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大学で教免取得→青ストライプ配達男子→デンマーク留学(フォルケホイスコーレ)→福島県で…

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大学で教免取得→青ストライプ配達男子→デンマーク留学(フォルケホイスコーレ)→福島県で高校生のハウスマスター→島根県で小中学生のハウスマスター→大阪で先生[now]。ALL OKな社会や教育を目指したい。自分に対してもALL OKになることが人生の目標です。

最近の記事

2023年4月11日に書いた言葉

現在、14:39分 さゆみのお産を病院内で待っている。さっき会えた時は、苦痛に歪む顔を見て、一瞬緊張したけど、俺と目を合わせた時に、少しだけほころんだ顔も見せてくれた。 手を握ったら、強く握り返してくれて、 「大丈夫。がんばれ。」の気持ちを送った。届いたかな。 待合室にいても時折さゆみのイキむ声が聞こえてきて、それを聞くたびに、ほんの少し苦しい気持ちと、エール的な頑張れという気持ちが、1:9ぐらいの割合で混じり合っている。 この想いがさゆみに届いたらいいのに。 ずっ

    • 20代は「自分探し」、30代は「これでいいのだ」

        現在、僕は32歳。   ここ数年「自分の感性が失われたんじゃないか。」と、少し淋しい気持ちになる。       20代の頃は、良くも悪くも感性が豊かだった。   小さなことに感動して、些細なことで落ち込んだ。 その日々の出来事を、SNSで発信した。   「やりたいこと」をするために、各地を飛び回った。   20代はある意味、活発な生き方だったと思う。       でも、30代に突入したここ数年。そんな感性が、ほぼ無くなった。   日々は、それなりになんとなく過ぎていって、

      • 一年後に向けて。

        令和5年度大阪府教員採用試験の結果が出ました。 三次試験まで進みましたが、結果は不合格。 でも 「一次試験突破すら無理なのかな。。」という、長年自分に対して抱いていた不安には、打ち勝つことができた。 結果は残念だったけど、その代わりにすこし自信もついた教採でした。 敗因は、勉強・準備不足など諸々ですが、一番大きいのは、"気持ち不足"だったような気がします。 うまく言えないけど、"たぎるような気持ち"が湧いてこない。見つからない。 この解決策は、まだ見つかってませ

        • 覚悟はあるのか?

          以前から、識字教室へ参加している。 自分とペアの方は、とっても真面目で、おおらかな人だ。 識字教室へ通っている方の中でも、かなり古くから参加されているそうだ。 先日、その人と「なぜ、識字教室へ通うのか?」について話をしていた。 つきつめると、「新しいことを学べるから楽しい。」 この一言に凝縮されていた。 とてもシンプルで、尊い言葉だった。 人と向き合うということは、自分と向き合うということだ。 教員採用試験が終わって、今日で2週間。 とくにキッカケを見つける事

        2023年4月11日に書いた言葉

          教員採用試験を終えて、想うこと。

          令和5年度教員仕様試験を終えた。 現在、結果待ちだ。 試験の手応えを冷静に判断すると、受かる確率は低いのかなと思ってしまっている。 ちょっと、ネガティブバイブスだ。 それだから、悶々と、色々と、考えることがある。 この学校へ来て「仕事(教師)が面白い!」と感じた瞬間があまりない。 理由は、搾取されているのかもしれないし、自分がただ拗ねているだけかもしれない。 この文章を書いていて「自分の感受性くらい」の詩を思い出した。読み返した。 ”そもそも、ひよわな志にすぎ

          教員採用試験を終えて、想うこと。

          ある教員の言葉が、私の心を切り裂いた。

          私は、大阪府にある公立中学校に勤めている。 その学校には、普通学級の他に、ひまわり(仮名)という支援学級がある。 私は、そのひまわり学級の担任のうちの1人である。 4月に入り、中1の学年を受け持つことになった。 入学式を終えた2日後に、学年集会を開いた。 ・「学年目標ついて」 ・「中学校生活について」 など、目標や注意事項を新1年生へ伝えた。 その中の1つに ・「ひまわり学級について」 というトピックでのお話をした。 そこでは、私より先輩の支援学級担任が、生徒に

          ある教員の言葉が、私の心を切り裂いた。

          ふりかえりと、燃えよドラゴン。

          "支援担任"という役割での1学期が終った。 正直に言って、ゆるーく働いていたんじゃないかと、不安に思っている。 全力を出していけてたのか。なにかモヤっとしていた。 教科(体育)から離れて、「授業をする時間」がとても少なくなった。 それによって、生活時間に余裕は生まれたけど、 授業を試行錯誤する時間や、生徒の反応を感じられる機会は減った。 モヤっとの原因は、この辺りの変化が大きい。 支援担任(授業を見守る立場)として気づいたことは、 ①「僕は授業を考える時間が好きで、

          ふりかえりと、燃えよドラゴン。

          【まだ道の途中①】

          人生で初めて「体育教師」として過ごした一年間が終わった。 そこで得た失敗や発見を、言葉として残しておこうと思う。     この年度が始まるときに【やりたいと思ったことは、全部やる。】というMyテーマを掲げた。 なぜならば「自分はこの先も体育教師でいたいかどうか?」を本気で見極めたかったからだ。    逆に言えば、もしかしたらこの一年が終わった時に「もう体育教師をやめよう」と思う可能性があった。 そして、そういう結末を最も恐れていた。   という訳で、Myテーマを掲げた訳だが、

          【まだ道の途中①】

          いい先生ってなんだろう?

          ある日、僕は児童たちとレクリエーションをしていた。 その中で、ゲームのルールを全く守らないアオト(仮名)という児童がいた。 「それはダメ!しちゃいけませんー!」と、僕が声をかけても、一向に止める気配がない。 それに気がついた奥村先生が(仮名)が、アオトに近づいて、声をかけた。 『そうかぁ。アオトは勝ちたいんやなぁ。』 「うん。」とうなずくアオト。 『それやったら、ルールを破る以外の方法で、勝てる方法考えようかぁー。』 それ以降、アオトのルール破りは治った。 ”

          いい先生ってなんだろう?

          フォルケが教えてくれた自己信頼

          フォルケホイスコーレでの生活に慣れてくると、あることに気が付く。 「あれ、意外とみんなが認めてくれてるぞ。」 「やりたいって言ったら、案外やらしてくてれるみたいだ。」 フォルケホイスコーレという場所が、[Want to Doに対して、とても寛容な空間]であることがわかってくる。 そうなると、不思議と自分の中から「とりあえず、やってみよう(やってみたい)」がどんどん出てくるようになった。 僕は、いろいろなやってみたいこと(未体験)にチャレンジしてみた。できるかできないか

          フォルケが教えてくれた自己信頼

          やっぱり僕は、THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい

          先生になることへの志を強めていた8年前。 ある時、友人から「どんな先生になりたいの?」と質問を受けた。 僕はとっさに「THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい。」と、インスピレージョンで答えた。 あれから8年近くの時を経て、僕は今、先生として働き始めている。 そして今もあの頃と同じように、「THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい」と思っている。 そして、今になってやっと、「その言葉」を選んだ意味や想いが説明できるようになってきた。 なぜ僕は「T

          やっぱり僕は、THE BLUE HEARTSみたいな先生になりたい

          「フォルケホイスコーレ」という学校について、言葉にしてみた。

          今から約4年半前。僕はデンマークにある「フォルケホイスコーレ」という教育機関に約1年間留学していた。 そんなことを話すと、たくさんの人から質問が返ってくる。 「フォルケホイスコーレって、なに?」 大体は「簡単に言うと専門学校みたいなものです」とか「大人のフリースクールって感じ」等々、適正率65%くらいの言葉で返していた。 だって「フォルケホイスコーレ」をちゃんと伝えられる言葉にしていなかったから。 なので今日は、その「フォルケホイスコーレ」を自分なりに言葉にしてみよ

          「フォルケホイスコーレ」という学校について、言葉にしてみた。

          生きていれば、また会える。

          覚悟を込めて、書き残します。 先日、友人が亡くなった。 この島で知り合い、お互いIターンで、お互い変わり者で、僕にとって心から気の許せる、かけがえのない友人だった。         第一報は、上司からの電話。 「〇〇くんが亡くなった。」 まず、理解が出来なかった。 "海に溺れた?" "車とぶつかった?" そんなことが頭を過った。 上司が次に言い放った言葉は、 「死因は、自殺。」 。。。。。 本当によくわからなくな

          生きていれば、また会える。

          僕には、なにもできない

          いろいろな人間がいて、それぞれに生きてきた人生がある。 どんな想いで生きてきたのかは、その人にしかわからない。 その人の人生は、その人のものだから。 僕には、なにもできないと思っている。 でも、無力だとは思っていない。 僕には、”僕のできること”がある。 それは、 【何を問われたとしても、真っ当に応えられるだけの、人生を生きること】 これだけが、僕が生徒に対してできる、唯一のことだと思っている。

          僕には、なにもできない

          僕にとって教育は、ただの”伝達手段”です

          僕は今まで「教育」をテーマに掲げてきて、その根っこにあるものは何だろうと考えた。 そしてよくよく考えていくと、僕は教師にないたいわけでも、教育がやりたいわけでもない。という答えに辿り着いた。(極端に言うと) 結局突き詰めると、ある【2つの言葉が持つ”想い”を、困ってる人に伝えたい。】ということだけなんだと思う。 まずは、宮崎駿監督が引退会見で言ったこの言葉。 Q・これまでのすべての作品を通して伝えようと意識してきたメッセージはありますか? 「基本的に子供たちに『この

          僕にとって教育は、ただの”伝達手段”です

          「留学経験は必ず役に立つ」とあえて言いたい

          僕には、留学経験があります。 そして帰国し、友人やいろんな方とその経験について語りました。 そこから僕なりに感じたことをシェアします。 僕は、世の中には二種類の【価値】があると思います。 それは【社会的価値】と、【個人的価値】 例えるなら、【社会的価値】は、ロレックスの時計。 それを売れば、いいお金になります。 つまり、誰にとってもわかりやすく、世の中に共通している価値。 【個人的価値】は、おじいちゃんの形見の時計。 それを売ったとしても、いいお金にはなりま

          「留学経験は必ず役に立つ」とあえて言いたい