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「永い言い訳」を観て、めちゃくちゃ腑に落ちた話

20代最後の華金が始まりました、あましおです。

いきなりですが、私は映画(ジャンルは特にヒューマンドラマ)が好きです。
登場する人間の価値観に触れたり、生活模様を見て自分の生き方を見つめ直せるからです。(前回の投稿もそんな話)

私は昔から友人や知人、著名人、映画や小説に出てくる架空の人も含め、"他人"から影響を受けてきたし、"他人"を通して自分を知るという経験をたくさんしてきました。そして、他者からの影響を血肉としてインストールして今まで生きてきました。

なので、ちょっと変な言い方をすると「自分=他者で構成されている」と言っても過言ではない!と思っています。(いや、過言かな…?)

その実感が昔からあったからか、私生活でも誰からどんな影響を受けたのか結構覚えています。

例えばテレビ番組でいうと、「クレイジージャーニー」や「激レアさん」、「マツコの知らない世界」など、今までの人生で出会ったことがない価値観や体験を持つ他人が出る番組に惹かれがちです。

でも、なんとなく「他人から影響受ける」って言うと、悪い印象を抱かれる気がしませんか?
自分の軸を持っていない、流されやすい、というネガティブな感じ。他人と自分を比べる、という窮屈な感じ。
それに、「他人に興味がない」と言う知人が多く、皆そういうもんなんだなー、私が変なのかなー、と誰にもこんな話しをすることなく生きてきました。

その生き方、変じゃないよ!と思わせてくれた「永い言い訳」

私には何度も繰り返し見ている映画がいくつかあり、「永い言い訳」はそのうちの一つです。

あらすじ

原作は西川美和が書いた同名の小説で、主演は本木雅弘。
『妻が死んだ。これっぽっちも泣けなかった。そこから愛し始めた。』
長年連れ添った妻を突然のバス事故で失った、人気作家の津村啓こと衣笠幸夫。悲しさを“演じる”ことしかできなかった幸夫は、同じ事故で母親を失った一家と出会い、はじめて妻と向き合い始める。子どもを持たない幸夫は、誰かのために生きる幸せを初めて知り、虚しかった毎日が輝き出すのだが…。

とにかく主人公の幸夫が理屈っぽいし、愚痴っぽいし、とにかく自分が一番大事!な性格で序盤から嫌な感じを覚えます。妻が死んだとて、主語は「妻を亡くした僕」からブレないし、自己防衛、承認欲求がつきまとう男…嫌…

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そんな自己愛まみれの幸夫が、妻を失って初めて真正面から人と関わり、自分自身と向き合って変わっていくこの物語。

私が幸夫を何度も見たくなるのは、物語の終盤、幸夫が泣きながら「人生は、他者だ。」と書き綴るシーンにグッときまくっているから。

その言葉の意味を理解したときに、ものすごく腑に落ちました。

そうだよね。
やっぱり自分は他者なくしては成り立たない。
それは人に依存するということや、自分を見失うこととは違う。人の目を気にして窮屈に生きることとも違う。
他者と関わらないと自分を知れない、変われない。
他者に影響されるの、悪くないよね。

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インタビューの中で作者の西川美和さんは本作について「この物語は、“人生は自分だ”と思っていた人間が、“人生は他者である”ということに気付いていく物語」と仰っています。言われてみればそうだよね、ということをズバッと言葉にする西川さんに拍手喝采です。

他者と自分を比べるのではなく、他者に影響されながら生きていく

私はもっとそれを堂々と言いたいし、それが自分の生き方だと胸を張りたいです。他者に関心を持ち、関係を築く分だけ自分の視野も広がると思っています。

というのも、学生時代や関わるコミュニティが異常に狭かった幼い頃に、もっともっともっともっと色んな人間に出会っていたかった、影響受けていたかった!!と心底思っているし、ちょっとした後悔もあるからです。
その話しは、次回…

またしても取り止めもない話になってしまいました…最後まで読んでいただきありがとうございます!

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