と後悔しかないが、
当時の私は何故死ねなかったのか、またあの職場に行かなければならないという恐怖で、動揺していた。
何より、職場に迷惑をかけてしまう。人手が足らなくて回らなくなる、居場所がなくなる、怒られることを恐れた私は退院2日後に職場復帰をした。


2回目の話はまた次の記事に書こうと思う。

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