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添削者の4つの心得

書いたものを指摘されるのは、こわい。

その感情を音にすると「ズキッ」からの「ズーン…」が近いと思う。

昨年の夏頃から、電話で週1の2時間半ほどズキッ&ズーンを浴びていた。ライター師匠、中村洋太さんに文章添削をお願いしていたからだ。

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駆け出しライターの頃の添削ドキュメント。この時は「どうも。りりぃです」から書き始めて、早々に中村さんから指摘が入った。

中村さんの添削は指摘だけではない何かがある。パズルがきれいにはまっていくような感覚。ときに厳しい意見もいただくが、どんな言葉でも「希望」を感じることができた。

「中村さんのような添削を、わたしもできるようになりたい」

いつしか、そう思うようになっていた。

そんな矢先に舞い降りた、ライティング講座「ぶんしょう舎」添削チームのお仕事。

まさかこんなに早く添削者に挑戦できるなんて…!  うれしさMAXで始めたものの、頭の中には中村さんという圧倒的な基準がいて、どうしたらそこに近づけるのかと試行錯誤を繰り返した。

今日はその中で気づいた、「添削する者の心得」について書いていく。

添削者の心得① 自分の失敗を隠さない

「文章を添削する」ということは「人の心を添削する」ことに等しいと思う。厳しく指摘されると、人格まで否定されたような気がしてしまうほど。

しかし、添削はより良く改善していくためのものだ。必要な指摘は避けられない。書き手に嫌われることを恐れていたわたしは、やさしさと厳しさの天秤に揺れていた。

「いったいどうしたら相手を傷つけずに伝えられるんだ?」

そこで中村さんの発言を思い出した。中村さんは添削指導のあと、こんなふうに続けることが多い。

「ぼくもね、同じような経験があったんです」

...え?中村さんもこんなミスしたの?と、ホッとしてしたことを覚えている。

たしかに添削していると自分の失敗をよく思い出す。自分の失敗談を添えることで相手の心に伝わるなら…と、添削文に書いてみることにした。

「今は○○さんにこんな指摘をしてますが、実はわたしも同じミスをしてました。一緒に気をつけましょう!」

過去に経験したミスを伝えることで、相手の心にも届きやすいのではないだろうか。失敗を隠しちゃいけない。自分の失敗を伝える勇気も必要なんだ。

添削者の心得② 相手の人となりを想像する

添削者は、文章を読みながら書き手と向き合う必要がある。

けれど、どう向き合えばいいのかわからなかった。ほぼ初対面の方の文章を添削するのだからむやみやたらと傷つけてはならないし、一方的な物言いもよくない。それを考えすぎたわたしは、書き手の顔色を伺うように添削文を書き始めてしまい、指がぴたりと止まった。

「一文字も書けんくなったぞ。いったいどうしたら…(2回目)」

答えは、書き手の文章の中にあった。現在25名の講評させていただいたが、皆さん個性的で、一人ひとりの顔が浮かんでくるような気がした。

「この方は明るくてピュアな人なんだろうな」

「すごく繊細な方だから、気持ちを言葉にできなくてもがいているのかな」

そうやって相手の人となりをイメージすることで、近しい友人のような感情が芽生えた。

書き手は生身の人間だ。うれしいこともあるし悲しいこともある。伝えたくてもどかしい気持ちや、誰にも言えない気持ちだってある。

そんな新しい友人に手紙を書くつもりで添削する。すると、伝える言葉も素直になった。

書き手から、「心のこもった添削をありがとう」とメッセージをもらうようになった。ふいに友人から手紙が届いたようで、うれしい。

添削者の心得③ 書き手専属の編集者になる

「指摘するだけじゃダメだよ。相手の立場になってやさしくね」

これはわたしの母の口癖である。以前はこれを聞くと「そんなこと言ってたら誰とも戦えないぞ」と反論していた。しかし。

「言うこと」が正義じゃなく、「伝わること」が正義。

少々打算的かもしれないが、自分の言いたいことを言うのが必ずしも正しいわけじゃないと気づいて以来、母の言葉はあながち間違っていないと思うようになった。

では、具体的にどう伝えるのか?

ここで、書き手専属の編集者に変身だ。

わたしは添削の中で、書き手に改善案を提案するようにしている。なぜなら、書き手に「なるほど。ではやってみようではないか」と思ってもらう必要があるからだ。

「この文章をリード文にしたら読者に伝わりやすくなると思います。例えばこんな感じ。」

と、わたしなりの案を紹介する。母の教えを借りるなら、指摘するだけでは相手に伝わらないのだ。

正直なところ、わたしの改善案が良いかどうかはわからない。でも、わたしの真剣に向き合った気持ちは、書き手のモチベーションに繋がるのではないだろうか。

添削者の心得④ 読者のスタンスを守る

「添削者」とは何者なんだろう? そう名乗るのは上から目線のような気がして、お尻がかゆくなる。わたしは何者でもない一般人で、誤字脱字にあたふたしているインタビューライターだ…。大それた人間ではない。

それならばいっそ、と開き直ることにした。

「あたしはダーリンの読者として、意見を述べるっちゃ!」

脳内でヒョウ柄パンツのラムちゃんが言う。だって読者だもん。感じるままに言葉にしても大目に見てよねっプン。

そのスタンスを守り続けることにしたら、「添削チームの池田」と名乗ることに抵抗がなくなった。

もちろん、添削する側は日々勉強し続けなければならないし、書き手の見えなかった地図を見せるべき存在だと思う。それを妥協するつもりはまったくない。

けれど、純粋に楽しいと思ったこと、わかりくいところを伝えることが、書き手に必要な情報になるのではないか。一人の読者として意見を言う。このスタンスはずっと持っているべきだと思う。

主役である書き手へ、創作の旅に出かけよう

さて、ここまで添削する側の心得を述べてきたが、添削される側の心得も少しだけ書こう。

わたしは月に1度、「noteネタ出しオンライン会議」というイベントを無料で開催し、Twitterで参加者を募ってアイデアをゆるゆるっと交換し合っている。そこでは公開前のnote記事を見せあうなどもしていて、先日公開したエッセイを参加したメンバーに読んでもらった。

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そこで、とてもありがたい意見をいただいたのだ。もう目からウロコ! 参加者からのアドバイスをもとに文章を練り直したことで、自分の中でも納得できるエッセイになり、なんと「note編集部おすすめ」にも選んでいただけた。相談して良かったなぁ…。

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指摘されるのは正直ツライし、内容によっては耐えがたいこともある。でも、そもそも自分の気持ちを誰かに聞いてほしいから書いているのだ。それなら、人に意見を聞く方が成長は早い。

「指摘してくれてサンキュー、もっといいもの書くから待っててな!」

くらいの気持ちでどんどん指摘してもらった方がいい。人の意見を鵜呑みにしすぎる必要はないけれど、無視するのはもったいない。

おすすめの方法は添削前の記事のデータを残しておき、指摘を受けた部分を練り直してみること。

どう変わったのか、自分に何が足りないのかが一目瞭然だ。ビフォーアフターの動画が人気なのは変化がおもしろいからだろう。自分の文章の変化を知ることも、けっこうおもしろいのだ。

さっそくnoteやSNSで実験してみよう。気心の知れたメンバーだけに下書きの文章を送って、感想をもらうのも良い方法だ。

わたしは、中村洋太さんの指導にまだまだ到底及ばない。しかし、添削に携わったことで少しだけ、自分の世界が広がったように思う。

痛みを知ってるものだけが、人の心を動かす。ならば体当たりしていこう。それ以外に方法はない。

さぁ、創作の旅に出かけよう。新しいあなたの可能性を見つけるために。

(記:池田アユリ)

中村洋太さんのnoteはこちら。












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