見出し画像

死刑台のエレベーターのフェルマータ、そしてリフレイン

トランペットを始めることになった。

吹奏楽をやっていた父のものを貸してもらえる。
初期投資なしでチャレンジ出来るのはなんとも心が軽い。

中学生の頃から鈴木雅之が好きで、彼がいたバンド『ラッツ&スター』も好きだ。よく行くカラオケスナックで歌う時、間奏で演奏できたらいいなと思った。
肺活量を使うからダイエットにも良さそう。
そしてもうひとつ、大人になってから好きになったトランペッターがいて、彼のような演奏をしてみたいのだ。

マイルス・デイヴィス。
言わずと知れた「モダン・ジャズの帝王」だ。

にわかジャズファンなので下手なことは言えないが、彼のトランペットは時は叫び声のように、時にすすり泣き、しゃくりあげる。まさに「声」のようなのだ。
「もののあはれ」に突き動かされる「うたごころ」、と言っても過言ではないだろう。
自然の情感を込めて「歌い上げ」ながら野暮ったくない、クールでヒップな都会っぽさ、洗練されたスタイルがあって、聞いている側をうんざりさせない、むしろ挑発し、引き込んでいくような魅力がある。

個人的には1950年台後半のモードジャズが聞きやすくで好きだけれど、「録音」として作り込んだ『ビッチェズ・ブリュー』なども、元気な時に集中して聞くと世界観に圧倒され、一度沈んだ黄泉から浮かび上がってきたような、不思議な気分になる。

マイルスが劇中音楽を手掛けたフランス映画に、『死刑台のエレベーター』がある。


いくつかの筋が絡み合う複雑なプロットのフィルム・ノワールなのだが、すごくざっくり言うと、金持ちの夫を殺して結ばれたい不倫の恋人同士がひたすらすれ違い続けるサスペンスである。

女は恋人が途中で怖じ気付き、他の女と逃げたと疑い夜のパリをさ迷う。
突然の雨に濡れながら歩き回る彼女の心のすすり泣きを、マイルスのトランペットが拾い、響かせる。

男はどうか。

夫を首尾よく片付けたはいいが、現場から去る際にふとした手違いでエレベーターに閉じ込められてしまう。
脱出を何度も試みるが、もう少しというところで失敗し、男は疲弊し、憔悴する。
短くなるまで吸い付くしたタバコの煙が密室に充満した匂いに包まれて、男は長い溜め息をつく。
マイルスのトランペットに響かせて。

まさに『出口なし』。
停まってしまった『死刑台のエレベーター』の中、男は何も出来ない。
天国に昇ることも地獄に堕ちることもなく、元の世界に戻ることも許されない。
愛した女に還ることさえ。


劇中恋人達は、冒頭での電話のシーン以外では接触することがない。
直接会うシーンも一度とてない。
一緒にいるのは下のような写真の中でのみ。
そしてこの写真こそ、最後に現れる二人の「地獄」を開く鍵になるのだった。

僕は長い間、停まってしまった「死刑台のエレベーター」に閉じ籠っている気がする。

上に行っても、下に行ってもそこには「終わり」があるだろうと思っていた。
天国か、地獄かの違いだけで。
エレベーターが停まった時、僕は引き延ばされた「終わり」をあえて強く求めることはせず、煙草を燻らせて永い時間を埋めていた。

ある時、エレベーターが動いた気がした。
ここぞとばかりにエレベーターを動かし、一番下に着いたと思っていた。

しかし扉は開けられない。
外に出ることは出来ない。
そして何より、一番下だと思ったこの場所でさえ、どこかの一番上になっていると気付かされてしまう。

結局僕は、「天国」にも「地獄」にも留まることが出来ず、「誰でもない」として歌い嘆くしかないのだろう。
マイルスのクールなトランペットソロに乗せて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?