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郵便ポストによろしく

 最寄り駅に降り、夕日を背に改札階に向かう。すれ違った小さな男の子が去っていく電車に手を振っていた。その表情は呆然としていて、その表情に込められた感情はなさそうだった。きっと、隣にいた父親に「手を振ってごらん」と言われて、何疑うことなくそれに従っただけなのだろう。

 夕日の朱さ、呆然としたこどもの表情に私の幼少期の記憶が蘇る。

 いつのころだったか、ポストの前に来て、母に封筒が渡され「入れてみる?」と言われたのだった。ポストの投函口にある横長の扉に手を挟めないように恐る恐る入れ、封筒が中に吸い込まれていくのを確認した。

 母は「ちゃんと届きますようにっておまじないしようね」と私の手を取り、ポストの上部を撫でさせた。私の幼心は、それをしないとちゃんと郵便物は宛先に届かないと思い、毎回毎回投函したあとは、ポストを撫でるようにしていた。

 小学生になり、通信教育を始め、月毎にテストを郵送して採点してもらうサービスを受けていた。赤ペン先生というやつだった。自分で答案を封筒に入れ、糊付けし、切手を貼って、自分の足でポストに向かった。

 母から教えてもらった通り、投函し、腕いっぱい上げて上を撫でた。
 なんだかざらざらする触感があった。私のあまり好きではない感覚。
 撫でた掌を見てみると、真っ黒になっていたのだ。当たり前だがいつも野晒しにしているポストがきれいなわけがない。なぜ、それまで私がポストを撫でて手は汚れていることに気づかなかったのか? それに気づくお年頃になったのか? それとも、今まで触ってきたポストがどれも綺麗で、汚れることがなかったのか?

 真っ黒になった掌を握らず、平にしたまま走って家に帰った。
 それからポストを撫でることはしなくなった。

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