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ひとりぽっちの効用

デザイナーの仕事現場とは孤独なモノです。

会社のデザイン部署で、他のデザイナーとデスクを並べて仕事をしていたらそうでもない時もあると思いますが、基本的に作業に集中している時は孤独なんですね。
頭の中に浮かんだレイアウトやフォントイメージを具現化してゆく作業は、コピペを繰り返して済むようなオートマチックな単純作業ではありません。
それはスキルというよりも、感性やセンスに近い能力が司る、パーソナルなクリエイトなので、対話や相談はすべて自問自答の中で展開されてゆくのです。

孤独という言葉は、根源的にはネガティブ・ワードではあります。

孤=ひとりぽっち
独=ひとりぽっち

孤独とはひとりぽっちの2乗なのですね。
どれだけひとりが果てしないんだと思うくらいな印象です。笑

でも、それくらいにひとりで思考し、吟味し、試行錯誤しながら組み立てゆく作業はひとりぽっちの作業です。
音楽でも絵画でもそうですが、クリエイトすることは、とてもとても孤独な作業なのですね。

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そういう意味ではデザインもアートも、モノを生み出す行程で使用されるキャンパスは同じだと言えなくもないんですね。

頭の中のキャンパスに、自分のセンスとパッションで組み立てられて塗り重ねられて、あるいは間引かれて発露されてゆくもの。
そういう定義でいえば、同じモノだと言って差し支えないと言えます。

でも、そうは言ってもデザインはアートとイコールではありません。
その創作空間は同じ領域だとしても、決定的な違いは「生み出すものはクライアントのプラスになるモノ」でなくてはならない、ということです。
そのクリエイトに対してお金をいただいて、クライアントに喜んでいただけるように生み出すのがデザイン。
つまり僕らのやっているクリエイトはすべて商業クリエイトなのですね。

でも、そこに芸術性があってはいけないかというとそんなことはないはずなんですよ。
コミュニケーションのためのクリエイトに本当はタブーなんかありませんから。
でもそこに平気で乱入してくるのが「普通はこうでしょ?」とか「慣習ではこうでしょ?」という方法論だったり前例だったりするのですね。
人為的な悪意のないタブーとでもいうのでしょうか・・・

その多くは知識も解決手段もないクライアント側の一担当者の拙い世界から導かれたモノだったりします。
でもそれも仕方ないことでもあるのです。
知識も解決手段もないクライアント側の一担当者からすれば、商業デザインは結果を問われますから、作る前に結果がわかるはずもない芸術性に賭けるよりは、すでにある程度結果が想像できるか、あるいは最低限でも結果が完全に保証された範疇の判断材料を手形として進めてしまうからなんですね。
つまり一担当者はこのプロジェクトの担当者ですから、最初からイチかバチかで進めるわけにはいかないのです。
でもその責任を担いながらも、デザイナーを信じて、一緒にベクトルを合わせてくれる担当者は、クリエイトのなんたるかを肌で知っている人であることが多いと思いますし、そういう担当者とは、まず間違いなくいい仕事にはなるパートナーシップが生まれてくるのですけどね。

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クリエイトにおいて、この世で目指すものが2つあるとするならば、1つは世の中に対して、自らのセンスや感性やスキルだけを持ってして、何かを提供する側に立つこと。

つまり「アーティスト」になるということです。
そしてもう1つのクリエイトが、世の中を動かしているキャピタリズムの中でクリエイトしてゆくこと。
つまりデザイナーや編曲家やシステムエンジニアなどといった、商業の中で必要不可欠なパートでクリエイトをしてゆく「商業クリエイター」になるということですね。
サービス業だってクリエイトの領域は不可欠です。何もないキャンパスに、有益な成果物を創造してゆく作業は、もう立派なクリエイションなわけですから、そういう意味ではあらゆる社会的場面で活躍しているのが「商業クリエイト」という創造です。
そして、その2つのどちらも、生み出す行程の根幹はひとりで出来ること、つまりはひとりの感性やセンスが担っているモノなんですね。

大手レコード会社からCDデビューするとか、大手出版社から作品集や文芸作品を出すとかなら話は違ってきますが、今の時代、アーティストとして世の中との接点を生み出す方法はたくさんありますから、すべてがひとりでも完結出来てしまう時代とも言えます。
でも商業クリエイトは、すべてがそうはいきません。
上記の商業的デビューシステムと同じく、アートと同じ領域を駆使してひとりで生み出す世界を、対価をもってして評価し展開してくれる人々がいないと成り立たない世界なのですね。
そこがつまりは、最大の難しさであり醍醐味でもあるのです。

ただ、創造は、想像と同じです。
ひとりで出来るし、ひとりであればあるだけ豊かな創造=想像が出来ます。
つまり、ひとりであることを活かさない手はないのです。
ひとりぽっちで、自分の居場所も存在意義も見失う場合がありますが、それはまだ自分が世の中に対して開かれた存在ではないからです。
であるならば、大いにその孤独を利用して、たくさんのクリエイトをしていって欲しいと思うのです。
ひとりぽっちでやれる仕事。
ひとりぽっちでクリエイションを吟味できるジョブ。
どんなに人と絡んで巻き込まれて疲弊しても、その領域を常に確保できる仕事が「デザイン」という仕事なのだと思いますから。
アーティストになるか、商業クリエイターになるか、はたまた違う世界に進むのかはその後のことであって、目指す世界があるのなら目指せばいいし、あるいはクリエイトがしたくてしたくてしょうがないのなら、それをとにかくたくさんやればいいと思うのですね。
幸いアーティストのそれと同じく、それを可能にしてくれるテクノロジーと仕組みが世の中にはたくさんありますからね。

孤独だとしても、僕らはいつだってギラギラ輝く太陽にでも、慎ましく照らす月にでもなれますから。笑
大いにひとりぽっちの効用を利用しようではありませんか。
チャンスの形やシステムが限られてた僕らの若い頃とは違って、チャンスは必ずくると思わなきゃ。この時代。

ワシも頑張るぞよ!フガフガ。



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