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創価学会に染まりきれない僕 〜宗教三世に生まれて〜

これはコミケ(C103)で頒布したものになります。
また、後日、紙媒体のものを通販などで頒布予定です。ただ、在庫には限りがあるので…そこはご了承ください。

あなたは宗教を信じますか?
僕は一切信じていないです。
これは、新興宗教を信じる家族と僕がバトルを繰り広げた話になります。


表紙です

はじめに

どうもこんにちは! みなさんはどんな宗教を信仰していますか? 私は無神論者です。私は神様なんて存在しないと思ってますけど、おみくじを引いて一喜一憂したり、神社などで願掛けと称してお参りをしたりしますが・・・。どっちなんだい。

さて、私はタイトルにある通り、今をときめく「創価学会三世」なんです!

両祖父母から始まり、父母に至るまで創価学会員なのです。 

「宗教二世」「宗教三世」という言葉を聞くと、やばい印象しかないですよね。私ももれなくではありませんが、宗教三世としてめんどくさいことに巻き込まれていました。

私は創価学会が掲げる仏法や組織など詳細なことはあまり詳しくありません。なので、今回は私の創価学会三世としての家族とバチバチに揉め、愛着形成に影響を及ぼした過去などを書いていきます。

「その日、『解放された』と実感した」

来たる2023年11月18日、あるニュースが舞い込んできました。

それは、「創価学会会長の池田大作が亡くなった」というものです。その時、私は仕事中でしたが、Yahoo!ニュースでスマホに通知が来ました。さらに聞いた話によるとテレビの緊急速報でも流れたようです。

私は、仕事終わりにそのニュースの内容を見ました。そこで、初めて自分の中で何か肩の荷が降りたような感覚がありました。

 私は創価学会三世として生まれ、今まで創価信者の家族からの重圧を感じることが多々ありました。そんな中で、その一報が入った時、「解放された」と感じることができました。人が死んだというのにも関わらず不謹慎な奴ですね。ただ、それは事実なのです。

 不謹慎ながらですが、ありがとう!!!! 

「私の名前と池田大作」

私は26年間、創価学会三世として不本意ながら生きてきました。そんな中で、創価学会関係に対して不満や不信感がた〜くさんあります。

 皆さんは自分の名前は誰につけてもらいましたか?

 父母から、祖父母から、お坊さんから、恩師から…etc.

 人によって様々な名付けにはルーツがあると思います。

 さて、ここで問題です。私の名前のルーツは何だと思いますか?

答えは・・・・・

創価学会会長の池田大作によってつけられたらしいです!!!!!!

なんでだ!!!!!????

 母親に聞いてみると、父親と相談して、池田大作につけてもらおうと考えていたようです。そこで、母方の祖父がすべての手続きをしてくれていたらしいです。

 池田大作が名付け親ということになるんですが、池田大作本人から直接言い渡された訳ではないので本当に池田大作がつけたか怪しいです。

 母親に聞いてみると、母方の祖父(今は故人)が口頭で聞いたので、漢字が本当にあっているのかさえわかりません。もしかして、私の名前の漢字は本当は違うかも…? もしかしたら、口頭説明だったので、本当は名前もわからない幹部の人とかがつけたかもしれないです。

 そして、私は創価学会の本部から口頭で名前だけ伝えられたので、私の名前の由来や意味はわかりません!!!!!

 当時、池田大作に名前を付けてもらおう!と考える人は周りにはそんなに多くはなかったそうです。誰かに命名をお願いするときに基本的にお金を支払うのかな?  これも母親に聞いてみました。すると、1円も払っていないとのことでした。私が命名されて以降や池田大作が亡くなってからの命名費用や命名の仕方などについてどうなっているかわかりません。

そして、もう一つ。私には妹がいます。名付けや名前のルーツに文句を言っているわけではありませんが、なんと妹の名付け親は池田大作ではなく、両親なのです。女の子だったので、母親の名前の一部の漢字を受け継いだ名前になっています。私のことを、マザコンで、愛着不足だと思ってもらって構いません。なんで…なんで、私だけよくわからん人間から名付けられないといけないんだ!!!

 くそ!!!!!

「創価学会の活動に振り回される私」

父と母は創価学会員繋がりのお見合いを経て結婚しました。そして、長男である私が産まれました。おぎゃー。以下にジェノグラムを置いておきます。

私のジェノグラム

 私は創価学会そのものが嫌いです。

 創価学会にはいろんな行事や活動があります。私が幼かった時の両親は活動にとても熱心でした。両親は私を夕方から夜に母方の祖母に預けて活動に出かけることもありました。また、両親は学会員として、家庭訪問(学会員の話を聞くことや入信するか迷っている人に入信を後押しするために話をすること)をすることもありました。その時に私も幼かったので付いて行かざるを得なかったのですが、車の中で何十分も一人で待つこともありました。当時の幼い私にとってはその時間が果てしなく長く、暇を潰すことができなかったので、とても心細かったです。

 父に連れられ、家庭訪問に行った際にも車で待っていました。車の中で寝ていた私が起きた時には車の中に誰もいなかったのです。「え?」という感想と「どうしよう、怖い、寂しい」という感情が入り混ざっていました。そして、ふと後部座席を見ると、なぜか大きなトノサマバッタが座席にいたんです! 虫に対して免疫がなかった私は怖くてたまらず、「僕が動いたら、バッタがびっくりしてこっちに来るかもしれない」「誰も助けてくれない」という不安と恐怖が長く続きました。トノサマバッタはこちらを見つめ続け、微動だにしない。完全に冷戦状態。時間の感覚もなく、何時間も経過したように感じる。そして、父が戻ってきました。父が戻ってきてくれたことに安堵するとともに「トノサマバッタがいる! 助けて!」と泣き喚く。父が確認すると、トノサマバッタは私の方を見つめたまま息絶えていたようでした。あの冷戦は一体何だったんだ。

 私はこのように家庭訪問によって両親、特に愛着の対象である母と関わる機会が少なかったのです。

 ここから少し創価学会が何をしているのか簡単に書いていきます。

 創価学会は県、市町村、そしてその中でもブロックごとに組織が作られています。そして、活動内容としてはまずはブロックごとで集まって座談会を開きます。座談会では創価学会や日蓮大聖人の教えが書かれている月刊誌や御書(経典)、聖教新聞を読んで、仏法の理解を深めたり、最近の悩み事を話したりとさまざまです。いつも誰かの家で座談会を開いていました。母の話を聞くと困難さを抱えている人が多い印象です。どの宗教もそうか。

 他には市町村単位で文化会館というキリスト教でいう教会のような大きな建物で全国に同時中継で動画を流して池田大作のありがたい話を聞くこともあります。さらに曲がりなりにも新興宗教なので、創価学会の教えを広める広宣流布とかがあります。広宣流布というのは「創価学会にみんな入会しましょ!」みたいなものです。同時中継では池田大作が広宣流布を勧め、創価学会の支部が世界各地にあったこともあり、世界平和を説いていました。人の愛着の機会を奪っておいて結構なことですね。

 同時中継ではスクリーンに映された池田大作のありがたいお話を聞いたり、創価学会の功績を讃える動画を見たりするのですが、1時間近く、ずっと正座で座るような環境でした。この時、小さな子どもは別室で預けられ、遊んでいました。同時中継では、他に海外の創価学会員の人たちとの対談やメッセージ、創価大学の人たちの学びなども放送されていました。あくまで録画なので、生中継ではなく、全国同時間に放送するというものでした。

 同時中継が行われる時に創価学会歌を歌うことがあります。その際、青年部(20〜30代くらい)の人たちが扇子を歌のリズムに合わせて振り、会場にいる学会員で歌うこともあります。今でも思いますが、THE 新興宗教という感じで恐ろしかったです。ちなみに子ども用の学会歌もありました。私も無理やり歌わされていました。

座談会と同時中継の最後は必ず仏壇に向かって題目三唱もしくは題目をフルで唱えて締めくくります。題目というのは「南妙法蓮華経」というお経です。この時だけは幼い私もしっかりと正座をさせられ、題目をさせられていたのを覚えています。正直、そんなことに1mmも興味ありませんでした。特撮や漫画、ゲームの方が断然興味ありました。

 創価学会の本筋からは逸れますが、どうしてか“創価学会員の大部分は公明党支持者で公明党に投票するように勧誘している”のです。なぜなんでしょうねぇ…。

 父母は選挙があるたびに、公明党員に投票するようにひたすら話をしてきました。今でもそうですが。選挙権が与えられた当時の私は両親に対する反抗心もあって別の政党を選びました。

 幼い頃には創価学会の活動と同様に父と母が公明党の選挙活動に夕方や夜に行ってしまうこともありました。そのため、ここでも留守番をしていたのです。創価学会の活動だけではなく、創価学会と繋がりのある公明党の選挙活動によっても私は両親、特に母親との愛着形成の機会が奪われたのです。

 また、公明党と創価学会が関係していることから、私の家庭は聖教新聞と合わせて公明新聞も年間購読しています。私の家族(父方の祖母が健在だった時)は月刊誌と聖教新聞も家族5人分、年間購読していたのです。

 月刊誌や聖教新聞は座談会の際に勉強で使うこともあるため、人数分買うのは百歩譲ってわかる。けど、小学生の私や妹にとって活字の書籍とか買う意味なんてあるんでしょうか…。

 普通は新聞って一家に一部じゃない…?

 現在はどちらも家にあるのが2部だけなので、おそらく父と母の分だけ注文しているのでしょう。

 親戚や他の創価学会員の家庭を見ても家族分もしくは1部以上購読している光景が多く見られます。母が新聞配達員で「あの家庭が○部取ってくれるって」などと話していたな…。

 他の宗教、新興宗教のことを知りませんが、家族分なにかしらを購読するのは普通なのだろうか…。

 使わないのに購読する。

 お布施みたいなものでしょうか?

 また、創価学会は曲がりなりにも宗教なのでたくさんお布施♡することができます!

 私の父や祖母たちは東京にある創価学会の本部もしくは創価学会が運営?している墓園でよくお布施をしています。祖母はその中でもとりわけヘビーユーザーでした。私の家族は祖母が健在な時は創価学会の本部目当てで東京旅行に行くことがしばしばありました。

 祖母はヘビーユーザーだったので、巨額の現金を入金することもありました。それ以外にも池田大作夫妻もしくは池田大作の妻に対して自身が働いていた宝石店で購入した宝石をあしらった置物などを贈っていました。最高額で1000万をこえるものを贈っていたそうです…。祖母の経済力もそうですが、新興宗教のお布施ってすごいなと思いました。他の家族は行くたびに5000円以上をお布施していたようです。

 当然ですが、私は一銭もお布施していません!

 父や母、祖母たちはそれほどまでに創価学会にのめり込んでいたのです。

 ただ、ガチガチに創価学会家庭なのですが、なぜかキリスト教が由来であるクリスマスを家で祝っていました。子どもの頃は毎年クリスマスプレゼントが楽しみでした。なぜかその部分は私の家庭は緩かったです。

そして、そこには置いてきぼりになる私がいたのです。

そんなこともあって、私は幼い頃に母親との愛着形成の機会が失われました。

だからこそ、私は創価学会が嫌いだ。大嫌いだ。 

「創価学会が嫌いだ」

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