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私は、狂気を狂気として受け入れられない

自粛の土日、遠方に住む恋人とリモート映画鑑賞をしました。
とんでもない映画があるらしいと勧められたのが『Swiss Army Man (2016年)』
下品すぎる会話と意味不明な展開のため、カップルでは絶対に見ない方がいいとの口コミを見た上でこれに決めました。

無人島で助けを待つ青年ハンクは、自ら命を絶とうしたその時、波打ち際に流れ着いた男の死体(メニー)を発見する。その死体はスイスアーミーナイフの様に使い道豊富。体内の腐敗ガスでモーターボートになったり鉄砲になったり、死後硬直の腕はナイフ代わりになったり。そんなメニーと共に故郷への帰還を目指すハンク。

ちなみにメニーは途中から喋ります。普段コメディ映画の類は見ないのですが、新しいジャンルに手を出そうかと思い、ビデオ通話をしながらせーので再生。
※以下ネタバレあり

あまりにも奇想天外で、始終ハテナで頭がいっぱいでした。それでもなんとか理解しようと頑張った結果、

「主人公ハンクは、文明社会から離れた無人島という場所で自由に生きるうちに、自分が抑え込んでいた感情や、常識に囚われていた慣習などに気づく。そしてその感情こそがメニーである。ラストシーンで文明社会に戻ってきた時、周りの人間が軽蔑の眼差しを向けたことやメニーが喋らなくなったことがそれを表している。」

という解釈をし、恋人に伝えました。一方彼の解釈は

「主人公は社会に何かしらの生きづらさを感じており、単にそこからの逃避で無人島に行って、そこで死体と仲良くなった。死体が喋ったり遊んだりできるのは彼の幻覚だった。私たちはその妄想の世界を見ており、主人公は狂っていただけ」

とのこと。なるほど、こういうのは象徴とか難しいことは抜きにして、一種のSFとして見た方がすんなりくるらしいのです。

他者という「異物」を受け入れる方法の違い

私は、自分が理解できないものをそのまま受け入れることができない自分に気づきました。つまり、狂気を存在するがままの狂気として受け止めることが出来ない。なんとかして意味づけをして、こちら側に引き寄せた解釈をしてしまうのです。それが間違っているとも思いませんが、彼は確かにいつもフラットな感覚を持っている人です。それは、変に自分の中で理解しやすいように曲げたりせずにすんなり飲み込めるということだったんだな、と気づいたのです。

この社会で出会うものは全て、自分以外という意味では異質なものと言えるでしょう。私はフラットな人間であるように努め、色んな情報に触れ、知識として様々な「異物」を取り込み、理解しようとしてきました。本当の中身は偏見に満ちた人間なのではと怯えながら。彼はこれらを感覚でやってのける人なのでしょうか。

偏見ってなんだろう。理解ってなんだろう。

映画ひとつで、自分と恋人にはこんな違いもあるのかな?と考えたお話でした。

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