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「フォルケホイスコーレ」という学校について、言葉にしてみた。

今から約4年半前。僕はデンマークにある「フォルケホイスコーレ」という教育機関に約1年間留学していた。

そんなことを話すと、たくさんの人から質問が返ってくる。

「フォルケホイスコーレって、なに?」

大体は「簡単に言うと専門学校みたいなものです」とか「大人のフリースクールって感じ」等々、適正率65%くらいの言葉で返していた。

だって「フォルケホイスコーレ」をちゃんと伝えられる言葉にしていなかったから。

なので今日は、その「フォルケホイスコーレ」を自分なりに言葉にしてみようと思う。



まず、フォルケホイスコーレの特徴をザッとまとめると、下記の5つ。

①入学試験がなく、誰でも入学できる。
②テストや成績の評価はされず、単位や学位も与えられない。
③先生と生徒が学校の中で寮生活をしながら、共に暮らし共に学ぶ。
④座学の授業はほとんどなく、対話や体験を中心に授業が行われる。
⑤民主主義教育が謳われており、あらゆる場面で自己選択や自己決定が必要とされる。
(上記の特徴は、各フォルケホイスコーレにより多少の違いはあるものの、ベースとしては共通しているものだと思う。)



フォルケホイスコーレという空間は(マズローの欲求5段階説でいうところの)自己実現欲求エリアまで引き上げてくれる空間になっている。
生理的欲求や安全欲求はすでに満たされていることを前提にして、その欲求を引き上げるプロセスを解説してみよう。

マズローの欲求段階


①まずは、社会的欲求の引き上げ方について。
社会的欲求とは「グループに所属したい」だったり「誰かと繋がりたい」というもの。

フォルケはランダムに集められ人が集団生活を行い、シェアルームしながら暮らす。もちろんだけど、生徒たちは同じタイムスケジュールも共に動く。フォルケに置いてある家具なども、円形や丸みを帯びていたり、誰かと向かい合うような造りになっている。

つまり、フォルケに入学した時点で誰かと繋がれるような仕組みになっているし、そういう仕掛けがたくさんある。
はい、これで社会的欲求はクリア!


②次に、承認欲求の引き上げ方について。
承認欲求とは「他者から認められたい」だったり「自分を認めたい」というもの。

フォルケやその先生たちの【Want to Do】に対しての寛容さはすごい。
各教室(音楽室&工作室&体育館&プールなど)が自由に使えるところだったり、ゲロ吐きレースや全裸レースや、24時間耐久運動会をやったり、
どんなにバカバカしいことでも実行していて、そのために施設や時間を使うことに寛容なのだ。
また「やらない」「出席しない」という選択に対しても同じように寛容だ。
悪い表現になってしまうが、授業に来たくなければ来なくていいし、サボっていても目をつぶってくれる。
著しく校則に反していない限り、だいたいのことは認められてしまう空気がある。
(これは各フォルケの教育スタンスによって変わると思うけど。)

フォルケの中でアクションを起こせば、大抵承認される。
そしてこれが肝心なのだが、フォルケにはテストや成績表などのジャッジシステムがない、だから否定をされない。
良し悪しの評価とか、誰かより優れてる劣ってるなどの価値基準を、具体的に体感する機会がない。
つまり「自分を否定をされない」ということが、フォルケ内に漂う「誰もが承認されている雰囲気」に繋がっているのだと思う。
はい、これで承認欲求もクリア!



③最後のステージは自己実現欲求について。
これを満たすかどうかは自分次第になる。フォルケは自己実現に向けて、支援はするが、指導はしない。
自己実現に向けて考えられる「環境」と「時間」だけを準備して待っている。フォルケは生徒たちを徹底的に見守る(放置プレイ気味なくらいに)
あとは「”ここ”でどのような時間を過ごすか?」「”これから”どのような時間を過ごすか?」を自らに問う。
何かしてもいいし、何もしなくてもいい。
それを自分が選んで、自分で決めていく。
それがフォルケ式の学びだ。



自己実現ステージの前で立ち止まり、


「何をしたいのか?」「人生とは何か?」「自分とは何者か?」を問う。


他者と対話し、自分と対話し、


悩み、考え、向き合い、探求する。


それが、フォルケホイスコーレという場所だと思う。

(もちろんそんな深く真面目に探求しなくても、ただ楽しむだけとか、モラトリアムの延長戦だとか、それぞれがそれぞれのスタンスで暮らしていい。)



語学留学やアカデミックな留学との違いがここにある。
一般的な留学では学位を取得したり、スコアをあげたりなど、目的と価値が明確だ。
だから、成果が出れば有意義だし、そうでなければ怠慢ということになる。


一方フォルケは、自由な時間に包まれ、自分の責任において委ねられている。
全てが自分主導で、目的も価値も変わっていく。


【自由な時間に包まれ、自分の責任において委ねられ、全てが自分主導で、目的も価値も変わっていく。】


これは、もはや人生そのものだ。


人生の時間の使い方や生き方を、フォルケホイスコーレでトライアルすることができる、トライアルさせてくれる。


だから、


『フォルケホイスコーレは、自分自身の生き方を教えてくれる学校』なのだ。


とりあえず、フォルケ言語化アウトプット第一弾、これで終わり。

次回へ続く。


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