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1999ー2000年/1月

<私が日記を欠かさず付け始めたのは1999年のおわり。私が12歳で中学一年生の最後の方だった。当初は弟のペータととても仲が悪く、常に喧嘩になり親に怒られていた。>

12月30日


今日は朝から私たちは東京のオーストラリア大使館に行ってきた。ちょっと時間がかかったけど問題なくオーストラリアの観光ビザがとれた。やった!待機していた時に黒人の男の人がいたんだけどずっと私を見ている気がした。なんでだろう。正直、ちょっと格好良かったかも。

ところで、茨城から東京までの道は綺麗だったぁ!大橋を走行したんだけど左右とも地平線までが建物で埋め尽くされていた。感動した。

お昼はレストランで食べた。ハンバーグを注文したらお母さんが家で作るものと変わらない味だった。つまらなくて残念に思えた。座っていたソファーと壁との間を何となく覗き込んだらゴミがたまっていた。それもなぜか石けんの包み紙があった。

午後は旅行代理会社か何かを往復した。よく分からなかったけど、親が行きたかったツアーが予約できてなかったみたい。お母さんはまた今回の旅行は嫌な予感がすると言って今更行くのをやめたほうがいいかもと言い出した。

夜は宿題をしたあと、お母さんと散歩した。お母さんは旅行に対する不安と、目が痛いことと、何かと私を説教していた。これが嫌なんだよね、お母さんは。いつも嫌なことばかりを気にするの。

<ちなみに、当時お母さんは数ヶ月前に視力訂正の手術を受けていてそれの後遺症で常に目の痛みと違和感に苦しめられていた。大金を払ってまでして自分の健康を損ねたことを数年間は後悔していたと思う。>

P.S. 旅行代理店では私はとても親に腹をたてた。特にお母さんに。親は全部自分たちで問題を説明をしようとしていて、結局返事を理解できていなくて、会話全然成り立っていなかった。私は助けようとしたけど口を挟むのは失礼だと思い静かにしていた。そうしていたら急にお母さんが「なんで何も言ってくれないのよ!」と怒ってきて私が悪者になり上がっていた。

<この様なことは頻繁にあった。私の両親は両方日本語がまともに話せず私は常に通訳をさせられていた。いくら頑張ってもいつも親の期待にそぐわなくて怒られた気がした。今考えれば自分の気まずさをそれで晴らしていたのかなとも思える。父は仕事で英語が使えて問題が特になく、母そこまで勉強する気欲がなかったのだろう。>

12月31日

<大晦日はロシアでは年一大きなイベントだ。クリスマスツリーが飾られてサンタさんが来るのもこの日。夕方からおいしい料理を用意して年が変わる前と越してからそれぞれ祝福してワイワイ食べたり飲んだりする。うちではいつも4人家族だけで祝ったけど普通は集まれるだけ色んな人が集まって一緒に楽しむ。>


ペータはサンタさんを大いに信じていておもしろいことを言ってきている。
「クリスマスツリーのライトをつけっぱなしにしておいてね、暗いとサンタさん、ツリーが分からないかも」
「ツリーの下に置いてあるおもちゃをどけないと、サンタさん、もうプレゼントが置かれたと思っちゃうよ。」

私は一日宿題を頑張っていたけど結局終わらなかった。夕方にはケーキを焼いた。カウントダウンのあと、お母さんは私を抱きしめようと近づいたけど私はハムスターのちびちゃんが電気コードをかじろうとしている気がしてケージを開けに行った。お母さんはそれに怒って次の日もずっと私をシカトしていた。更に私だけオーストラリアに連れていかないとも脅してきた。

大晦日、お母さんとペータは早く寝て、私はお父さんと残ってMTVでコンサートを観た。すごく気にいった曲がいくつかあった。絶対探して録音しないと。。。お父さんはそのうちどこからかプレゼントをサンタさんからと言って持ち出してきた。私のも見せてきた。もちろん、サンタさんなんて信じないけどあえて見せなくてもいいよね。

1月2日 (2000年)

今日はお昼の後公園に行った。それは楽しかったけどそのあとの買い物がすごくむかついた。何も買ってもらえなかったんだもん!16個くらいの物を却下された。たったの100円のかわいい鏡を含めてね。お母さんはやっぱり私が好きじゃないと思う。さっき私がペータを軽く叩いただけで怒られたこともそれを立証していると思う。ペータなんて、私をからかって「スチョーパ君はきっとレヤの誕生日にブラをくれるでしょう」と歌っている。私がそれがいくら嫌でも親は笑っているだけ。

1月9日

今日は朝から慌しかった。オーストラリアに飛び立つ日で荷物作りに掃除に皿洗いなど、やることがいっぱいあった。ペータが友達と遊んでいる間に私はお手伝いをした。何で親は前から全部やっておかなかったのだろう。やっと私たちは車にスーツケースを積んで空港へと向かった。ずっと実感が沸かなかった。もう少しで家へ戻ることになる気がした。今はもう飛行機の中だけどまだ信じられていないよ!

空港に向かう途中の道は綺麗だった。大きな川を渡る所があった。滑走路はカラフルなライトで埋め尽くされていた。感動的だった。日の出を大洋の上で見れるとおもう。それはまだまだだけど。今は私は音楽を聴きながら映画が始まるのを待っている。窓の向こうは真っ暗。海の中の魚ってどうやって周りを見ているのかな?

<結局私はちゃんと日の出前に起きてずっと日の出を見入った。それはそれからの海外へ行く度の習慣となった。>

1月12日

お母さんは落ち込んでいる様子だ。身体全体が痛くてもう無理と言っている。可哀想。本当に無理だったらどうなるの。。。?

また一日をプールで泳いで過ごした。もう飽きてきちゃったかも。卓球とビリヤードもやったしジムにも行ってみた。楽しかった。ジムの後は少し痩せた気がした。ビリヤードは思ったよりうまくできた。女の子と友達になれるチャンスがあったけど恥ずかしくて話せなくて無理だった。多分誰とも仲良くできそうにないな。夜はしっかり宿題をやった。自分でもうまく時間を管理出きていると思う。学校に行く意味なんてあるの?

ここに来て数日経ったけどもうずっとオーストラリアに住んでいる気がしてきた。日本はただの記憶なのかな?

<実際に母がどのくらい痛みを感じていたのはわからない。見た目の異常は滅多になかったし診断ももらえたことがなかった。>

1月14日

昨日と今日は買い物に行った。バックストリートボイズのカセットと友達への土産を買った。それからコアラのぬいぐるみとブレスレットを何個か買った。本当は一個だけが自分用で残りはお土産にしたいけどお母さんはもったいないから自分で使いなさいと言っている。

こっちの店は大好きだ。何となく気軽でいられる。日本と比べて緊張しない。

あと、動物園に行った。全般的に楽しかったけどコアラと写真がうまくいかなかった。

<私は緊張のあまり少ししかめっ面で笑って写真を撮った。お金を払って大きく印刷してもらえる所だ。お母さんはそれがかわいくないとして私を叱った。それから何ヶ月経ってもその写真が出てきた度に「なんでそんな変な笑い方をしたのよ」と私を攻め立てた。大人になるに連れ醜形恐怖症の症状がでてきた私はきっとこれも原因の一つになったのだろう。>

1月17日

今日は公園に行った。雄大な自然に感動した。でもお母さんが本当に嫌!自分で写真を全然撮らないくせにカメラを貸してくれないんだもん。最高のシャッターチャンスを3ー4回は逃しちゃった!そのうちの一回は本当にいい設定で、私が腰に手をあてて私を凝視しているカンガルーを睨んでいたの。完璧な一枚だったんだよ。でもお母さんはなぜか物足りなくて、よりうまく撮れるよう準備したり、ペータも一緒に写ればと言って待っていたり。。。なんで??結局カンがルーは行っちゃって写真が撮れなかった。最悪。お母さんは、髪を直すなど、準備をせずにあったりバッタリで写真を撮ることはよくないと考えてるらしい。

その夜、私はテレビを少し観ながら勉強をした。そうしたら日本のドラマがながれていた。エッチなやつ。ユキに見せたかったな!そのストーリーでは天気予報のお姉さんが毎回予報の後にパンツを丸出しにし、それをみんなが喜んでいたの。変だとは思ったけどおもしろおかしかった。今もまだやってるんだけど、男の人がが寝ているお姉さんのお尻の匂いをかいで「最近匂いがよくなったなぁ」と言っている。そうしたら彼女は「まさおさん、新しい趣味ができたの?」とわらって返事している。この映画は絶対にスケベのために作られただろうな。。。

1月18日

今日は遠くの山の中に流れる川に行った。アボリジニがいた。そのうちの一人が私たちに話しかけてきたけど訛りで何も理解できなかった。変な声をしてた。ここら辺の森林に実際アボリジニが住んでるんだって。アボリジニってなんか気に入った。普通の格好をしているけどとても目立つ。

川は結構冷たかった。私はそれでも泳いでみた。魚がうじゃうじゃいた!でも俊敏すぎて一回も触ることさえできなかった。綺麗だった。

お母さんは自分にオパールのペンダントを買っていた。お母さんの肩身としてねと言ってた。オパールって海岸に落ちている白いクオーツみたいな石の中から見つかることがあるんだって。それを聞いて私は後で大量にそれを集めた。期待できそう!

1月20日


今日は本当にいい日だった!特に変わったことはなかったけどみんなただいい気分だったの。朝、親はお母さんの眼を診てもらうのに病院に行って私とペータはホテルで留守番をした。気晴らしに枕とテーブルランプなどを使ってかかしのような物を作った。後で、海岸に行った。潮が引いていて、見ると、そこら中に砂に小さい穴が空いていて蟻の巣みたいに周りに丸い砂粒が溢れているようだった。私は好奇心でその犯人を突き止めようと砂をしばらく掘り起こした。永遠と掘った後にようやく見つけたよ!極小のカニを!かわいかったー!その後お城も作ったよ。夜にはみんなで暗い中プールで泳いだ。水が暖かくてすごく気持ちよかった。前からこうやって暗い中泳いでみたかったな。

1月21日

今日は私たちはサンゴ礁を見に出かけた。朝早く向いのツアーバスに乗り込んだ。途中で他のお客さんも拾った。日本人も乗ってきた。若いお姉さん達で乗車するときに「ハーイー」ってかっこつけて大声で言っていてこっちが恥ずかしかった。

さんご礁まではボートに乗って行った。結構時間かかった。島につくと、私とお父さんはスクーバーダイブグーループに参加した。酸素ボンベは重すぎて私は転落しちゃったよ。私はまだ12歳で年齢制限の13歳より下だったけどお父さんが13歳だって言ってくれた。水が完全に透き通っていて綺麗だったのは確かだけどあんまり楽しむことはできなかった。なぜかというと、インストラクターのお姉さんが私を心配してか、私の手をつかんで離さなかったの。自分で泳ぎたかった!それにしてもサンゴは本当にカラフルで色んな形していて素敵だったよ。魚も本当にいっぱいいた!水族館の中で見るものばかりね。そして鳥も無数にいた!
ご飯を食べた後は家族で自由に泳げた。肉食貝みたいのを見た。何かでつついてみたかったけど止めておいた。砂浜で死んだサンゴを何個か拾ったらボートの乗務員のおじさんに、サンゴを持ち帰ると罰金を課せられると言われた。言われるがままほとんど海に捨てたけど一番小さいのを手に握ったまま保管しておいた。したら夜ずっと罪悪感に苛まれた。明日ちゃんと捨ててこよう。。。

1月22日

今日は買い物行ったときにお母さんにピンクのパンツを買われそうになった。それもハート柄!私はもちろん猛反対!そうしたらお母さんは私にキレるし。。。もう最悪。

海はまた引き潮で私は泳がずに綺麗な石や貝殻を探して遊んだ。お父さんは何かの経緯で若いときに池に飛び込んで首の骨を折った話をした。だから猫背なんだって。死んでたことだってあったかもしれないんだよ!

<おかげで親は私を余計に心配して飛び込みの習い事をさせてくれなかった。本当にやりたかったんだけどな。水泳教室にはいやいや毎週通わされたけど。一生泳ぐのが嫌いになった。>

1月23日

今日はオーストラリア最後の日で買い物をいっぱいした。私もやっと水着やCDなど、いろいろ買ってもらえて嬉しかった。ただ、お土産を買いたいと言うとお母さんは節約の大切さを急に思い出して叱ってきた。ずるいよ。。。自分の物はいっぱい買っていたくせに。最終的になんとか無事お土産を選べてよかった。

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