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練習と遊び

 先日、自身のサッカークラスの保護者向けにクラス説明会を行いました。年度が始まって半期が経つのでその活動報告と、メンバー数が増えてきた分、保護者の方々とのコミュニケーションが希薄になってしまっていると感じたため、敢えてそういった場を設けました。その中で話したトピックのひとつ「練習と遊び」と言うテーマで今回は書きたいと思います。

 時々保護者の方から言われることがあります。「うちの子家で全然自主練習しないんです」「試合ばかりじゃなくてもう少し技術練習した方がいいんじゃないですか」と。かく言う僕は、1コマのクラス時間の少なくとも半分はミニゲームや大ゲーム等、いわゆる試合の時間に当てています。

練習

 練習というと、「反復」や「鍛錬」「地道な努力」「単調なもの」そういったイメージが湧きます。(広辞苑:上達のために繰り返し行うこと)もちろんこれらは全く必要ないものとは思いません。むしろ基礎的な練習は、サッカーはじめたての幼稚園児でも、プロ選手であっても、どの世代、どのレベルの人にも必要です。ただそこに割く時間、優先順位、やり方(遊戯化、集中して取り組める工夫)は、年代、身体的特徴、その子の技量、モチベーションによって大きく変わっていくと思っています。

 ぶっちゃけた話、小学生年代までは、そもそも練習という概念すら必要ないと思っています。だから僕も「これができるようになりたかったら、こういうこと意識してみると良いよ」「こういう練習、今度時間あったらやってみて」程度で、あんまり子どもたちに「練習しなさい」と言った記憶はありません。小学生くらいまでは本当従順で、大人が「これをしなさい」「これをするべき」と提示すると、異論を唱えずひたすら全うしようとします。(もしかしたら本当は、心のどこかで疑問に思っていても、口に出せないだけかも)逆に本当にサッカーに興味持った子や上達したいと思う子は自分から聞きに来ます。「試合のときのこの場面ってどうしたら良かったの?」「こういうキック出来るようになりたいんやけど、どうしたらいい?」そういった域に達して初めて、練習する意味が成していくと思っています。

遊び

 スポーツの語源は諸説ありますが、良く言われているのが「デポルターレ」、ラテン語で「気晴らし」「ストレス発散」と言う意味のものや、英語で「disport」、portは港(昔、港は働く、仕事をする場を意味していた)disは打ち消す語意のため、港から離れる、仕事場から離れるなど、こちらも「気晴らし」や「気分転換」という意味になっていきます。ですから、スポーツ≒遊びと思っています。とすると、僕ら指導者はまずはどれだけこの遊びにフォーカス出来るかが重要ではないかと思っています。「遊び」というと、おふざけをしたり、不真面目なというイメージを抱く人もいるかもしれませんが、決してそういうことではなく、サッカーという遊びにどれだけ熱中してのめり込むことが出来るか、夢中になれるか、僕が言うフォーカスとはそういったことを指しています。

 では、遊びなら指導者は要らないのかと言うと、もちろん月謝をいただいてクラス活動をしている以上、そういう訳ではありません。安全管理はもちろん、時には技術指導することもありますし、知識を与えることもあります。子どもたちが熱中出来るように、環境面や精神面のフォローアップ、ファシリテーター的な役割があります。社会教育とまで言うと少し偉そうですが、大人として子どもたちに伝え、問題提議することもあります。このように、指導者は必要ですが、決して主役は選手(子どもたち)であることを忘れてはいけません。

遊びだからこそ

 繰り返しになりますが、練習が全く必要ないとは言いません。むしろ上のレベルに行けば行くほど、地味で単調な練習の成果が実はモノを言うと思っています。ただそれは、サッカーという遊び、スポーツという遊びに熱中した人たちが初めて意識するものであるということです。

 ぼくのクラスに来てくれる8割、9割がサッカー初心者です。時々、別の場でサッカー熟練者相手に指導現場立たせていただく機会もあります。初心者でも熟練者でも僕が全員に言えること、伝えたいことは、

「サッカーは人生の一部であり、サッカーを通じて人生を豊かにしていってほしいということ。そしてスポーツは所詮遊びだから、嫌だなと思ったら一旦離れてしまっても良いということ。」

 よく「サッカーはもうやめた」とか「高校で引退しました」とか表現することがありますが、サッカーは、スポーツはいつもずっとそこにあります。やろうと思えば何歳になってもどんなに下手くそになっていてもまたいつでも出来ます。お願いだから、「タバコ辞めました」みたいなノリで「サッカー辞めました」って言わんといて(笑)

 最後にひとつ、日本と海外サッカーの違いで僕が納得した話があります。よく日本サッカーとサッカー先進国と呼ばれるヨーロッパや南米との違いはなに?みたいな議論がサッカー界でありますが、「フィジカルの差が」「歴史、文化の差が」と言われますが、僕が納得したのは国のサッカー人口の分布図の話です。日本はサッカー人口の8割が20歳以下(子ども)で2割が20歳以上(大人)。対して海外は8割が20歳以上(大人)で2割が20歳以下(子ども)。何が言えるかというと、日本は大人になってもサッカーを続けている人の割合が圧倒的に少ないということ。これはいまの少子高齢化社会から考えるとあり得ない数字ですよね。どうしてそうなるかと言うと、バーンアウト(燃え尽き症候群)と言って、育成年代(20歳)までの間に、試合だ、練習だ、勝利だ、と詰め込まれすぎて、嫌になって大人になってやらなくなっていってしまうと言うこと。日本と海外の差は「サッカーめちゃめちゃ下手だけど、サッカーめちゃめちゃ好きなおっちゃん、おばちゃんの数が少ない」という話です。どうしても日本のスポーツ界はうまくないと楽しめない、うまくないと輪に入れてもらえない、そんな風潮があります。そもそもスポーツは遊びなんだから、上手いか下手かは関係ない、そんな空気感がもう少し欲しいなと感じたりもします。

 もちろん上手い方が楽しめるし、もっと言うと本当に上手ければ、周りがどんなレベルであろうと、その人たち一人一人の特徴を活かしながら、、、

 どんどん「練習と遊び」というテーマから話が逸れてしまいそうなので、ここらへんで・・・

 話の続きはまたいずれどこかで。。
お読みいただきありがとうございました。

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