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メンバー自己紹介 ③坂下鼓太朗

こんにちは!
簡単にですが、僕の紹介をさせていただきます。
初めまして!な方も、今までお世話になった方も、今の僕をそのまま言葉にしていきますので、読んでいただけたら嬉しいです。

釣りと、ヒトと、料理と

坂下鼓太朗 千葉県出身 隠岐島前高等学校卒 22歳 料理人 

好きな女優は、オードリー・ヘプバーンです。

趣味は沢山あって、小さいころからスキーに没頭していたり(ホームゲレンデは野麦峠)、シーカヤックやデイキャンプ、車などアウトドア志向な父親から多大な影響を受けています。
映画も結構観ます。リチャード・リンクレイターの作品が好きです。
あとは、キャンドルを灯す時間も大好き。花や器など、自分の居住空間に繋がるものは全て。
とにかく、少しでもいいなと思ったらどんなモノ、コトでも自分の手で触れるようにしています。
そして、忘れてはいけないのが“釣り”。中でもアオリイカを狙ったルアーフィッシング(エギング)に脳を犯されています。イカがエギ(イカ専用の疑似餌)を抱きそうで抱かないもどかしさや、うまく誘いがハマって、勢いよく抱き着いてきたとき。あの瞬間を想像すると、海に行きたい衝動が抑えられなくなるんです。

1月、千葉・鋸南町で釣れたアオリイカ

中学校卒業までは地元の千葉県で過ごし、高校は毎日釣りの出来る環境だけを求めて島根県の離島に島留学(少子化などの進む島が、日本全国、そして海外から生徒を募集する国内外留学制度)をすることにしました。
偶然にも同じ寮の仲間に釣りバカがいて、授業が終わると全力疾走で海に向かい(どの部活よりも放課後の活動開始が早かったと思う)、2人でひたすらルアーを投げる日々を過ごしていました。恐らく、シャープペンよりも釣り竿を持つ時間のほうが長かった気がします。
ある時から、釣りに夢中になっている僕らに、島の人から声をかけていただく機会が増えました。
島の人がやらないような場所(島には他にいいポイントがたくさんある)で釣りをしていただけに、「こんなところで何を狙ってるんだ?」から始まり、島のことや僕らのことをたくさん話すように、、、
いつしか、この島のもっと色んな人に出会ってみたいという好奇心を抱いていました。

高校の寮にはハウスマスターという、寮と地域のつなぎ役のような方が生徒と一緒に暮らしていて、僕はその方に相談し、島で1番の大漁師さんのもとへ連れて行っていただきました。
この機会が、”ヒト”や”ヒトとの繋がりの素晴らしさ”の魅力に引き込まれた原点だったと思います。
漁師さんは僕を船に乗せ、岩ガキの養殖場まで連れて行ってくださいました。
岩ガキが食べられる大きさに育つまで3年くらいかかることを知って、この海での過酷な作業が3年分も積み上げられたものだと考えると、胸がギュっと締め付けられました。
食材に込められた漁師さんの想いに、人生で初めて目を向けた瞬間でした。

本当に見えるべきなのは、“たべるヒト”の顔なんじゃないか

それからは好奇心に任せて、生産者さんをはじめとする地域の方のもとへたくさん足を運びました。
実際、ご迷惑をお掛けすることがほとんどだったと思います、、
それでも、そんな僕を温かく受け入れて下さり、漁や農業のお手伝いなど、生産者さんたちの想いを聞きながら、この島でしか得られない体験をたくさんさせていただきました。
そして、別れ際には「これ持っていくか?」と、1人では到底食べきれない量の野菜や魚などを持たせてくれました。
僕はこの生産者さんの想いが込められた食材の魅力を知ってほしくて、料理なんかほとんどしたことが無いけれど、どうすれば食材の魅力が伝わるのか考えて、やり方を調べて、寮の仲間にふるまうようになりました。
仲間は、「この野菜うまい!」「この魚ヤバい!」と、すぐに皿を平らげてくれました。
このことを生産者の方に伝えると、
「そうかぁ。わしらは食べてる様子は見えんけんなぁ。それが1番うれしいだわい」と。

僕はこの言葉にハッとしました。
確かに、“つくるヒト”の顔が見える素材はちらほら見かけるようになったけれど、“つくるヒト”が“たべるヒト”の顔を見る機会はほとんどないのだと気づきました。
そして、ほんの少しだけれど、両者をつなぐ役割を担えたことが、めちゃくちゃ気持ちよかったんです。

畑でお手伝いをさせていただいている様子

おいしいを超越したナニカが、脳内にぶち込まれる感覚

純粋に楽しくて生産者さんのもとへ通い続けた高校生活3年間でしたが、3年後になって自分の中に最も鮮明に残っていたのは、あのとき漁師さんと寮の仲間の橋渡しができた瞬間でした。
料理のスキルや知識を備えて自分の個性を磨いたら、どんなことが伝えられるようになって、どんなに気持ちいいんだろう。それが次の好奇心でした。

そんな中、高校時代に大変お世話になった島外の方に、京都でとっておきのイタリアンレストランに連れて行っていただく機会がありました。今でも生意気な僕を気にかけて下さっていて、本当に感謝してもしきれません。

そのレストランのシェフとの出会いで、僕は料理の世界に入ることを決めました。
お店のドアを開いた瞬間に、別世界を醸し出すあの感覚。
シェフはビールグラスを片手に、カッコよい笑顔で迎え入れてくれました。その姿が既に、僕のレストランに対する概念を覆してきました。(開店前からビール飲んでるシェフを想像したことがなかった)

そして何より、この人、今最高に楽しいんだろうなと伝わってくるくらい、シェフが楽しそうだったんです。
カウンターから垣間見えるシェフの真剣かつ変態的な眼差し、料理を説明している姿、僕の質問に答えているとき、、、
異次元の組み合わせから成る、ずば抜けた個性が体現された料理に圧倒されるとともに、シェフの姿、お店の空間を構成する要素のすべてが調和して、言葉にできない感覚が脳内にぶち込まれてきました。
なんていうか、深く考えるタイプだった僕から、考えるという感覚が奪われる感じ。

料理人ってカッコいいな。素直にそう思いました。

その後紆余曲折ありましたが、卒業後の4月から、千葉のイタリアンで働き始めました。

今でも忘れられない、人生最高なカルトッツォ

人生で初めての挫折

レストランで働き始めて約1年、僕は早々に、人生で初めての挫折を経験しました。
料理修行とはまさに想像通りで、暴力に任せた教え方や、低賃金で休みなく働くことを正義とする考え方が根強いものです。
キッチンはまさに戦場で、足を踏み入れた瞬間からそこを出るまで、ひたすらシェフにボコボコにされる毎日。
まかないが美味しいと感じたのは最初の3日間かそこらで、自分の食事に味なんて感じてる余白はありません。
また、現実でも夢の中でも、常に明日のことばかり考えていて、1年間、しっかり寝られた日は一度もない。
料理(職人)の世界は厳しいと覚悟していたつもりだけれど、今までの甘やかされてきた自分の想像をはるかに超える厳しさでした。
それでもお客様に喜んでいただけたときや、仕入れ先の農家さんのお話を伺うことはかけがえのないモノで、僕はその瞬間の嬉しさを原動力に、毎日戦いに向かっていました。

ただ、小難しいことを考えるのは僕の悪い癖で、
この環境にフィットしようとしている自分に対して「主体性のかけらもないな」とか、身体をボロボロに、財布をスカスカにして20年30年と料理を続けている先輩(自分の店に限らず)に沢山出会って、「料理人って幸せなのなのかな」などと考えてしまい、本質を見失うこともありました。
そして、度重なる挫折と、技術と知識を学ぶという目的から遠ざかっていく自分が本当に悔しくて、
何もわかっていないくせに、料理人という生き方が僕には合っていないのかなとも思ったりもしました。

技術と知識を得ることが最優先だと自分に言い聞かせて、どうにか続けてきましたが、この環境に中々フィット出来ず、たった1年で挫折することになりました。

呼吸をするように、料理に変換している自分がいた。

お店を辞めた僕は、ひとまず何もせずにフラフラしていました。
次の一手をどうするべきか決めかねていた自分がいたからです。島に帰って釣りしたり、車に乗ったり、自分が好きなことにひたすら時間を使いました。(幸い働いてるときはお金を使う余裕もなく、貯金だけはあった)
今思えば、相当道に迷っていたんだと思います。

そんな中で、3月が終わりに差し掛かった頃、実家の近くを散歩していた僕は、川沿いの桜並木を通りかかりました。まだ満開ではないけれど、風が強くて、花びらが舞っている様子が綺麗でした。

何も考えずに歩いていただけだったけど、
無数の花びらがやさしく落ちていく瞬間を目にしたとき、僕の脳内には、削りたてのパルミジャーノチーズがお皿に降りかかっている様子が流れ込んできました。
料理人じゃない方からすれば、この人何を言ってるんだろうって思いますよね、、、

働いてるときは新しいメニューを生み出すことに必死で、料理のことだけを学ぶ日々。
でも、その時やっと気づいたんです。
あぁ、料理って自由なものだったんだな、と。
そして、料理には、自分が思ってるよりずっとオモシロい世界があって、それを求めて生きていきたいとも思いました。
一度そこに気付いてからは、日常で起こる出来事を、料理に置き換えてインプットしている自分に出会いました。

「この渓流の岩陰に潜むイワナの様子を料理で表現できないかな」「この器にアツアツのアヒージョ盛り付けたら、海底火山に生息する深海生物を表現できそう」「この感情ってもしかしたら言葉より料理のほうが表現しやすいかも」「花が枯れていく様子って、皿の中で料理が変化していくプロセスと似ている」

内容はめちゃくちゃで、意味の分からないことばかりですが、
無意識に、何かを感じたときの最初の一言が料理に繋がるようになりました。

何でもいいんです、表現したい要素はどこにでも。

ただ、これをきっかけに順調に料理人として成長していきました的な文脈であればカッコイイのですが、ここからさらに挫折を繰り返すんですよね。
料理を学ぶこと、料理をすること、料理を考えることは大好きなのに、どうしてもレストランの料理人としての生き方にフィットすることが出来ない日々。
お店が変わっても、本質としての自分は変わっていなかったのだと思います。

「旅しようよ。世界一周行こうぜ」

そんな中、料理との向き合い方を悩んでいる僕に対して、半ば強引だけど、選択肢を提案してくれたのがメンバーの1人、米澤柊太でした。
高校時代の1学年上の先輩である彼は、思い付きと、そこにヒトを惹きつける天才です。
何かやろうと言い始めたらいつの間にか仲間が集まっているし、ふらっと街を散歩してるといつの間にか通りすがった地域の方に手料理をご馳走になっている。みたいな。

「料理のことについてはよくわからないけどさ、
もっと自由に楽しく生きたら?旅しようよ。世界一周行こうぜ

この時、僕の答えは、ノーでした。
料理人としての技術や知識を得ることに専念していた僕にとって、料理から一度離れて旅に出るという選択肢はポジティブに捉えられなかったからです。ましてやテーマのある僕にとって、漠然とした世界一周との結びつきを全くイメージすることが出来ませんでした。

ただ、逆に言うと、イメージできないからこそ、考えるテーマにもなりました。
そもそも旅って何なのか、自分が旅をするとしたらどうするのか、料理をテーマに世界一周するとしたら・・・、世界一周で何が出来るのか、旅の後の人生にどう結び付けるのか、、、、、、
ノーという返事をしたからこそ、何も背負わず、興味本位で考えてたんです。

それからは皆さんのご想像通りあっという間で、、、
気付けばシンプルにめちゃくちゃ楽しみになっている自分がいたのと、自分がこれまで描いていた料理との関わり方を向き合い直す、最高の手段の1つだと思うようになりました。
独りで決めて、独りで悩み、挫折を繰り返してきた4年間。(生き方に関しては)
このタイミングで、仲間がいたから生まれた突拍子もない選択肢に身を委ねて、自分以外の誰かに耳を傾けながら、柔らかい自分で料理と向き合っていくことが次の一手にを生み出すのかなとも思えるようになりました。

これが、旅の原点です。

「次あそこ行こうぜ」的な事を言ってる柊太さん(右)

大好きだから、料理を旅することにする。

僕の夢は、つくるヒトとたべるヒト、その両者に手の届く範囲で生きていくこと。
そしてその中間にいる、つなぎ役的な立ち位置で食に関わっていくこと
です。
大好きな生産者さんの想いの詰まった素材を、料理に変換して消費者に届ける。また、そこから消費者が感じたこと、想いを生産者さんに届ける。いずれはそこに関係性が生まれて、それは地元の人だったり、旅人だったり。様々なシチュエーションの人に届けることによって、僕の創り出した場をきっかけに訪れる人がいたり、直接生産者さんを求めて訪れる人もいる。あわよくば僕が生み出す食体験をきっかけに、そのまちに住みたいと思うひとが出てくる。そうして集まったたくさんの人と食について対話して、まちぐるみで食を探究しながら生きていけたら幸せだなと思っています。

そんな循環を生み出せる存在になるのか、場をつくるのか、まだぼんやりとしている部分が大きいけれど、食を切り口にもっと人生を楽しくしていく。
また、食というテーマから、僕の周りにいてくれる人たちに、いろいろなカタチの幸せを届けることが出来たらめちゃくちゃ嬉しいです。

そして、料理の世界に入ってから、あっという間に4年の月日が過ぎ去りました。
良くも悪くも、順調だと言える日は今まで一度もありません。自分がいいと思ったことに挑戦しては、最後まで自分を信じ切ることが出来ず、挫折し続けた4年間です。
どのレストランにもフィットすることが出来ず、料理人としても、ヒトとしてもどうしようもない人生を送ってきたことには後悔が山積みです。

ただ、それでも続けてきたからこそ、僕の中で自信をもって言葉にできるのは、料理が大好きだという気持ちです。
この世界に入りたての頃は、「料理は手段」みたいなことをほざいていた自分ですが、挫折を重ねていくたびに、料理と本気で向き合うようになりました。
食という切り口から伝えていきたいことは勿論あるけれど、
それ以前に、めちゃくちゃウマいものに出会ったとき、新しい知識に触れたとき、新鮮な食材を手にした時など、料理人として抗うことの出来ないゾクゾクする感情を常に抱いている自分がいます。

真っ当な料理人としての道からは大きく外れてしまうのかもしれないけど、料理が大好きな気持ちは誰にも負けないくらいあって、もっと広い視野で料理に向き合うこと。そして、食というテーマをもっと自由に捉えて、幸せにつながるカタチを模索したいという想いを追求するため、世界一周の旅に出ることにします。
本を読んだり、ネットで調べただけでもでも、日本では想像の出来ない食文化や習慣、食に対しての考え方がたくさん出てきます。
自分の足で歩き回って、現地でしか得られない食体験を片っ端から体感して、いわば「料理を旅する」ような世界一周を目指してやっていきます。

それでは、大まかな自己紹介はこの辺りで。
今後もチームとして、個人としても様々なテーマで発信を続けていきますので、是非見ていただけたら幸いです。
応援よろしくお願い致します!

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