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アウトプットという自己防衛

生きるとは自己防衛の連続だと思う。
ヒトは生き物というところに立ち返れば、自己防衛は基本の基だろう。

これまで私にとっての自己防衛は、主張より知識を蓄えること、闘うより回避することだったと思う。

このnoteでも何度も書いている気がするが、私は育ちの環境から、主張することも闘うことも、とうの昔に諦めていた。持って生まれた資質も争いを好まないタイプなので、そうして、ただ平穏な日々や平和な世の中を望む気持ちだけが強く磨かれてきた、と言えるかもしれない。

そんな私が、知識よりまず主張、とはまではいかなくとも、こうしてnoteにアウトプットして出し続けているのは、自分自身に対する信頼度がアップしてきたからかなと思う。

逆に言えば、これまでは自分への不信感でいっぱいで、まだまだ足りない、とひたすらインプットを続けてしまっていた。

そうして自分を守らなければ、と必死だったかもしれない。必死なのは、自分が守ってくれて当然の存在に守ってもらえない体験を重ねたことで、潜在的に、親にも守ってもらえないのに、誰か守ってくれる人がいるはずがない。
だから守る術=知識を身につけなくては、と。

かと言って、さほどの知識も身につかず、自分で自分を守る力も充分ある気がしなくて、いつも怯える自分がいた。

怯えていたけど、こんな思いをしている人は助けないと、と思って気がついたら、支援者だった。そして、支援者を続けるために必要となる自己理解と成長を目指してきた。私の中ではそんなつもりだった。

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そして最近。

アウトプットをしていくうちに、出すことで得られる力、力強さみたいなものを自分の内側に時々感じるようになってきた。

自分の中には何もない、足りない、と思っていたのに、案外あれこれ出てくるからだ。
何もない、空っぽなわけじゃないんだ。

何もないことを証明は出来ない。証明できないから、自分がそうと思い込んだら、ある意味覆されることもない。強固だ。

でもアウトプットする度にいつも何か生まれてきて、自分の中に何もないわけではないことがある意味証明されて、一気に私の変な思い込みは崩れ去った。
守ってきたはずの壁は崩れたのに、知識も増やしてなければ回避もしていない。でも、むしろ自分が強くなって守れている感覚。

知識を入れて入れて回避して引いて…を止めて、出してアウトプットする。
引いてダメなら押してみたら、なんかいい感じになった。

アウトプットで自己防衛。出していくことが守ることになるなんて。
どうやらアウトプットすることで、体幹や自分軸と呼ばれるような、自分の真ん中にあたる部分が鍛えられてくるようだ。

自分の真ん中を感じるようになって、こちらのほうが身が軽くなった気がして好きだなと思う。万年ダイエット中だけど(苦笑)。
だからやっぱりこれからもアウトプットを続けられそう。いや続けたいと思う。


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