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 昨日は執筆中に取り乱し、それから何も言葉が浮かばなく、キーボードを叩く力さえなくなってしまったので、そのまま投稿した。それだけ私にとっては昨日重要なことがあったのだ。

 私の周りでは目まぐるしく状況が変わっていく。今になって考えてみると、大学生活の静かな日常が最近の嵐の前の静けさであったかのように思える。台風が近づいてきて、嵐の前のしとしとと降る雨を眺めながら、ふとその思いに至った。

 このnoteを読んでいる方々がどんな方かはわからない。顔も見えなければ名前もわからない。「スキ」を押してくれる人も必ず一人はいるが、その「スキ」をどのように思いながら押してくれているのかもわからない。純粋に私の文体が好きなのか、それとも内容が好きなのか。逆に、こんなもんしか書けないのか、私のnoteを読んでみよというアピールなのか。それとも自分の存在を知らしめるために私にとりあえず読んでいなくても「スキ」をしてくれているのか——

——私の素性を知っている読者もいる。だから私が抱え、悩むことをここに全て吐き出すことで私の知人たちの中にイメージされる自分自身失うこともあるかもしれない。それを恐れているから、こうして作家気取りしているくせに、自分を削ろうとする勇敢さがまるでない。

 作家とは、アンパンマンのようだと思っている。自分自身を削りながら、他の人にパンを与える彼のように、作家は自分の経験や思考の一部を好きずつ削り取りながら、文章という形にして読者に届ける。

 自分を削り、削り、削り続けて何も残らなくならないように、日々作家というのは経験と新しい思考に巡り合い、そうして得たものを削られ凹んだ部分に塗りたくるのだ。

 台風がやってきたら、一日中薄暗い雨を眺めつつ、車のタイヤの水を吸い込む音を聴きながら、読書でもしていよう。

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