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自分の言葉の上で踊れ


言葉にはチカラがある

noteに記事を書く。

書くことに関してはとかく苦手意識高め。
自分のnote記事をごくたまに読み返す。

先日もちょっと読んでみた。
そこで発見した。

私は案外キャッチーな言葉を使うな…。

意外だ。

なぜなら私は今どきの流行り言葉は好きでない。

…と言いつつ、

好きではない、と言ってる時点で、きっとそこそこ意識しているんだろうと思う。つい、反応してしまうんだと思う(苦笑)。

なぜつい反応してしまうのかと言えば、

自分がこれまで流行り言葉や表現に時に頼り、時に踊らされてきたから…かもしれない。

言葉は人を惹きつける。
時に人をある方向に導く。

いつだって言葉はチカラを持っているのだ。

言葉に踊らされるな⁉︎

これってまさに、言葉にチカラがあるからこそ、の表現だ。

言葉がこれほどまでにチカラあるものならば…

むしろ言葉によっては、その上で踊ってもいいんじゃないの?

ふと思った。

誰か他人が作った言葉や言葉が示すひとつの価値観に踊らされることにならないようにしよう。

言葉に踊らされるな、とはそう解釈できる。

ならば、自分が踊る舞台は、他人の言葉で作られたものではなく、自分の言葉で作られたものであればいいのだ。

その上で自分が意図して踊るなら、踊らされるのではないのなら、それは唯一無二の自分の踊りになる。

noteで記事を書いているときのように、自分の言葉で紡げば紡ぐほど、これがまさに自分の言葉というのが見つかっていく。

言葉が自分流に磨かれていく。
大切な言葉が残っていく。

そしてそれらが敷き詰められた舞台で踊る。
自分にとって大切な言葉の上で踊る。

そう頭の中で描いていったら、想像出来たのは、まさに初心者が作ったような、荒っぽくて無骨な感じの舞台。
そんな自家製の舞台の上で踊ろうとする自分が浮かんだ。

なかなかいいって思う。


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