〝違和感〟を感じるゆとりと勇気
自分にやさしく。
最近は、〝セルフコンパッション〟なんて言葉もある。
この表現の伝わり方響き方は、きっと十人十色なんだろうと思う。
自分を大切に。
自分にやさしく。
だったら、自分にこうしよう、と思いつくことは、かなり人によって違うことだろう。
この表現から、今の私の頭の中に真っ先に浮かんだことは、〝違和感を大切に〟ということ。
私にはずっと感じてきた違和感があった。
それなのにそれを〝ない〟ものとしてきた。
無視してきた。
いや、無視なんてもんじゃない。
無視っていうのは、それだけその存在を意識していて初めて出来ること。
私の場合、存在を意識すらしていなかった。
意識しなかった、いや、出来なかったには理由がある。
おそらく、意識した途端、さぁどうする?と、その先の決断と行動をどこからともなく迫られる気がしてならなかったからだと思う。
どこかでそれがわかっていたから、意識しない状態を自分の中につくったのだと思う。
決断と行動。
そんなゆとりと勇気のカケラもなかった私がしたこと。
それは〝意識すらしない〟ということだった。
そうして、ゆとりも勇気も持ち合わせてないけど、とりあえず生き抜かなくちゃならない自分を守ってきたのだと思う。
だからこれまでの私がしてきたことは、自分にやさしく、とか、セルフコンパッションとか、とはちょっと違うのかもしれないけれど、そのフィールドに立つ前の柔軟体操か準備体操みたいなものだった。
つまりそれなりに意味がある。
そのときの自分を守るという意味が。
そして今の私に出来ること。
それは違和感を意識するということ。
これは以前の私なら、持ち得なかったゆとり。そして勇気。
これを成長と言わずなんと言うだろう。
今日職場に行って、目の前に現れたのがもうひとりの私であったなら、きっとそんな対話をしたくなる。
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