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3.11 神様なんていないと思った日


9年前の3月11日。

私は風邪をひいて、家で寝込んでいました。熱が下がらず、体がだるくて頭も働かず、ぼーっとしていました。確か、水か何かを飲もうと布団の上に座ったとき。みしっという軋む音と、電気のスイッチの紐が揺れているのを見て、地震に気づきました。

大声で何度も母を呼んで、ようやく部屋に来てくれた母とリビングに避難した。私の記憶ではそうなのですが、後から母に聞いた話では、すぐに私を連れてリビングに避難したとのことで、熱で意識が朦朧としていたせいか記憶が正確ではありません。でも、揺れが弱まるまで私を毛布でくるんでずっと抱きしめてくれていたことは覚えています。

今まで経験したことのない大きな揺れに不安が広がり、初めて命の危険を感じました。一度揺れが収まってから、母は近所に住んでいる祖父母の様子を確認しに行ったため、一人リビングで続く余震に耐えていました。

テレビ画面に映る、中継映像。上空から撮影された東北の街並み。それはもう私が知っている海の波ではなく、所々燃え上がった黒いドロドロした液体のような何か。それに街が侵食されていくのを、ただただ見つめていました。

これは夢かな?熱に浮かされて見ている幻想かな?

一度本気でそう疑いました。そして、中継の画面が切り替わったとき、そこに映るリアルタイムの映像に、ぞっとしました。

まだ走っている車。それを飲み込む黒い波。

経った今、人が死んでいく。

それを目の当たりにしてしまった、あの時の体の震えは今でもはっきり覚えています。

一夜明けてもほぼ毎日余震が続き、安眠できない夜。揺れていないのに揺れているように感じる、地震酔いで優れない気分。テレビではひっきりなしに震災に関するニュースが流れ、CMは全てAC。日に日に増えていく行方不明者と死亡者の数。受け入れがたい現実は、確実に現実であることを思い知らされる毎日。そんな日々に、子供ながら思ったこと。

神様はいない。

だって、もし私が神様だったら、こんな惨いことしない。本当に神様がいたら、助けてくれるはず。ただ日常を生きていた、ただそこで生活をしていただけの人たちに、こんな死に方させない。何の罪もない人たちを、一度にこんなにたくさん、深く傷つけるようなことしない。

だからきっと、神様はいない。そうじゃなきゃおかしい。

そう思いました。

亡くなった人たちはもちろん、傷つくだけ傷つけられて残された、これからも生きていかなければならない人たちを想うと、いたたまれなくて胸が痛みました。会ったことのない、きっと一生関わることのない人たちを想って、泣いてしまったあの日。

あれから9年が経ち、私は大人になり、なんてことない毎日を、普通に生きています。

目をそらさないと、心を正常に保てない現実。こんな時、何の役にも立てない自分の無力さ。自然の脅威を前に、成す術のない人間の弱さ。それでも生きていかなければならない、残酷さ。それでも生きていこうとする、人間の強さ。

いろいろなことを感じたけれど、一つ確かに言えるのは、なんてことない日常を毎日当たり前に迎えられることは、決して当たり前なんかじゃないということ。日頃当たり前だと思って生活できていることがどれだけ贅沢か、思い知らされました。それこそが幸せなのだと、実感しました。

家族がいて、友達がいて、大切な人という言葉に思い浮かぶ人が何人もいて、その人たちが今、自分と同じ時を生きている。帰る家があって、屋根と壁がある部屋で、暖かい布団で眠ることができる。食べ物に困らず、飲み物に困らず、好きなものを好きなときに買うことができる。なんの心配もなく、明日を迎えられる。
挙げだしたらきりがない。

日常にこそ、幸せは在る。
そこに気づけると、日々の生活のあちこちに潜む幸せを見つけられると思います。

当たり前なことなんて、一つもない。
それを忘れず、これからも生きていきたい。

完璧に傷が癒えなくても、少しずつでも、幸せへと歩みを進められる人が増えますように。
特別なことはなくていいから、ありふれた、何気ない、なんてことない日常が、これからも続きますように。
どうか、不幸を上回る数え切れないほどの幸せが、傷ついた多くの人たちに訪れますように。

願いを込めて。



                            2020.03.11


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