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次の担い手不在、離島の小規模事業者であるタイケイ製糖の将来を模索している中で、現段階で思っていること

なんとなく年一回、年末年始の暇な時期に更新していたこのブログですが、2023年の年明けは奄美で迎えた関係で、バタバタしていて更新しませんでした。(※2024年の年明けではなく)
…というのは言い訳です。

ありたい姿は未だありたい姿のままで、つまり途上の状態で、常にもどかしい思いも抱えていますが、振り返ると、2023年は大きく前進した一年でした。
色々と報告したいことはあるのですが、何から書いたらいいのかわからないし、どこまで書いたらいいのかわからないというのが正直なところです。

というのも、コントロールできることはやったり、やりかけていたりしている状況ですが、ありたい姿に到達するには、他者との関係性から生まれる動きなど、コントロールできない&コントロールしない方がいいだろうという要素に大きく依拠しているためです。


以前から疑問に思っていることがありました。代表者や経営層は日頃からすごく勉強や観察をしていて、発言や発信してる内容はとても素晴らしくて真っ当なのに、実際には現場は疲弊していて、人が定着しないために無駄が生じているスタートアップがなんと多いことか。
それは、端的な言い方をすると、仕事にしてしまっていることが一因ではないかというのが私が抱いている仮説です。

明確に金銭を生むタスクが確立されていない状況で、「(給料を払うのだから)やってくれて当たり前」という関係性ができてしまうことがまずいではないかと。
「人間、イヤになったらやりたくなくなるものですよ」という原理を見失ないやすい関係性です。

あとは、組織の労力、戦力としての要素が濃くなり、それ以前に感情を持った人であり、私人としての生活があることを時には忘れざるを得ない関係性になってしまうこととか。。

代表の中田さんは、自分ができることを頑張っているし、できないことにも果敢に挑戦しています。ですが、得意なことと得意でないことがあって、ついつい見ていて「あー、ここはこうしたらいいのに、してあげたい!」と、周りに思わせてしまいます。
(例:調べ物をするために図書館に行ったがわからなかったというので、インターネットで検索してみるよ、と言いたくなるとか…)

そして、提案者にまるっと任せます。そこで利益が生まれたら提案者に様々な形で還元しますし、自らのリソースも投入します。単純にいうと手伝います。
たまに、一体どっちが手伝っているんだ?という状態になりますが、ここで茶々を入れないこと、相手のやる気を潰さないというのが最も感心している部分で、相互依存を実現しているのだと思います。

 熱心な創業社長ほど、梃入れと茶々入れがごっちゃになっていることがありますが、私には、中田さんはこの感覚が絶妙であるように見えます。

やって欲しいと頼んだり、一生にやろうと声をかけるなどの意思表示も大切ですが、それ以前に、自分が頑張る姿勢で示すことと、人として手を取り合う姿勢が大事なのだといつも感心させられます。


そうした文脈で、今、この途上の状態を評価するとしたら、間違ってはいないと思います。
この評価は何に依拠するかというと単純で、私がタイケイ製糖の周囲に集まる人たちが好きだからです。

「愛される組織になりましょう」とはよく聞く言葉ですが、逆で、集まる人たちのことを自分が好きだと思えていることが重要だと考えます。
所謂、両思いのような状態になれていることは、関係性を続けて行く上で根本的に欠かせないことだからです。

これからのことは、私的な性分になりますが事後報告派といいますか、結果を示していくことで諸々報告できていったらいいなと思います。

今はどうしても曖昧になってしまいます。悪しからず。。


写真は2023年1月2日、名瀬から徳之島に向かう海上から。ちょうど加計呂麻島越しに朝日を拝みました。

追記(24.2.25)

最近、ある出来事から、ありたい姿を隅々まで具体的にイメージできていないんだな、解像度にかなりムラがあるんだなと思わされて、反省することがありました。

ですが、しばらく経って、それが悪いことかどうかというと、悪くないというか、それで良しだったんじゃないかという思いが湧いてきました。
FBで知人が変わった求人を打ち出していたことを目にして、ちょっと確信を持てました。勝手ながら近いしものを感じています。↓こちら。

人に何かを依頼する際は、完成像のイメージが具体的にないとまともに依頼することが難しいけれど、
”拡張性”や”発展性”に期待したい場合は逆で、相手からの提案を受けないといけません。
この時に、中途半端に具体的なビジョンがあっては、正解を当ててもらうような姿勢になってしまい、つい茶々を入れてしまう。
せっかく能動的に関わろう、アクションを起こそうとしてくれている人のモチベーションを潰してしまいかねません。

人柄とセンスが信頼できる人の中に、たまたまアイデアや専門性を持った方がいて、「こここうした方がいいよ」と声をあげてくれて、そこに対して「どうやったらできる?」「じゃあお願い」という会話から前進していけることが理想でしょうか。

なので、自分の解像度が粗い部分=”余白”と言えるかもしれません。他者から見た際の”提案できる余地”とも言えます。
「余白を持つこと」とはよく聞くようで、いざ説明せよと言われると窮してしまう概念でしたが、自分なりの「余白の持ち方」が定まったような気がします。

今のところ、関心を寄せてくれている方々はいい人たち、面白そうな人たちばかりなので、
次は提案…を期待する以前に、実際に来て、見て、体感してもらうことがないと始まらないので、加計呂麻島に行っちゃうほどの好奇心を育むことがこちら側が取り組むべきことかなと思います。
僻地の中の僻地なので、遥々やって来てくれる人はきっと面白くて、いい意味で変で、魅力的な人なのだろう、と期待したいです。

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