見出し画像

エイリアンマザー

自分のことを俯瞰して見たことがあっただろうか。
この本はタイトルのように、まるでもう1人の自分を遠くから見ているみたいだった。


専業主婦の小夜子は、ベンチャー企業の女社長、葵にスカウトされ、ハウスクリーニングの仕事を始めるが…。結婚する女、しない女、子供を持つ女、持たない女、それだけのことで、なぜ女どうし、わかりあえなくなるんだろう。多様化した現代を生きる女性の、友情と亀裂を描く傑作長編。第132回直木賞受賞作。

「BOOK」データベースより

自分の母親の煩わしい小言、保育園に入れる為に働き口を探した挙げ句、義母の「こんなにちいさいのにかわいそう」等の呪いの言葉、これで良かったんだと自身に納得させる”小夜子”
専業主婦の間は社会的に大人と喋る機会がなかったが、
仕事始めたら社会に馴染み、上手く喋れるようになった彼女は、保育園入園準備に終われ、寝不足である。

こんなの絶対絶対、体験した人しか書けないであろう。
細部に渡って、小さな的を次から次へと指してくるような、頷き箇所が多数ある。
環境や、出会う人々、状況は私に当てはまらないこともあるが、ひとり3歳の子どもを持つ小夜子の葛藤が手にとるように伝わってくる。
読了後、この作品は私の大切なお守りのようにもなり、最後の展開では涙してしまった。
しかし今回はレビューを書きたいわけではない。
思い出した事があるのだ。


私は若いときは浮世離れした(というと面白みがあるが)地に足がついていない人生を過ごしてきた。
結婚願望はゼロ。
働いてはいたが、毎日のように絵を描いて過ごしていた。
出展や公募、イベント、交流会、とにかく寝る間も惜しんで動いていた。
絵の仕事が入ったときは、20時くらいに仕事を終えて、電車で1時間ほど先にある別の仕事場のアトリエに移動した。
そして気が済むまで制作した後、近くに住んでいた上司と社員の家に泊まり込んだ。
今、過去の自分に天の声で語りかけるなら、人生設計を少しはちゃんとせい、と言うだろう。
あと、自分の癖やマインドが分かっているので、もっとこうすれば絵が上達するよ、とアドバイスしたい。

こんな私であるので、そうそう”お母さん”にはなれそうにない、と思っていた節はある。
自信がない、という以前にイメージさえも湧かないのだ。
ライフスタイルもかけ離れ過ぎている。
しかしひょんなことから今の旦那さん(ヒデさん)に出会った。
人生にはさまざまな分岐点があるが、子どもを授かれない可能性を真面目に考えたほうが良いかもしれない、と悩んでいた矢先、こちらの世界線では子宝に恵まれて、なんと私は母親になってしまったのである。

しかし、ファイナルファンタジーのように“絵描き”から“お母さんに”ジョブチェンジしたとて、中身はそうすぐには変わらない。
電車で見かけた優しい声で語りかけ、我が子を愛しむお母さん。
私とは似ても似つかず、そこには深い深い川が流れている。
何が違うのかは分からないが、彼女は「母」に全振りしているような気がするのだ。
ただ、これは日常の1ページが垣間見えただけで、このお母さんだって色々な顔を持っているのだろう。

私はどうだろう。
母じゃないときの自分は、どんなふうにアイデンティティを保つのだろう。

この世間知らずが、社会にいきなり放り出されて、
なんにもわかりゃしないのに母親の皮を被って、
周りについていこうと雰囲気を読み、必要なことを覚えて、だんだんと擬態できるようになってきている。
こんな自分を、ふと映画メンインブラックのエイリアンみたいだな、と愉快に思う日が月に1回くらいある。
(もしかしてまわりに気づかれているんじゃないか?)
だとしたら、この違和感やズレた感覚は、周りに合わせることで無くしたくない。
エイリアンとしての個性なのだから。
いつか「忘れないでよかったー。ニョロニョロ。」
と、思う日が来るだろう。
“お母さん”らしくなくたっていい。
人間もエイリアンも子どもを愛しているのには変わりない。

たびたび、自分がこの道へ導かれていなかったら何をしていたのだろう?と考えることがある。

もしもし、別の世界線の私。
そちらでは1人、絵を描く楽しさを貪欲に追求していますか?
別の人と結婚していますか?
ブルックリンでの展示以降、海外での展示はしていますか?
それとも田舎の実家に帰っていますか?

私がこの小説で思い出したこと。
世間で言う母親の「あたりまえ」を経験できたこと。
そこに気づきと大きな価値があったこと。
見かけでは分からない、苦労や苦悩を乗り越えて生活をまわしている人の強さと美しさが見えるようになり、心底格好いいと思ったこと。

あらゆる分岐点の先の、どの道が良かったかなんて比べようもない。比べる気はない。
とどのつまり、どの世界線でも自分の輪郭を忘れずに生きていきたい。
いつまでも世間から浮き足だっていても、それはそれなりに終着駅があるだろう。oasisのWonderwallみたいに。
最後の駅はどんな景色だろう。
誰と見るのだろう。

私のこの足が土を踏みしめ、毎日保育園の園庭を走っているのは、夫と娘のおかげだ。

あぁ、腕が4本あればいいのに。


映画[MIB]より

この記事が参加している募集

振り返りnote

私は私のここがすき

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?