見出し画像

誕生日

私は絶対に譲れないことがある。それは誕生日。

口より行動。これは普遍の真理だから今更言う必要ない。でも何回でも言う。口より行動。私の誕生日を、たった一年に一度の、この世に私が登場した誕生日に、私を喜ばせたいと思わないなら、私と関わらない方がいいとおもう。きっとあなたにとって私はそんな程度だし、私にとってもそんなものなのだ。
ひとりいる。わたしたち親友だよねっと呼吸のようにいう子が。でもその子は誕生日前日に、『明日誕生日だね!』と満足げに言ってきたきり、何もない。

私が大事で大事でたまらない人の誕生日には、これ以上ないほど自分の時間を捧げる。なぜなら、いつも素直に気持ちを伝えられなくて、でも大好きで、本当に感謝していることを最大限にして伝えられる日だから。もしその子に用事があれば、5時間だって待ったことあるし、気づけば喜ばせたくて破格の金額を使っていることもある。納得がいかなくて朝から晩までまちをひとりでフラフラしていたこともある。でも、その子が喜ぶ顔を想像すれば、何も苦じゃない。

それ重いよとか、あなたがそうしてるだけじゃんとか、見返り求めてるじゃんとか聞こえてきそう。うん聞こえる、聞こえるよ。もはや私の中から。

恋とは相手の気持ちを求めるもので、愛とは自分の気持ちを与えたいとおもうこと。


相手の喜ぶ顔が見たくて行動してる私はまっすぐだとおもうよ。愛感じるもん。

でも、愛も恋も別にキッパリ二つに分かれないでしょう。言わせてもらうけど自分が一番なんだから人は。愛の要領が決まってたとして、自分に向ける量の気持ちまでも人に向けた時(これを愛とする)、向けた分の気持ち返ってこなかったら、その人苦しいでしょ。足りないんだから。これは見返りを求めているのではなく、必要十分条件の話。あげあしじゃない。これだけ水をあげてくださいね。って言われた植物に半分の水しかあげなかったら、枯れるでしょ。その植物が目の前で枯れていくことにすら気づけないのよ。あなたはその植物に花を見せてもらってるのに。もう、こんなこと誕生日に考えさせないでよ。淋しいわ。


でもそんな心配しないでね。私は、私が好きな人を好きな私のこと好きだから。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?