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もやもやさん、いらっしゃい

もやもやと向き合えたなら

またいつもの毎日が始まった。

休み明けでちょっと気が重たい。
そんなときでも、どんなときでも、仕事をしていて、今日は良かったと思う瞬間が私にはある。

それは、目の前の人が自分の本当の気持ちに向き合えたとき。

相談者からすれば、相談をしていて胸の内を語る時、私という他人が目の前にいる。
相談者が語りながら自分と向き合えたと思う瞬間、私もその瞬間に立ち会うことになる。

そんな感動の瞬間に出会えるたび、
立ち会う立場のいるだけではなく、私自身がもっと自分の気持ちに耳を傾けたい、自分と向き合いたいと思うのだ。

〝どんなことも楽しもう。〟

時折目にするこのフレーズ。

確かに何事も楽しんだほうがいいよね。

日々そう思いながら過ごしていても、
実際には、誰にとっても辛そうなこと苦しいことを楽しめって無理でしょう!とやっぱり思う。

一方では、楽しいことを楽しめるのは当たり前で…それだけではね、とも。
じゃあ、どう考えたらいいだろう?

そう思いつつ、これは楽しめるっていうほどでなくても、もっとニュートラルに捉えられるといいな、ということが昨年出てきていた。

時々自分の中に出てくる〝もやもや〟だ。

ずっと〝もやもやさん〟の存在が気になっていた。

もやもやの中には自分自身がいまだ発見してないものが隠れている。
いつも何か見つかるのはもやもやさんが現れたときだ。

もやもやには可能性がある。
ずっともやもやと霧がかかっているとつらいけど、晴れた時の爽快感を楽しみに、もやもやすらも楽しめたならどんなにいいか。

そんな気持ちが出てきていた。

今や歓迎。もやもやさん。

最近の私は明らかに求めている。
もやもやさんを。

楽しめたらどんなにいいか、と思っていたのが多分半年ぐらい前。
それがいつのまにか、歓迎したいお方になってきているから自分でも驚きだ。

なぜそんなにもやもやさんが好きになってきたのか?
それはもやもやさんが現れた時にしか得られないものがあることを知ってしまったから。

もやもやが現れた時、
このもやもやはなんだろう?
とその中を探っていく。

すると、これまでそれまでの自分からは見えなかったものが見えてくる。

ああ、こういう気持ちが渦巻いていたんだ。
こんな思いとあんな思いが隠れていたんだ。

これまでもそんな体験を何度もしてきた。

もやもやを素通りしたら、ずっと発見できなかった自分の本音。

私はいつも自分の本音に耳を傾けたい。

ということは、私の欲しいものはもやもやの中にこそ隠されている。

今までは、もやもやが出てくるのが嫌だな不快だな…だった。

正確に言うと…

もやもやが出てきたとき不快感はある。

でもそれは、汗をかいたときの不快感のようなものかもしれない。
汗をかいても、そのあとシャワーを浴びたらさっぱりする、ということを知っている。だから汗をかくことは不快だけど、そこまで嫌ではない、というのと似ているかもしれない。

しかもサ活なんて流行ってきているみたいに、状況によっては、むしろ汗をかくのはよいこと、という知識も助けになっていて、汗をかくこと自体が心地よかったり、そのあと早くさっぱりしたいけど、さっぱりを味わう手前のちょっとした不快感だ、ぐらい。

私にとっても最近のもやもやはまさにそれに近い。

不快のあとのさっぱり感というか閃きというか、
私がその先の何かに出会うために必要なのだ。

だからもやもやが現れると、不快感もあるけど、それ以上のワクワクがちょっと後から追いかけてくる。

いらっしゃいだけど…ちょっと怖い

もやもやさん、いらっしゃい!と今の私は歓迎モードだけれど…

実際のもやもやさんは突然現れる。
しかも、もやもやの中から一体なにが現れるかわからない。

今回のもやもやって、実は歓迎している場合ではないのでは?

ほとんどの場合、もやもやには不意打ちされそうになるから、動物的本能からか、気がつけば身構えている。

いらっしゃい!なんて言っていられるのは、もやもやさんが遠くにいる時だけで、実はつねにちょっとした冒険なのかもしれない(笑)。

それでも…

もやもやさんをウェルカム出来るときが増えればいい。

だって、もやもやさんを実際に歓迎出来るなら、

それは、自分の中に埋もれた、未発見の宝の地図を手にするようなもの。
どんなものでも、自分の中に発見した何かなら、それはかけがえのないもの。

しかも…
もやもやと向き合い、自分の中を冒険してみよう!

そんな気概が持てるなら、それだけでまずは自分を褒めていい。

そう思ったら、もやもやさんの存在をそれなりに受け入れてる自分は、それだけでもまあまあ向き合っているような気がしてきた。

もやもやなんて、いない、ないと思ってしまえば、自分の中からもやもやさんは消える。見えないものになる。

消えるけれど、消えてしまえば、その奥にある宝物を発見するチャンスはきっと巡ってこない。

私はこれを書きながら、今年はもやもやさんを、いらっしゃい!ともっとウェルカムしたくなってきた。

今年一年、たくさんのもやもやさんに出会えますように。
同じくもやもやさんを求める人たちにも、たくさんの出会いと発見がありますように。

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