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「おしいれ」の記憶

「押し入れ」という言葉を聞くと、ある記憶が決まって思い出される。

「押し入れに入れるよ!!!」
母はよく、こう言って叱っていた。
理由はさまざまで、覚えているのは悪戯した時やご飯をあまりにもゆっくり食べている時など。
小さい頃の私はおっとりマイペース、かつ自分の世界に没頭してしまうタイプで、よく母親を困らせていたようだ。

確かに「押し入れに入れる」というのは、よくある罰のように思われる。一部の人間は狭い空間を好んで押し入れで過ごす人もいるようだが、一般的に「押し入れに入れる」と言われれば、あまり良いイメージではないだろう。当然、幼稚園児ほどの幼い私の場合、押し入れというのは恐怖の象徴だったのである。

と、言いたいところだが、実際は違っていた。


母のお説教の常套句であり、何度も耳にした「押し入れ」。しかし、当時の私にとって、それは恐怖の象徴ではなかった。
なぜならば、幼き私はそもそも肝心の「押し入れ」がなんたるかを知らなかったからだ!!
なんと困ったことか。では何だと思ったのか。
お下品な話ではあるが、「押し入れに入れる」=「お尻の穴に頭を入れる」ことだと思っていたのだ!要するに「おしいれ」を「おしりいれ」と真剣に勘違いしていたのである。一体ぜんたいどういう流れでそのような認識に至ったのかは、全くもって不明である。

「押し入れに入れる」というのは、押し入れが何たるかを知っているから、つまりあの狭くて暗い空間での恐怖を想像するからこそ、怖いのである。「おしいれ」が「おしりいれ」になれば、話は全く別である。いや、むしろまた異なる恐怖が芽生えるかもしれない。

「押し入れに入れるよ!」と言われたとたん、私の頭の中は、怒られている内容など瞬時に消え去り、「お尻に頭を入れることなど、一体どうして可能なのか??」と、?でいっぱいになっていた。そりゃそうだ!!そもそも体がそこまで曲がるはずがない。1人ムカデ人間みたいになるんだろうか。もちろん、説教中に「おしりいれ」のことを聞くのは火に油を注ぐような行為であることは、こんなバカな私でも想像できた。だから、疑問を解消するタイミングが訪れることはなかったのである。きっとお説教中の私は、相当に顔をしかめていたことだろう。

まるでアンジャッシュのコントであるようなすれ違い現象が、毎度説教の最中に起こっていた訳だ。これでは説教は意味をなさない。こんなことを考えていればお説教など耳に入るわけもなく、よって同じことを繰り返すわけで、もはや母親が気の毒に思えてくる。母親は私が「押し入れ」を知らないということを知るよしもなく、ましてや「おしりいれ」などと訳の分からない勘違いをしてるなんて微塵にも思わないだろう。

「押し入れ」と聞くと、半分呆れてしまうアホみたいなこの記憶が毎回蘇る。説教中に真剣に「おしりいれ」のことばかり考える(それは一見、反省しているように見えていたはずである)幼い私を想像して、いつも思わず笑ってしまう。そして、そんな幼い頃の自分になんだか愛おしさを覚えるのである。

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