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●2021年1月の日記 【上旬】

1月1日(金)

2021年はじめての朝のリビングに子どもと手をつないで出た。さっそくユーチューブをつけるようせがまれながらも、「あけましておめでとうございます」と新年の挨拶をしてみた。すると「ん?おかあさんもおめでとうだねー」ライトな感じで返してくれてよかった。
ユーチューブをつけると新年仕様の動画がいくつもあがっていてすごかった。
しばらくして夫が起きてきたから昨日の鍋の残りにモチを入れて食べた(子どものぶんはモチはやめておいた)。それから近所の神社にいって新年のお詣り。子どもはおみくじもひいた。末吉だったから笹に結んだ。帰りにコンビニでお菓子や飲み物を買った。元旦にコンビニってなんかいい。けだるい活気があった。家で昼ごはんの時間におせち料理をたべた。おせちはわたしの母と夫の母がそれぞれ、作ったものを送ってくれた。盛りつけるだけでごちそうになるの最高にありがたい。

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かまぼこの飾り切りだけした
子どもは田作り(小魚)をひたすら食べていた
2021年も食の好みが渋い

1月2日(土)

夫と子どもが風邪をひいたから年末からの泊まりがけでの帰省は取りやめにしたのだが、年が明けてからみんな元気になったから、日帰りで隣県にある夫の両親宅を訪ねることにした。夫の両親宅には夫の妹夫婦も滞在しており、その5さいの子どももいっしょだ。わたしの子ども(2さい)にとっては唯一のいとこである。この小さないとこ同士を年に一度くらいは会わせたい、ふたりがいっしょに遊ぶさまを見たいという欲が、わたしを弾丸帰省に駆りたてた。夫もノリノリというわけではないものの(夫にとって両親宅は基本的に『疲れるスポット』であるっぽい)、「まあ元気なあの人たちにいつまでも会えるわけじゃなし…」と言いながら両親にアポを取ってくれた。

5さいの親戚は会わないでいるうちにとても面倒見のいい子どもに成長していて、わたしたち大人がたじたじするほどの親切さで2さいの子に接してくれた。公園まで手を引いてくれたり、おもちゃを貸してくれたり。2さいの無軌道な遊びかたにも文句ひとつ言わず付きあっていた。数時間も経つと子どもたちはすっかり仲よくなって、ふたりでぬいぐるみを階段上から落として高らかに笑う遊びに興じていた。その階段はまさに子どもが転落したことのある階段だからわたしはハラハラ度マックスで子どもの背後にずっと貼りついていた。

楽しすぎて別れがたくなってしまったらしい。夜になり2さいの子に家に帰ることを告げると(行く前から予告してもいたのだが)「まだあそぶ。○○ちゃんとあそぶ。泊まってく」と号泣した。抱きかかえて玄関に連れて行こうとする夫は顔をひっかかれた。わたしも髪をもみくちゃにされた。5さいの子はその様子をじっと見ていたとおもったら、「駅まで送ってあげようか」と申し出た。夫の母の運転で駅まで送ってもらう車に同乗してくれたのだ。それでずいぶん子どもの泣きが落ちついた。なんて大人びた対応をしてくれる子だろう、としみじみ感動してしまった。

帰りの電車で眠った子どもを、駅から夫と順ぐりに抱っこして歩いた。眠る子は起きている子より格段に抱きやすいが(しなだれかかってくれるから)、格段に重い。年始の静かな夜道をずしりずしりと進みつつ「日帰りの帰省もいいものだね」などと話した。やりきった感。

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子どもたちが拾った青い実

1月3日(日)

正月休みも今日で終わり。家族3人おもに家でまったりと過ごした。きのう出かけた疲れが残っているのか子どもは午前中からホットカーペットの上で眠りこけてしまい、わたしはその枕になりながら通販サイトで服を物色した。

迷って注文に入れなかった服。かわいいな。買えばよかったかな。

昼どき、ホカペ(ホットカーペット)(ど低温)に横たわる子どもを眺めつつ夫の作ったトマトパスタをいただく時間は優雅だった。そうして食事をしていると、子どもがほんの赤ちゃんだったころを思い出した。
生後0か月の赤子の眠る簡易ベッドをリビングに置いて、いつも、寝顔をながめながら夫の作ったごはんを食べていた。食事のあいだときどき不安になってちゃんと呼吸をしているかたしかめに立った。そのころのわたしは這うように移動するくらいお腹が痛かったはずだが(すったもんだの末に帝王切開で出産したのだ)、痛みのことはほとんど忘れてしまった。簡易ベッド(というか箱)のなかに赤ちゃんが身じろぎもせずに眠っていたこと、かと思えばときどき驚くくらい大きないびきをたてたことをおぼえている。不安で、頼もしくて、かわいくて仕方なかったことも。

しばらくしてホカペから起き上がった子どもは夫が取り分けていたパスタを自分で食べ、その姿を見ると大きくなったのだなあとしみじみ思われた。

1月4日(月)

整骨院で脚を痛めに揉みしだいてもらった。マッサージや整体は(がまんできる範囲で)痛ければ痛いほどお得!と思っているふしがある。施術中に少なくとも一度は「いっ…」と声をあげてしまうくらいの強烈な圧しがないと物足りないし、圧しの強い施術者に当たるとラッキー、元取った、って思う。変な貧乏性。今日は元取った。

1月5日(火)

仕事はじめ。
仕事で頭とからだを動かしているとからだ中に水が行きわたるみたいになって思考までがちょっとしたみずみずしさを取り戻した。つくづくわたしはなにか仕事をしていないとだめな人間らしい。仕事がわたしを怠惰な眠りから引きずり出してくれ、屋外へも連れ出してくれる。仕事は仕事であるだけでけっこうなんでもいいのに、いまの仕事はすごく気に入っているからよけいにありがたい。報酬も得られる。わたしを生かしてくれてありがとう仕事。
でも同時に、仕事に生かされているだけじゃずっと行き止まりって気もしている。悩める30代。

1月6日(水)

仕事先の学生食堂のラーメンがおいしかった。

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2021年も学食チャンスを逃さない

帰宅途中に大きな書店に寄った。クリスマスに夫から贈られた図書カード(リクエストした)で本を買うのを楽しみにしていたのだ。時間があまりなく、ひとまず2冊だけ選んで買った。

(はからずもクリスマスカラー)

ミン・ジン・リー『パチンコ』は、睡眠を愛する友だちが寝るのを忘れて読んだと言っていたからぜったいに読みたいとおもっていたのだ。楽しみ。
しかしいつものことながら帯の文章はいろいろ言いすぎだ。や、やめて、わたしは小説、展開ほとんど知らないまま読みたいんだ!帯の記憶を消してくれ〜

1月7日(木)

きょうは子どもと過ごす平日で、朝から児童館に出かけた。児童館。子どもが0さいのころは週3日は行っていた。当時から子どもを知ってくれている職員さんがいて、われわれにあたたかい声がけをしてくれる。癒される。
児童館を出てココスで昼食。ココスの包み焼きハンバーグがずっと恋しかったのだ。子どもにはカレーライス。わたしたちはもう、ボックス席に向かいあって座りそれぞれの料理を食べることも(子どもの気分が乗ればだが)できる。外食はかなり楽になった。
ココスの包み焼きハンバーグは思い描いていた味とまったく違っていた。わたしの思慕ははかなく散った。会えない時間が愛育てすぎたらしい。子どもに頼んだカリカリのフライドポテトはおいしかった。
食後はりきってちょっと遠くの公園に自転車を走らせるも途中で子どもが寝てしまった。公園に着くと起きはしたが、すぐに「だっこ」と言って歩こうとしない。風が強くて砂ぼこりがもうもうとあがっていたのも怖かったのかもしれない。すぐに帰った。

1月8日(金)

わたしの両親に会うため、両親の家にほど近い商業施設に子どもを連れていった。施設には屋外のプレイエリアも併設されていて、子どもはそこで大はしゃぎした。1年ぶりに会う祖父母が根気よく遊びに付き合ってくれるのも嬉しかったのだろう、まるで疲れを知らないかのように(というかたぶん本当に知らない)暗くなるまで遊びたおした。
わたしは疲れ果てた。子どもとふたりで遠出をするのはすごく好きなのに、今日はあまり前向きな気持ちになれなかった。両親と行動すると、両親と暮らしていたときの気分にひきずりこまれる部分がある。わたしたち家族はたいへん仲がわるかったのだ。成人したわたしが家を出ることで、時間はかかったが、家族仲はかなり正常といえるところまで落ち着いたと思う。わたしは両親に気をつかい、気をつかうことでふたりとの距離を保っている。両親もわたしの引いた線のことは分かっていて、そこからは踏み込んでこないようになっている。わたしと両親は、年に一度か二度の行き来のほかは、お歳暮、誕生日祝いを贈りあうくらいの付きあいだ。しかしその年に一度か二度のときには必ずと言っていいほど心の均衡を崩してしまう。もう大丈夫、わたしは両親のもとで暮らしていたときの無力な子どもではもうないのだからと思っていても、たいてい大丈夫じゃない。今日も。
だからグリーン車に乗って帰った。子どもは「ダブルデッカーだねえ」とここでもはしゃいでいた。絶対に寝ると思ったんだけどな。

帰宅して子どもが床に入ってから夫に疲れ果てた旨報告すると、夫は深い部分でわかってくれた。彼も自分の両親と会うと疲れる民。わたしとは若干事情が違うけど。こういうときわかってもらえるのはありがたい。ここで目を輝かせて家族の絆の素晴らしさとか親のありがたさを講釈されたらどうにかなっちゃう。お互いそういうタイプでなくてよかった。そういうタイプでないから一緒にいられるのか。

1月9日(土)

洗濯をして白菜を炒めた。今日はだいたいそれだけ。

ミン・ジン・リー『パチンコ』を読みはじめた。さっそく引きこまれている。

1月10日(日)

夫が晩ごはんの仕上げをしているあいだに子どもが眠ってしまった。わたしのひざに座りいっしょにテレビを観ているのだと思ったら、いつの間にか目をぎゅうと閉じていた。目と鼻のまわりがくしゃっとなるくらいに強く。かたい意志をもって眠りに入っていく子どもを、わたしは引き止めることができなかった。子どもの好きそうな献立を考えて作った夫、かわいそうだった。
子どもを布団に移し、大人ふたりで食事。自分ではめったに調理しない牛肉のおかずがうれしかった。2回おかわりして食べた。

台所の片付けや寝る準備を済ませたあと、「いざ!」って感じでホットカーペットの上に陣取って『パチンコ』を読んだ。飲み物を取りにきた夫に「姿勢がいいね」とほめられてうれしかった。寝室の子どもが隣にわたしの居ないのに気づいて泣きだすまで読んでいた。上巻がもうすぐ終わる。


12月下旬 | 1月中旬


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