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私が撮りたいのは「自分いいじゃん」と思える自然体

私はなにがしたいんだろう?

人の自然体を撮りたい。撮られることを意識せず、いつも通りに振る舞う姿を撮りたい。

それを本人が見て、「自分いいじゃん」って、客観的に自分を知るきっかけになったらいいなって。


じゃあ、なんで人が“自分を知るきっかけ”をつくりたいんだろう?

自分が思う自分と、周囲の人が思う自分はちがうと思うから。自分では「全然だめだ」と思っていても、客観的に見るとだめなところだけじゃないから。

得意なことと苦手なこと、良いところとあんまりなところ、色々ひっくるめてひとりの人間だと思うから、全体をバランスよく見て自分を認識できたら「これも自分の一部か!」と思えるような気がする。


親の負担にならないこと、周囲の役に立つことばかり考えていた私は、相手の反応を通してしか自分を知ることができなかった。

だから、社会との繋がりを失った私は、自分が存在していることを肯定できなかった。


でも、3年近く無職のまま生きてみてわかったのは、本来生命はなにをせずとも存在を肯定されているのではないか?ということ。

もっと言うと、誰かが存在を認める、肯定するという話ですらなく、ただ存在しているだけ。そのことに可も不可もないんじゃないか、と思って。

でも私たちが生きる社会では、わかりやすい結果を出せば褒められて、そうじゃなければ褒められない。そんな環境で、ただ自分のことを「いいじゃん」って思うなんてそう簡単にできないと思う。


だから私は、写真という手段を使って「自分いいじゃん」と思えるきっかけを届けたいのかもしれない。

自分さえ自分のことを信じられれば、苦しいときも先が見えないときも、なんか大丈夫って思える気がするから。

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