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「自分のため」に作られた料理は格別だって気づいた色んな出来事

先日、友人2家族と納涼会をした。
納涼会と言っても、特に涼やかさはなく普通の飲み会。

もともとは外で集まっていたけれど、いつからか家で集まることが多くなった。

でもそれに、たいした理由はない。

"小さい子どもが数名いるのでお店よりも家のほうが気楽"とか、"飲み会が多い時期だとお店探しが大変"とか、それぐらいのことだったと思う。

そのメンバーが我が家で飲み会をするのは3回目ぐらいだろうか。

食べて飲んで喋る。毎回それだけ。

最初と変わったのは、手作り料理を持ち寄るようになったこと。

初回はお酒も料理も宅配にしたが、2回目から料理は持ち寄りに。
それぞれが食べたいものを2〜3品買ってくるという話だったのに、誰かが冗談半分で言った「手作り」に皆が乗っかった形になった。

とはいえ、気合いを入れて特別なものを、というわけではない。
それぞれ作りたいものを作るだけ。

おそらく皆、普段から家で食べている家庭料理を作ってきたのだと思う。

結論から言うと、それは私にとって最高だった。

唯一にして最大のポイントは
友人の手料理が食べられること。

もちろん外で食べるご飯も誰かの手作りだし、美味しい飲食店は山のようにある。

ただ、『料理を作る人』が『食べる人』の顔を知っている。
それが前提にある料理は格別で、私の心にすごく染みた。

そんなことを考えていたら、ある忘れられない出来事を思い出した。

人の顔を見て料理する湯島のレストラン

約10年前のこと。
私はとある友人と湯島のレストランへ行った。

そこは少し変わったお店で、来店者の顔を見てから料理を完成させていくスタイル。

お客がお店に入ってきた時の雰囲気や表情、話したときに感じたインスピレーションを女性シェフが料理に落とし込んでいく。
そうして、そのお客のためのその日だけのコースが完成する。

それだけでも素敵なのに、そのシェフがあまりにも楽しそうに嬉しそうに料理してくれるので、自然とこちらも元気になる。

「お客様の顔を見た瞬間にどうしてもこれを食べて欲しいと思ったんです」そう言って出されたものもあった。

コース料理ではあるけれど、おそらく品数はちゃんと決めていない。

「目の前にいる人が楽しく元気になるように」
シェフはただそれだけを想って作っているのだ。

届いたばかりの新鮮なお野菜に、たっぷりの愛情を加え、私たちのためだけに作られた料理。
どれも最高に美味しくて、体いっぱいにエネルギーがチャージされていくのを感じた。

そして、この時に気が付いた。

「自分のため」に作られた料理は、格別だということ。

自分自身で作ったものでもいい。
家族や友人が作ってくれたものでもいい。

そこにたしかな愛情さえあれば、人を元気にするとてつもない力を発揮する。
食材の良し悪しとか調理の技術とかそういった話を超越した、特別な味わいが確実にあるのだ。

帰り際、素晴らしいお料理と大切な気付きをくれたシェフに感謝を伝えると、シェフが満面の笑みでこう言った。

「私たちがどれだけ素晴らしい料理を作ったとしても、家族のために作るお母さんの料理には絶対にかなわないんですよ」


最後に食べた母のごはん

湯島のレストランでの出来事があまりに印象的だった私は、当時始めたばかりのブログに書いたのだった。

すると、ブログ師匠でもある会社の先輩が感想を送ってくれた。

今日の話を読んだら、実家に帰って母親のご飯を食べたくなった。
親が自分のために料理を作ってくれる。それだけで特別なんだよね。

書き始めたばかりの私の文章が、師匠である先輩の心にこんなふうに届いたことがとても嬉しかった。 

こんなやり取りをした2週間後。

先輩のお母様が急逝した。
本当に突然のことだった。

私は驚きとショックとともに、咄嗟に思った。
『先輩はお母さんのご飯を食べられたのだろうか』

あの話をしてから2週間しか経っていない。
しかもその時は、もうすぐGWというタイミング。
GWに帰省する予定だったとしたら、きっと会うことすらできていない…。

私の中で様々な思いが交錯していたその日の夜中。
先輩から1通のメールが届いた。

「一言お礼が言いたくて」
そう始まったメールには、こんなことが書かれていた。

自分のための料理が特別という話をした後
一度だけ実家に帰って母親の手料理を食べることができました。

そのときは最後だと思っていなかったけど、
亡くなる前に、特別だって思いながら食べられて本当に良かった。

母親にそれを伝えられなかったことが残念だけど。

メールの最後には、こう書かれていた。
「大切なことに気付かせてくれてありがとう」

突然お母様を亡くした先輩の悲しみと、ご飯を食べられて本当によかったという安堵と、悲しい時に「ありがとう」という言葉をわざわざ伝えてくれた先輩の気持ちと。 

考えれば考えるほど色んな感情が入り混じって、私は涙が止まらなかった。

あの日、私の書いたブログがきっかけになったのだとしたら、それは見えない何かしらの力が先輩に届けたメッセージだったのかもしれない。

だとしたら、先輩が特別だと思って食べた感謝の気持ちも、お母さんにちゃんと届いていると思う。


あの日から色んなことが変わった

10年前のこの一連の出来事は、私の人生を大きく変えた。

料理に対する見え方や捉え方も大きく変わったし、自分が発する言葉や文章が思わぬところで大きな影響を与える可能性があることも知った。

その2年後、私は会社を辞めた。
私にとって尊敬して止まない人となった女性シェフは、湯島のお店を閉めて世界を旅する料理人となり。私は彼女のマネージャーになった。

天才的な直感とひらめきで料理するシェフの言動があまりにも不思議で魅力的だったので、彼女の大切な想いをマネージャー日記として世に発信した。

現在、私がこのnoteでパフェ日記を書いている『パフェバーagari』のパティシエ・ジョナさんとも、この女性シェフを通じて出会っている。

妊娠を機にシェフのマネージャーは辞めてしまったけれど、出産後、今度はそのジョナさんたちとパフェ屋を立ち上げることになるのだから人生はわからない。

そして直近の私はというと。
『世田谷十八番』というチームの中で、人の魅力を伝える活動をしている。

冒頭の納涼会をしたのは、この世田谷十八番のメンバー。
その人たちとの何てことのない飲み会が、何周かまわってあの日の大切な記憶へと繋がった。


すべては自分の未来に繋がっている

ブログ師匠の先輩とはあまり連絡をとっていないけれど、年賀状で知る限り同じ年代の子どもがいる。

母の料理を食べていた私たちが、今はそれぞれに親となり、今度は自分の作る料理が「親の手料理」と言われる側となった。

あの時とは色んなことが変わった今だからこそ、改めて「作る人」と「食べる人」の顔が見える料理の大切さを伝えたい。そんな気持ちがむくむくと湧いてきて、今この話を書くに至っている。

そんなことを言いながらも、私は未熟者なので、ごはんを作りたくない日や作るのが面倒だと思ってしまうことだって多々ある。

でも、そんな自分も受け入れながら、何気ない毎日の中に人生を豊かにする大切なカケラが無数に散らばっていること。そして、その小さなカケラに気付けた分だけどんどん幸せが大きくなること。
それだけは、ちゃんと胸に刻んで日々を歩んでいこうと思う。

この話が誰かに届いても、誰にも届かなくても。10年以上前に確かに感じたこれらの想いは、今の自分にだけでもきちんと届けたかった。

そして、明日からの自分へ繋げていきたいと思っている。

湯島のレストランへ行った時からずっと大事にしている言葉
「おいしいはうれしい」

この言葉は、これからもずっと自分の中で大切に育てていきたい。

🍚納涼会のラインナップ🍴
味玉/ポテトサラダ/ペンネアラビアータ
カリフラワーとブロッコリーのサラダ
もやしのナムル/おくらの煮浸し
枝豆/ハニーマスタードチキン
ポテトチーズ焼き/とうもろこしご飯

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