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11月の蝉のぬけ殻に、宿る

「日常生活において、自然の些細な変化に気づくようになった。」
ニュアンスは少し違うが、映画監督の甫木元さんは余命を生きるご自身の母の変化をこのように語っていた。
似ている。と、ふっと私の頭に浮かんだのはまだ幼い娘の観察眼だった。

霜月。
夕日は足早に私たちの横を走り抜ける。
みるみるうちに一番星は夏より輝き、自分の輪郭も溶けてしまいそうな暗闇があたりに立ちこめた。
娘がつい30m先に居ても、夜に連れ去られないか不安なくらいだ。
一瞬、目を離した隙に神隠しに遭わないよう、てんどんまんのライトブレスを腕に付けてやる。
7色にりんりんと光るそれは、カラフルな棒付きキャンディーに似てのんきな目印になった。
保育園の帰り道には、点々と街灯が立っている。
そのすぐ脇に背もたれのない2人がけのベンチがある。
仕事の疲れを引きずった早く帰りたい母をよそに、娘はそこに毎日よじ登る。

初めは街灯の側に座りたいだけだと思っていたが、
「まぁま、みて」
私の小指より細いひとさしゆびを、ピンと植え込みに向ける。
夏の間に脱いだであろう蝉の殻は、椿の葉にしがみつき、そこに居た。
カラカラの握りつぶしたら「クシャ」と音を立ててしまいそうな素材と、油が乗って黒々した葉の対比。
毎日そこを通る娘だけが、気づいていた。
か弱いそれは、雨の日も、風の日も、耐え忍び形をなしているのに、とうの本人は不在で、暑い旅の末もう土へ返っている。
「蝉のお洋服だったんだよ。」
私は言った。
未だ“そこ”に虫がいると思い、観察を欠かさない娘は、日に日にその事が分かり始めているが、もう少し時間がかかりそうだ。
いつものように、せっせとベンチによじ登っていたら、近所のおばあちゃんに会った。
「ここにむしがいるの」
と、娘は自慢げに教えてあげていた。
確かに、そこにはまだあのこが居るのかしれない。

そういえばまだ暖かい日が続き、のんびりしていた先月。
四季を教えるのにあたり、葉っぱが赤くなったり、黄色や茶色になると秋だよ。と伝えていた。
「わー、あきだー!あきがきたー!」
一等先に赤く染まった、公園の隅に佇む1本の木。誰が気づいてあげられただろうか。
嬉しそうに駆け寄る姿を見た時、
「あきがきた」の歌を地でいく娘に自分の目を重ねて、有り難さを感じる。

私がいつかおわるとき、この懐かしい気づきの再訪を願う。


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