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 このnoteを毎日更新しないといけないという自分の決まりが、だんだん面倒になってきて、だけどそれをやめる勇気というか、ここでやめてしまったら負けな気がするという気持ちもありなんとなく続けている。

 別にやらなくても良い事だけど、でもやらないと気が済まない事だということくらいには習慣化している。だが、こうなってしまったらやめることに対しても気持ちとして骨が折れる。書くのも面倒だし、書かなくなるようにするにも面倒だ。
 ああめんどくさい。

 世の中のあらゆる習慣化しているものも同じかもしれない。朝起きたら顔を洗ったり、1日3回食事をし、食後は歯を磨き、風呂に入る。どれも必要なことかもしれないし面倒になることもあるが、毎日やらないと気持ち悪い。だが実際、皆もやっているから必要に感じるのであって、別に顔を洗う日は毎日でなければ朝である必要もない。食事も3回食べたり、歯を磨いたり、風呂に毎日入るようになったのも戦後のことであって、毎回必要ではないし、そもそもそれをしていない時代・文化があるかもしれない。

 このnote毎日更新も、自分の位置する文化圏には存在しない習慣であったが、noteの一部界隈で文化となっていると思う。私は毎日更新しなきゃいけないという気持ちを持ったわけで、いつの間にか文化圏内に入っていた事になる。別にそれが必要ではないのだが、毎日更新しないとどこか気持ち悪くて、朝に顔を洗い、1日3回食事をし、食後は歯を磨き、風呂に入るのと同じようにこなさなくてはならない気持ちになるのだろう。

 洗顔、食事、歯磨き、風呂の習慣は続けることでより生活の質を向上・安定させることができるが、果たしてnote毎日更新という習慣はどんな生活の質の向上・安定に繋がるのだろうか。
 文章を書くという習慣、ネタを探す習慣、推敲する習慣、それによる文章力の向上や人間力の向上などが挙げられるか。きっともっとたくさん利点はあるのだろうが、咄嗟に思いつくのはこれくらいしかない——だが、私はそれをまだ実感していなくて、インターンのESを書くにも時間はかかるし、別の人に文章をしてもらうと指摘ばかりされるし、書きたいネタがなければその日のnote更新は適当にやり過ごしてしまい、面白い内容とは程遠い。この習慣によって良い効果が出てくる日が来れば良いなぁ。

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