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【ショートショート】12人の悔やむ俺
それは、俺がようやく仕事を納めた代償に身も心もボロボロになって帰宅した時のことだ。
部屋に入ると、コートも脱がずにソファーに倒れ込むように座る。
メシにしようとか、風呂に入ろうとか、そんなことを考える体力はすでに残ってはいなかった。
どのくらいそうしていただろうか。
腹が減っているというのにようやく気づき始めた頃、玄関のインターホンが鳴った。
こんな時間に誰かが来る予定なんてない。
気味が悪いから無視しようと思ったが、相手はインターホンを連打しだした。
あろうことか、ただの連打ではなく、ドアノックもはさんで妙なビートを刻んでくる。
それが数分続き、俺は怒りの雄叫びを上げながら玄関のドアを開けた。
ようやく仕事を納めて疲れ果てた俺になんてことをするんだ、もう勘弁ならん、怒鳴りつけてやる!
「おい! 今何時だと思って……」
「よお」
ドアの隙間から、ひょい、と顔を出したのは……
俺だった。
どこからどう見ても、俺。
…………俺!?
そんなはずあるわけがない。
だが、目をこすっても、まばたきをしても、そこにいるのは俺だ。
春に断捨離したはずのダウンジャケットを着て、俺の様子に笑っている。
「俺は今年1月のお前だ」
そいつは、自分を指差すとそう言った。
1月の俺? ということは、過去の俺?
いや、でも俺は今ここにいて……あ、ダメだ頭痛がしてきた。
「まあ、まずは中に入れてくれよ。寒いし。あ、コンビニで弁当買ってきたぞ。いつものとんかつ弁当。どうせ、仕事納めの後で家に帰ってくるだけで精一杯だったろ? 去年もそうだったもんな」
俺は目の前で起きていることが何ひとつ理解できないというのに、1月の俺とやらは今の俺の状態を的確に言い当てると、得意げに手にしたコンビニの袋を見せてくる。
12月31日、午前1時のことだった。
「……俺、なのか?」
俺はどうしたらいいのかわからず、1月の俺を部屋に入れてしまった。
改めて、その姿を頭のてっぺんからつま先まで見てみる。
まるで鏡を見ているようで、俺はついそう口走っていた。
すると、ダウンジャケットを空いているハンガーに掛けながら、1月の俺は言う。
「いい加減疑うのやめろって。それよりまずはメシ食べたほうがいいぞ。お前、メシをおろそかにして失敗したこと、覚えてないのか?」
「失敗……? あ、」
「思い出したか。いいか、1月の俺が悔やんでいるのは、メシをおろそかにしたせいで体調を崩して、2週間も寝込んだことだ。お前、休み明けの上司からの仕打ち、覚えてないのか? だからメシはちゃんと食べろ。体は働く資本だぞ」
1月の俺の言う通りだった。
今年の1月は忙しくてメシよりも睡眠を優先していたせいか、体調を崩して仕事に2週間も穴を空けることになったのだ。
そして、ようやく病み上がりで出社してみれば、上司には嫌がらせのように仕事を振られ、同期には冷たい目で見られ、さんざんだった。
『体は働く資本』。そうだ、あの時俺が思ったことだ。
やっぱり、こいつは俺なんだと妙に納得してしまった俺は、1月の俺が買ってきた弁当を手に取った。
「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
「そうしてくれ」
いちおう賞味期限を確認したが、ちゃんと明日の日付が書かれていた。
今年の1月に買ったものではないようで安心した。
食べようとした瞬間、インターホンが鳴った。
何だ?
「お前、行ってこいよ」
1月の俺がニヤニヤと笑っている。
言われるがままに俺は玄関へ行き、ドアを開けると……
「よお。俺は2月のお前だ」
「ウソだろ……?」
……そこには、また俺が立っていた。
その後も、過去の俺は1時間おきに現れた。
2月の俺に睡眠の大切さをとうとうと諭されて3時前には寝てしまったが、9時過ぎに目が覚めると3月から9月までの俺がすでに部屋でくつろいでいたし、ほどなくして10月と11月の俺もやって来た。
こうして、俺の部屋には11人の過去の俺と、俺が揃うことになった。
過去の俺たちは、1月の俺と同じように、皆口々にその月に後悔していることを告げていった。
ざっとまとめると、
2月は「睡眠不足で仕事で重大なミスをして、謝罪案件になった」
3月は「友人から借りた車に傷をつけてしまった」
4月は「新人への接し方がうまく行かなかった」
5月は「興味を持った趣味を始めなかった」
6月は「新企画のプレゼンが通らなかった」
7月は「よく調べず買った新しいスマホが不具合だらけだった」
8月は「夏休みに帰省しなかった」
9月は「休日のランニングをやめてしまった」
10月は「ソシャゲの課金でカードの限度額ギリギリまで行った」
11月は「12月は忙しいとわかっていたのに、そのための準備をしなかった」
といった内容だった。
どれも事実だし、俺は本当にそのことを後悔していた。
こんなにも俺は失敗ばかりしてきたのか。そのことを突きつけられて、暗い気分になる。
「気を落とすなって。誰だって失敗はするよ」
11月の俺が俺の肩をポンと叩いて言った。
こいつとは生きている時間が近いせいか、一番気が合う。
「そうだ。俺たちはお前に後悔させたいわけじゃない。失敗から何を学んだのか、それを思い出してほしいんだ」
9月の俺がそう言った。
ランニングをやめてしまった影響で、ズボンがきつそうだ。
「失敗ばかりじゃなく、楽しいことだってあっただろ。例えば……」
3月の俺が楽しかったことを話すと、他の俺も俺のことはそっちのけでその月の楽しかったことをお互いに話し始める。
俺の部屋は、さながら同窓会の会場のように騒がしくなった。
その様子を眺めていると、気づけば1月の俺が隣りにいた。
「お前はあっちで話さなくていいのか?」
「ああ、いいんだ。そんなことよりお前、1月にメシの大切さに気づいてからは、ずいぶん食事に気を遣うようになったんだな。さっき、冷蔵庫の中身を見せてもらったけど、俺のとは思えない」
「ああ、時間があるときには自炊するようにしたんだ」
「いいことじゃないか。これからも続けろよ。じゃあな!」
「――え?」
「じゃあな」と告げた瞬間、1月の俺がその場からふっとかき消されるようにいなくなった。
「ねえ! 1月の俺、いなくなったんだけど!」
俺が慌てて2月から11月の俺に声をかけると、2月の俺が時計を見て言った。
「ああ、もう午後1時か。時間だったんだよ」
「これから、1時間毎に消えていくんですよね。まあなんていうか……そういう決まり、っていうんでしょうか? あの、難しくは考えなくていいんで、えっと……」
4月の俺が説明を引き継ごうとしたが、その頃は対人関係に怯えていたせいか、人に何かを伝えるのが絶望的にヘタクソだ。おまけに自分に敬語使ってるし。
とにかく、午前1時から1人ずつ現れた過去の俺たちは、午後1時から1人ずつ消えていく、ということか。
難しく考えなくていいと言われたが、もはや考えることは放棄していた。
失敗も、楽しかったことも、俺が忘れていたことまで過去の俺たちはよく覚えていて、その話を聞いているだけで俺はなんだか楽しかった。
1月の俺が消えた後も、過去の俺たちは何事もなかったかのように思い出話に花を咲かせた。
誰かが注文したらしいピザが届き、本当にパーティーだ。
しかし、1時間が過ぎるごとに、過去の俺はひとりずつ消えていった。
最後は必ず俺のところにやって来るのだが、別れの挨拶というよりは、「過去の失敗から学んで、変わったこと」を必ず教えてくれた。
寝食や節制の大切さ、周りの人間への配慮、自分がのめり込むことができるものを見つける素晴らしさ、効果的なプレゼンのノウハウ、慎重でいるべき時と大胆でいるべき時の見極め……
自分では気づいていなかったけれど、これだけたくさんのことを学んで、変わっていったんだな。
ピザのおこぼれをかじりながら、俺はこの1年をもう一度過ごしているような気分になっていた。
気づけばすっかり夜になり、ついに11月の俺と2人きりになった。
時計はもうすぐ12月31日の午後11時になろうとしている。
「お前もそろそろか」
俺が声をかけると、11月の俺はビールを飲み干した。
「ああ。――なあ、お前はこの1年、どうだった?」
「そうだな、お前らが来なければ、特に何も思わなかったかもしれない。けど、お前らからいろいろ言われてさ、たしかに失敗もたくさんあったけど、それだけじゃなかったんだって思えた。だから、『一生懸命走りきった1年だった』、そんなところかな」
「そうだ。俺は、この12ヶ月を走りきったんだ。だから、つないでいけよ。次に。新しい1年に」
「ああ、わかった」
「じゃあな」
そう言うと、11月の俺も消えていった。
俺は元のようにひとりきりに戻った部屋で、過去の俺たちのことを思い出しながらテレビを観ていた。
テレビの中のお祭り騒ぎはいよいよクライマックスだ。
どのチャンネルでもカウントダウンの様子が映し出されている。
『5,4,3,2,1,――あけまして、おめでとうございます!!』
その瞬間。
俺は急に首のあたりをものすごい力で掴まれ、ぐん、と後ろへ体を引っ張られた。
あまりに急なことで声も出せない。
視界が一瞬暗くなって…………
視界が元に戻った時、俺の部屋にはまた1人俺が現れていた。
そいつは、さっきまでの俺がそうしていたように、テレビを観ている。
すると、体の奥から抗いがたい衝動がこみ上げてきて、俺はそいつの肩を叩いてこう言った。
「よお。俺は昨年12月のお前だ。いいか、俺が悔やんでいるのは……」
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走りきったぜ。
みなさま、良いお年を。
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