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エンドロールまで君を連れて【サカナクション】


新譜がリリースされる前に、
「収録曲を空で歌えるようになる」なんて経験、
もしかしたら初めてかもしれない。

3月30日、サカナクションのコンセプトアルバム、【アダプト】がリリースとなった。

このアルバム発売前、昨年秋からの始まった、アルバム2作品に渡るプロジェクションの一環での新譜リリースだ。
プロジェクションの第1章となる【アダプト】は、11月20日より行われたオンラインライブから幕を開け、
オンラインライブ、リアルライブ、そしてアルバムを通して、
コロナ化での音楽業界、そしてサカナクションとしての在り方をこの時代にどのように”適応"してきたのか、それを表現し、体現していくプロジェクションとなっている。


アルバムに収録されている楽曲は、オンラインライブで初披露となり、その後、各ツアー、そしてMVの公開が新譜リリースよりも前にあった、という現代では珍しいアプローチ方法だった。


家にいながら、どんな情報も片手間に調べることができる現代。
音楽に関しても同じことが言えるだろう。
もちろんそれはすごく便利で、いろんな音楽と出会える手軽さが素晴らしいと思う。
でもそれと同時に、新しい曲を聴くときのワクワク感が以前よりも薄れてしまっていることも事実としてある。

私自身、新譜リリースは、基本的にSpotifyから情報を得るし、ボタン一つで、簡単に再生できる手軽さにかまけて、なんのためらいもドキドキもなく当たり前のように、最新情報の一覧に追加された楽曲の再生ボタンを押したりする。
そして片手間に音楽を聴く。
もちろんこれが悪いことではないけれど。
新しいものと出会うときの緊迫感は、手軽で便利な現代では一切感じられなくなってしまった。



アダプトオンラインライブは、確か計5回くらい見たと思う。
初めてオンラインライブを見たときの衝撃は今でも鮮明に覚えている。
ガツンと脳に衝撃が与えられたような印象すら受けた。
家でゆったりと映画を見るような、片手にお酒、机にはお菓子を広げていたのに、曲が進むにつれて、そんなものの存在は私の中からかき消されて、何も持たずにただ目の前の光景を目に焼き付けていた。
そこで初めて披露される新曲たち。

私は記憶力がいい方ではない。というか記憶力に自信はない。
そのため、一度聴いた曲も、全然覚えられなかった。
だから新曲の部分は、アーカイブで何度も何度も再生した。
きっと昔の表現だと「テープが擦れるほど見た!」ってやつと同じだと思う。
おかげで新曲たちは、リアルライブがあった12月には空で歌えるほどしっかりと覚えていた。


そして、待ちに待った、新譜発売日。
厳密に言うと、前日に届いたので、Spotifyではまだ新譜を聴くことができず、
まさに、今、手にしているCDだけでしか新譜を聴くことができない…!!」という、特別感があった。
あ~CDコンポ買っておいてよかった。
そんなことを思いながら、私は近所迷惑にならない音量でCDを再生した。

1、塔

8曲収録のアルバムの中で、2曲もインスト曲を入れてくる、という奇行がまさにサカナクション。(褒めてる)
塔、というタイトルからは、あのアダプトタワーを連想させる。
風の音が鳴り響いてるなぁ、と思ったら、急にブワッと浸透してくるうねりのような音。
徐々に音が重なり、まるで森の奥底へと歩みを進めているかのような錯覚に陥る。
ワクワク感と緊張感。
まさにこれから何かが起こることを連想させる、始まりのメロディ。


2、キャラバン

アダプトオンラインでも、序盤に演奏された『キャラバン』
ゆったりと体を揺らしたくなるような曲調で、メロウな楽曲となっている。

サビの「砂漠のラクダ使い」という歌詞から、
まさに砂漠を行く商人団=キャラバンのことを表していることがわかる。

君に
会いたくても
まだ日が暮れるまで歩かなきゃ

終わりの見えない、どこまでも続く、なんの変化もない砂漠の道を歩く果てしなさ。変わらない日々。

まだ誰も到達したことのない、どこかにあるであろう夢のオアシスを目指して、逃れようのない暑さがジリジリと迫ってくる砂漠の上(夜の砂漠は寒いので、もしかしたら真逆の温度かもしれない)を重い足取りで、のっしりと歩いていくような光景が目に浮かぶ。

この曲を聴いた時、オアシスを目指す明るい曲のようにはどうも感じ取れなかった。
それよりも一縷の望みを託して仕方なく歩みを進めているような、慢性的な怠惰さを感じた。


3、月の椀

歌詞が出るまで、「気になりだす」を「気になりダンス」と信じて疑わなかった人も多いのではないだろうか。(私がそう。笑)
タイアップ曲とだけあって、サビの盛り上がり、サビへの誘導がとにかく秀逸な曲。
そしてイントロは、しっかりと拍をとるリズムで、歌が始まる前から気持ちを高揚させてくれる。
このイントロの裏でわずかに鳴っているシンセの音が、「テクノミュージックとロックの融合だ!」と声高らかに謳われていた頃のサカナクションを彷彿とさせて、よりワクワクしてしまう。

いざ、Aメロが始まると、さっきまでのたくさんの楽器の音は急に息を潜める。
舞台の場面展開、幕が変わったような印象すら受ける。
「ここから主役の1人語り舞台。過去回想が始まりますよー」とでも言っているかの様だ。

そしてオンラインライブで、ランニングマシーンを使った演出だったせいか、この曲を聴くと、モノクロの世界を歩くような映像が頭に浮かんでくる。
ゆっくり歩くお供にはぴったりのBPMとメロディ、楽器のキメ部分。
うーん、やっぱりこの曲は夜の散歩のお供として作られた曲なのかもしれない。笑

月に話しかけてた
君の横顔は
まるで夜の花

一番初めのこの歌詞がとにかく詩的で、美しい。

月明かりに照らされた”君”
もしかしたら君の横顔を見ている”僕”からは、その横顔が陰ってはっきり見えていないのかもしれないし、話しかけているように見えているだけで月を眺めていただけかもしれない。
というか、そもそも、ここに出てくる”君”"僕"の距離がわからない。
物理的な距離はもちろん、心の距離も不明だ。

月に話しかける(月を見上げる)”君”の横顔を見て、夜の花みたいだ、と思う"僕"

ここで出てくる、“夜の花"ってなんだろうか。
具体的な花名は挙げられていないし、月が出てくる時点で夜だとわかるのに、わざわざ”夜の花"と表していることに少しだけ違和感を感じる。

夜に見る花は、正直花本来の美しさを感じさせない。
花は、太陽の光に照らされた時に本当の色を見ることができると思っているからだ。
そんな風に"夜の花"について考えると、私は、友人とラーメンを食べて帰った帰り道のことを思い出す。


「お腹いっぱいになって苦しいね笑」なんてくだらない話をしながら暗い夜道を歩いていた時、友人がふと足を止めたことがあった。
「金木犀の香りがする!」
そう言って、あたりを見回すと、道沿いの民家から金木犀が塀から顔を覗かせていた。
街灯はあれどか細い光だったので、辺りは真っ暗で、私は金木犀の存在にすら気づかなかった。
2人で顔を見合わせて、金木犀に近づいた。
「金木犀をまじまじと嗅いだの初めてかもしれない…こんなにいい匂いするんだね~」「私、花の中で金木犀が一番好きなんだ~」
そんなことを互いにいいながら、見知らぬ民家の塀から秋気分をおすそ分けしてもらった夜。


"夜の花"
つまり、夜に本来の姿が見えない花。
でも、それが花だとはっきりわかる何かがある、ということだ。
それは香りかもしれない。
月明かりに照らされて見えるシルエットかもしれない。
“僕"は、それほどまでに、"君"に対してハッと心惹かれる何か、(陽の光の下で目に留まる様なものではない何か、つまり容姿以外の要素?)があった、ということなのかもしれない。


サカナクションの曲には、夜や月がたくさん出てくるが、夜や月からはいろんな想像ができる。
毎度ながら、ノスタルジーやエモーショナル、という一言で済ませたくない”何か”を含ませるのがとにかく上手くて、なんだかにくいなぁ~と思ってしまう。(もちろんいい意味で)


4、プラトー

こちらでも触れているプラトー。

アルバムを通して聴くと、起承転結でいうところの「転」をこの曲が担っているように感じる。
それほどまでに、はっきりとわかりやすく革新的な曲だ。
最後のサビの盛り上がりなんかは、数々の大型フェスのヘッドライナーを務める彼らだからこそなのか、大きな会場でたくさんの人がひしめき合っている中、彼らの音楽とともに照明が光を放っている光景が目に浮かぶ。



5、ショック!

ショックダンスで有名になった(有名になってるのか?笑)ショック!

先日、Mステでも披露された、ということで、この曲も新宝島のような盛り上がりを見せてくれるのではないかと期待していたりする。
(ちなみに私の家はテレビがないのでMステは見れていません。残念。)


とにかく軽やかでノリのいい楽しい曲。という印象の曲で、歌詞について深く考えたことはなかった。
しかし、先日FM802にて、voの一郎さんがこの曲についての解説をしていたのをたまたま耳にして、あ、そういう曲だったんだ…と新たな発見があった。


毎朝、ニュースを見るんです。
コロナ禍の中で、今日は何かショックな事件が起きてないかなー、と悲劇を求めている自分がいて。
その感覚を歌にしたのが、この曲です。
(記憶を遡って記載したので、細かい表現は違いますが、だいたいこんな感じのことだった気が。)

ショックをただ虚ろに浴びるだけ

曲の意図を汲み取ると、この歌詞がなんだかとってもしっくりきてしまった。
「1日◯人感染、◯人死亡。昨日より◯人増加。」
テレビを持っていない私でさえ毎日毎日見かける数字の羅列。
感染数は愚か、死亡数までも連日数字として報告されているのを見ると、今私が生きていることすら幻想のように思えてくるほどだった。
著名人が亡くなったニュースも、衝撃が大きかったけど、日々更新されていく新しい報道でどんどん上書きされていった。
現実に起きている出来事をどこか空想上の出来事として捉えることで、私はこの異様な現実を乗り越えていたのかもしれない。

それほどまでに、毎日毎日、みんな、ショックを浴びていたのだ。

ショックが足りない今日も
夢の中で無表情

ショックのほうへ虚ろに歩くだけ

今でしか書けない、今だからこそ感じる、異様な心の在り様を表した曲。
サビで脇を閉じたり開いたりを繰り返す"ショックダンス"は不恰好で可笑しい光景に思えるが、どこか皮肉めいていてある意味この曲にお似合いのダンスなのかもしれないな、なんて思ったり。



6、エウリュノメー

インスト曲2曲目である曲。
聞きなれない「エウリュノメー」と言う言葉は、ギリシャ神話の女神の名前らしい。

カオスの中に最初に裸で存在したエウリュノメーは、空と海を分離してから波の中で踊り狂い、その動きから北風を発生させた。

神の中でも、創造神とされるエウリュノメー。
創造神の名をタイトルに持つこのインスト曲。


様々な楽器がヒソヒソと話しをするかの様に徐々に音が鳴り響き、中盤には核となるメロディが大きく鳴り響く。
そしてそれに呼応するかの様に他の楽器たちも音を上げ次々と主張を始める。
それは大地の叫びの様な曲にも感じた。

中でも異様に感じた部分が、この曲の幕引きだ。
けたたましく鳴り響いていた音を置き去りにして、急に空から見下ろす神視点になったかの様な音の遠近感を感じる演出でこの曲は終わりを迎える。

この曲は、とあるプロジェクションとしても作成された曲、とのことで、詳細はまた後日発表されるらしい。(一郎さん曰く)
どうやらその発表でこのタイトルの意味も明らかになるとかならないとか。


7、シャンディガフ

完全に初見の曲。
再生してすぐ、あ、これは好きなやつだ、と思った。
私は、サカナクションのアコースティック映えする曲が案外好きだったりする。(フクロウとか、開花とか)


メスライオンみたいな野良猫が
今日も庭をかけてく

この部分が、なんだかすごく一郎さんらしさを感じた。
詩的表現も、様々な解釈ができる複雑な歌詞も、日本語遊びの様な歌詞ももちろん全部、彼らしさなのだが、そうじゃなくて、もっと根底にある、彼の人となりがわかる様なありきたりだけど普遍的ではない暖かい言葉……。
あと一郎さん猫好きだしね。笑

みんなが経験しているであろう日常とはちょっとズレた風景描写をする歌詞が、私は好きだ。

メスライオンみたいな猫、なんて、一体日本中で何人が、パッと思い浮かぶだろうか。
こんなんだろうな、なんて想像はできるとしても、メスライオンみたいな野良猫がかけていく様子を日常的に感じている人なんて、ごくわずかだろう。

大衆に共感性を持たせない言葉選びによって、
私たちと同じ世界で暮らしているどこかの誰かの世界を覗き見している様な感覚になる。

決して、共感することのできない情景のはずなのに、その光景がありありと目に浮かぶ不思議さ。

ビールを飲んでみようかな

こんなありきたりで普遍的で平和的な言葉から始まる曲を、サカナクションが作るとは思わなかったので少しだけ驚いたけど。
でも、とってもサカナクションらしい曲だな、とも思った。
『フレンドリー』の前にこの曲があることで、アルバムの中に休符を作る役目もあるのかな、と感じる。
特別な曲たちじゃなくて、普遍的で私たちの生活の延長線上に存在する曲たちが詰まっているアルバムだと再認識させてくれる曲だ。


8、フレンドリー

やっぱりオンラインライブで何回も繰り返し聴いた曲は、そのときの光景が浮かび上がってくる。
この曲は、オンラインライブの最後に演奏されていた曲で、演者のスタッフロールが流れる中で流れる曲だった。
だから、私にとってこの曲は、エンドロールの曲だった。

ゆったりと進んでいくメロディは、終演へとゆっくり歩みを進めていくようにすら感じてしまう。
一郎さんの歌声(メインボーカル)にぴったりと寄り添って歩みを進めるコーラス。
シンプルな音数だからこそ、しっかりと主張される美しくうねる低音のベースラインが心地いい。
私は曲を聴くとき、歌詞についてあまり着目しない。


正しい
正しくないと
決めたくないな
そう
考える夜

左側に寄って歩いた 
側溝に流れている夢が
右側に寄って歩いた
そこには何があるんだ
左右
行ったり来たりの
水と泥の淀み

静かに流れるメロディの中ではっきりと聞こえてくる歌詞から、
思考・人の考えや自然の流れについての歌詞かなぁ、なんてぼんやりと考えていた。
0か100か、それだけで決められないものがこの世には溢れている、みたいな、そんなことが歌われてるのかなぁ、なんて思いながら、私はその旋律を美しく思って、この曲が好きだと思った。
曲の好みは、そんな感じでぼんやりいいな〜と思うものであるべきだと私は思う。


楽曲解説は極力、曲を聴き倒してから読むことにしているのだが、
今回は完全に好奇心に負けてしまった。
Spotifyで公開されているライナーノーツを、あろうことかリリース日(つまり私がこのアルバムを聴いた次の日)に丸っと全部聞いてしまった。
そして、そのとき、この歌の右側と左側の意味を初めて知った。

右側・左側。そして思考。

ここまであからさまなヒントが出ていれば誰だって正解に辿り着くよな、、と今更ながら思う。改めていかに私がぼんやりと歌詞を受け取っているのかを思い知った。

右側の思考、つまり右翼。
左側の思考、つまり左翼。

そう、この曲は政治的な意味を持つ曲だった。
そして、うよく、さよく、真ん中は、なかよく。
だから、フレンドリー。(笑)

音楽の政治介入の是非に関しては、リスナーの私がとやかくいうものではないと思うが、私は是でも非でもない、という思いだ。まさに中翼(なかよく)思考。

曲の経緯を知る前に好きだった曲の見方が変わるなんてのはよくあることだ。もちろん良くも悪くも。
これこそ、言葉の持つ力であり、言葉の脅威だよなぁ、と痛感する。

(アジカンの『No.9』の意味を知った時と同じような気持ちだな、、と懐かしくも思った。笑)



まぁ、私は、この曲好きだけどね。

ゆったりと流れるエンドロールを片目に楽しそうに一歩一歩足を進める少女の幻影が見えてくるから。
真っ暗なんだけど、真っ白な世界を感じて、終わりへと向かっているはずなのに、始まりを感じて、とにかく、美しい曲だから。

だから、
私はこの曲が好きだなぁ。



これからに想いを馳せて…

待ちに待った、サカナクションのアルバム【アダプト】

どこまでも戦略的で前衛的な彼らの音楽を随所に感じられて、一度聞いただけでは全然足りない。
なんどもなんども聞いて、咀嚼したら違った景色が見えてくるかもしれない。
そんな期待すら覚えてしまう今回のアルバム。

曲解説を読んで見え方が変わってしまう前に、自分の言葉で表したかったので、これから曲解説を読んで、曲の深層部分を理解していきたいところ。
(と言いつつ、ライナーボイスはしっかり聞いてしまったけど)

ちなみに、アダプトツアーも発表されたが、例年に比べてキャパシティが少ない会場での開催、とのことで、会員ながらチケットを取れる気がしない……

どうか当たります様に……



きいろ。


▼アダプトに関する他記事はこちら

・アダプトツアー大阪公演レポ・演出考察

・オンラインライブ感想


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