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自己肯定感で救いを与えるオードリー若林さんと現代日本社会のチャップリン

noteで若林さんに関する色々な方の投稿を読ませて頂いていると、「若林さんに救われた」と表現している方が少なくない事に気づく。
「好き」を超え「救われた」と。

なぜ若林さんに「救われた」と感じるのだろうか。この「救われた」とは具体的にはどのような状態なのだろうか。

どうやら最近よく耳にする「自己肯定感」という言葉が、本件の解像度を高めてくれる鍵となりそうだ。今回はここを起点に若林さんの人気の秘密を紐解いてみたい。

現代社会のパワーワード「自己肯定感」

「救われた」という言葉は、幸福感を得たというより、ネガティブ思考から解放してもらった、という方が近い。

そして今、ネガティブ思考からの解放は、巷で「自己肯定感」という言葉で表現されている。

心理カウンセラーの中島輝さんは東洋経済の中で「自己肯定感」を2つの状態で表現している。
① 自分が自分であることに満足している
② 価値ある存在として受け入れられている

現代日本社会ではこの「自己肯定感」を満たすことがどんどんと難しくなっている。

他人のライフスタイルという刺激物がネット上に溢れる中、ありのままの自分に満足することは容易ではない。

一歩社会に出れば新自由主義による仁義ない採点がくだされ、半端者は容赦なく価値なし、と切り捨てられる。

かつてのように日本という母艦が世界を席巻しているわけでもなく、今や先頭集団から遅れ、必死に存在価値を模索している。

会社に長く勤めていれば半自動的に役職や給与が上がることで価値を感じられる旧式の構造が終わりを告げている。

放っておくと「自己肯定感」はどんどんと失われていくのだ。

喜劇王と同じやり口

そんな現代の日本社会において、若林さんは「自己肯定感」を満たしてくれる「救い」の存在となっているのだと思う。

若林さんがエッセイに綴る新自由主義に対する違和感や、ラジオやトーク番組で語る日々の葛藤は、多くの人が共感する悩みそのものであり、若林さんはその内面に宿る想いや憤りを曝け出すと同時に笑いに昇華させてくれる。

これは、庶民の怒りや悲しみを笑いに織り交ぜて表現した、あの喜劇王チャップリンと同じやり口ではないだろうか。


悩みに共感してもらう事や想いへ寄り添ってもらう事は、今ある自分を受け入れてもらえる事であり、自己肯定感が満たされる。

それは心理学者の著書の中や教会で神父さんにお願いできる事かもしれないが、しんみりするより笑えるのであれば、それはより素晴らしい。受け入れてもらいたいと同時に、人は笑っていたいのだ。

この一見相反する2つの感情を、パントマイムという国境を越える表現の中で融合させたことが、チャップリンが偉大たる所以だと思う。

そして、現代の日本社会において、この超高難度のランデブーを超高水準に実現しているのが若林さんということなのだろう。

若林さんが語る内面に宿る想いは、誰しもが通ってきた「あの」道であり、完全に芯を食っている。

笑いの水準は言わずもがなであり、類まれな言語化の才能と空気を読む力により、この2つの感情を陽気に掛け合わせてくれる。

この掛け合わせが日本一であり、若林さんが日本有数の支持を受けている背景なのではないだろうか。

現代日本社会における喜劇王の誕生である。


若林さんは何と言うか
「これはね、、正直考えたことはなかったんだよね。単に笑いは笑いで面白いことをやりたいって想いでやってきて、それとは全く別の話として日々考えたことを曝け出してきたってだけなのよ。この2つを混ぜ込むことがまさかチャップリンとは思わないし、別の話として取り組んできたものが結果的上手く組み合わさって見えてるだけだと思うんだけどね」
「若林さん、スティーブ・ジョブズのconnecting the dotsですな」
「何かっこつけてんだバカ。お前は早くドッキリとボディービルをconnecting the dotsさせろや」
「うい」
ドッキリとボディービルのランデブー、、、

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