アスリートへの過度な「商品化」と「美化」に思うこと
大坂なおみ選手の言動が話題になった。
賛否あっても、私はエールを送りたい。
これまで私がメディアの立場でスポーツ界に関わった経験から、私自身がずっと感じてきたことがある。
これはテニス界に限ったことではないと思う。
大坂さんが告白した「うつ病」との因果関係は別として、これを機にあらためて思うこと。
あの内容から、どうしてこう切り取られる!?メディア
私は、メディアの立場でアスリートの記者会見や取材現場に臨んできた。
私自身は一対一の個別取材がメインだけど、情報収集のために記者会見やミックスゾーンにも行き、メディアとアスリートとの多くの質疑応答を見聞きしてきた。
テレビや新聞、雑誌、サイトなど、視聴者の目に触れる情報は、ほんの一部。
尺にも紙面にも限りがあるから、「編集」されてしまうのはしかたがない。
それでも、その場でのすべての内容を見聞きしている者からすれば、
「あの内容が、どうしてこうなる!?」
と、唖然とすることも少なくない。
言葉尻だけおもしろおかしく切り取られていたり、文脈を無視してメディアにとって好都合な上辺の表現だけ使われたり。
それによって、本人の発言した趣旨とは全く異なるニュアンスになって伝わっていることもあった。
それを目にするたび、私は選手が気の毒だった。
その後、個別取材などで確認してみると、選手自身も、やはり気にしていることが多かった。
この傾向は、アスリートだけでなく、役者やタレントなどのエンタメ界でも見受けられる。
「おいしい一言」が欲しい誘導的な質問も
特に記者会見の場は、個別取材をしないメディアも多く、「おいしい一言だけほしくて」参加していることもある。
おいしい一言ほしさに、おいしい絵ほしさに、誘導的な質問も投げる。
わざとらしくて、選手でも誘導されていることがわかるほど。
アスリートに対して失礼なんじゃないか、と私は思うことも何度もあった。
明らかに「そんな答えはしたくない」と困惑しているのが、選手の表情からわかることもある。
それでも、特に日本人の選手は、人がいいというか、生真面目で、戸惑いながらも、空気を読んでメディアに調子を合わせて答えてしまう。
それをメディアは「ほい!頂きました!」的に使う。
その点、海外の選手は、誘導質問に乗っからず、うまくジョークでかわしたり、毅然とした態度で応答するなど、自己主張もハッキリしている人が多い印象がある。
日本人では、かつてイチローさんが「その質問に答える必要ありますか」のように、ピシャリと言ってのけたことがあったけれど、このように気丈にリアクションを取れる人は、なかなか少ない。
大勢のメディアを相手には、とても勇気のいることだと思う。
今回の大坂さんの、自らの身を削っての勇気を称えたい。
「芸人」でもないし「商品」でもないはず
大坂さんの「メディアの前で話すときに不安の波に襲われる」という発言は、私は本当によく理解できる。
やっぱり、と思った。
いや、本当は彼女の心の内を簡単に「わかる」とは言えないけど、ああいう記者会見の場に、彼女のような繊細なタイプが対応しようとしたら、さもありなん、と想像くらいはできていた。
大坂選手が鮮烈な勝利を遂げて注目を浴びるようになったときから、彼女の情緒的な繊細さはありありと感じ取れた。
パワフルなテニススタイルの裏側にある心の繊細さ。ときに危うさ。
その両面こそが、大坂さんの魅力だと私は感じていた。
本当は話すことが苦手なのが、雰囲気からも感じる。
だからこそ、心の奥から出てきた素直な一言が、味わいがあって魅力的なのだ。
それをメディアは「なおみ節」ともてはやし、それが欲しくて「何かを言わせる」ように仕向けてしまう。
アスリートは「芸人」ではない。
"著名人"は誰でも「おもしろいことを言うプロ」でもないし、「欲しいセリフを言ってもらうプロ」でもないはずなのに。
どうも昨今のトップアスリートは「商品化」されすぎているような気がしてならない。
「ビジネスの駒」として扱われてしまっている傾向もある。
確かにアスリートは、メディアのおかげで価値が上がってきた側面はある。
メディアがいなければ、成り立たないビジネスもあって、お互い様。
私自身も、仕事で関わる立場として、それはよく理解している。
アスリートにとって、記者会見などメディア取材に対応することも仕事の一つではある。
だからといって、メディアに対しての「サービス商品」ではないはず。
かつては、記者会見などに来るマスメディアが、アスリートとファンをつなぐ貴重な手段でもあったけれど、今は、SNSで個人発信もできるようになった。
それだけに、アスリートにとっては、自分の真意が伝わりにくい記者会見より、自分のメッセージがストレートに届くSNSに頼りたくなるのだろう。
だからこそ、個人のSNSとは異なる、様々な客観視点からの多様な質問に応じてもらうことで、アスリート自身の多面的な魅力が伝わる可能性も充分にある。
そのためには、メディア側も、アスリートに対して、「人としての配慮」と「想像力」を伴った姿勢で臨むべきではないかなと、あらためて思う。
メディアの質問力が、いっそう問われる。
「美化」しすぎは選手を苦しめることも
配慮のない取材姿勢の反面、やたらと「美化」しすぎる傾向も感じる。
大坂選手に関しても、「強い」イメージしか持たずに、「なおみ節」を求めてしまう人も多かったのではないだろうか。
アスリートは、強靭だ、スゴイ。なんでも対応できる。
このステレオタイプのイメージを作りすぎるのもメディアの功罪だなとつくづく思う。
敬意を払う、尊重することは、「美化」することではない。
「美化のしすぎ」は、真意や現実を理解しようとも見ようともせず、何をやっても、ひたすらスゴイ、素晴らしい、と上辺だけでヨイショ。
メディアでは、ひとたび脚光を浴びたアスリートに対しては、なんでも礼賛しまくり、「この人が弱いはずがない、負けるはずがない」という論調になりがち。
「なんでも礼賛」や「美化」のしすぎは、贔屓の引き倒しみたいなもので、本人が奥底に抱えている心情や、現実をかき消すことになり、けっこう危険なこと。
本人を苦しめることにもなりかねない。
アスリートも人。著名人も人。
人として弱い部分もあって、傷つくし、苦手なこともある。
金太郎飴みたいに、いつどこを切り取っても同じ顔、優等生な人なんていない。
それを忘れないでおくことが、敬意を払うことにつながると、私は思っている。
アスリートに限らず、
必要なのは、「美化」でもなく、「特別扱い」でもなく、
人としての敬意、尊重。
大坂さんはまた、一石を投じてくれた。
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