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クオーターライフクライシスを過ぎても結局ずっとクライシス

クオーターライフクライシスという言葉を最近初めて知った。

大好きなポッドキャスト「ゆとりっ娘たちのたわごと( #ゆとたわ)」で話題になっているこの言葉、
20代後半ごろに起こる精神モヤモヤ状態のことで、
端的にいうと「人生を4分の1過ぎた頃に訪れる幸福低迷期」のことらしい。
ゆとたわでこの話題が語られた途端、
Twitter上でソーサー(ゆとたわではリスナーをソーサーと呼びます)たちが
「わかる!」「これだ!」とあちこちでつぶやき始め、
番組には共感のメールが多数届いたという。

それを聞いて一番最初に思ったのは、
「いや、わたし今でもクライシスなんですけど…」ってことだった。

はるか昔の20代後半を思い返してみる。
確かに、
仕事に慣れると共に「この仕事、本当にわたしに向いてる?」と思ったり、
友達からの結婚報告が相次ぎ「あれれ?わたし、乗り遅れてる?」と焦ったり、
我が身を振り返るつもりもなく振り返る状況に立たされて、
「今のわたし、正解の道を進めてる?」と不安を感じたことがあったような。
あったな。
ありましたね。

おそらく、大学を卒業するまではなんとなくみんな横並びだと感じていたんだ。
疑問も持たずにみんなと同じように進めば良いと思っていた。
多少の差はあれど、学生でいる間はみんな似たりよったりのレールに乗って、
受験や学生生活や就職活動を経て
ペーペーの新人として社会に出て…。

で、そこから4〜5年経って気づくのかもしれない。
横並びじゃなくなってるぞ?って。
みんなのレールがあっちこっちに曲がりながら
どんどん違う世界に繋がり始めてるぞ?って。

着々と専門的スキルを身につけて逞しいプロになっていく人。
彼氏の海外赴任辞令を機に結婚し駐在員の妻となった人。
学生時代からの恋人と早々に結婚し家事育児に忙しい人。
ワーキングホリデーを活用して海外へ飛び出した人。
みんなが何かを決断し、何かを選んで、
自分のレールを自分で敷き始める。

そんな中で自分は日々の仕事と生活を回すだけで精一杯だったりして。
ふと、自分の下にあるレールに
「これでいいんだっけ?」と
疑問を感じたりして。

20代後半は、そういう時期なんだと思う。
人生で初めて
自分のレールを、自分で選んで自分で作る。
それができるだけの力がついて、
それをやらなきゃならないことに気づける。
それだけの大人になったってことなのかもしれない。

わたしの時代に比べて、
今は結婚適齢期なんて言葉は廃れたし、
就職の形も終身雇用一点張りではなくなったし、
選択肢が何倍にも何十倍にも膨れ上がっているんだと思う。

だからこそ、みんな、
「何を選ぶ?」
「どこを目指す?」
「これで大丈夫?」
「他の正解はない?」
悩む要素に事欠かなくて
モヤモヤと立ち止まってしまうのかもしれないなぁ。

昔は
ランチセットにデザートが付くくらいの自然な流れで、
数年働いたら寿退職して子供を産む人が大半だったけど。
今は、
ランチセットもプリフィクスでお好みに合わせてカスタマイズ。
デザートはケーキブッフェからお選びいただけるくらいの状況で。
自由なだけに、悩ましい。
それは、わたしからみると
ちょっと羨ましい、光に満ちたクライシスだ。

で、ここからが本題。
クオーターライフクライシスはおそらくどこかで脱却できる。
でも、ライフクライシスは繰り返す。
人生の節目節目で繰り返す。

クオーターライフクライシスは、
これから始まるクライシスまみれの人生の
輝く入場ゲートみたいなものだと思う。
ようこそ!人生へ!

結婚
出産
転勤
転職
昇進
子どもの進学
マイホーム
病気
事故
離婚
介護
子離れ
エトセトラ エトセトラ…。

人生はクライシスと選択肢で溢れていて、
失敗した時に戻れるチェックポイントはない。

わたしはクオーターライフクライシスの倍の年齢になっても
まだ足元のグラグラするレールを見て
「次はどっちだ?」
「わたし、大丈夫?」と自問する。

今では横並びどころか異次元の場所で
それぞれ格闘している友人を遠目に見て、
「あの子も頑張ってる!」
「踏ん張れ!わたしも踏ん張る!」と自分に言い聞かせる。

いや、正直なところほんとにこの年代のクライシスも深刻で。
閉経だか更年期だか、
ホルモンバランスだかなんだか知らないけど
常に体調はイマイチだし。
(経年劣化が人体にも!と日々思う)

もう少し痩せようが、
もう少し絞ろうが、
若い頃のスタイルにはもうどうしたって戻れないし。
(重力の力、抗えねぇ!と日々思う)

親の介護に子どもの教育費、
自分たちの老後資金、税金、年金、介護保険。
お金かかることばっかりで、
でも働けるのはいつまでなんでしょう?
(これこそガチのクライシス…と日々思う)

息子たちは数年以内に独立して出ていくだろうし、
夫は定年を迎えてその先の生活ってどうなっていくのか?
親の介護はこの先どうなるのか?
いつまで続くのか?
わたしの方が先に死んだりして?

クライシスは尽きません。

結局、生きてくってことはクライシスをくぐり向けていくってことで、
精神的なサバイバルゲームの中にいるようなものかもしれない。

でも、このゲームはなかなかのやりごたえだと思う。
数多のクライシスを乗り越えるたびに経験値は上がる。
老化も感じるけど進化も感じる。
クライシスがあるからこそ
わたしは成長し、進化しているんだと実感できる。

だって、何にもミッションが起こらないゲームなんてつまらないもんなぁ。

で、結局、何が言いたいかというと。

「クオーターライフクライシスは幸福低迷期」との説明(どこぞのサイトで読みました)に
違を唱えたいのだ。

クオーターライフクライシスは幸福を選び取るチャンスだ。
クオーターだけじゃない、
ミドルもハーフも、あらゆる段階のクライシスは、
難しいけどめっぽう面白いゲームのミッションみたいなものだと思いたい。
戦略を立てるもよし、
運を天に任せてガチャを引くもよし、
自分を信じてエイヤぁっとダイブしてみるもよし。

クオーターライフクライシスは土星の仕業とゆとたわで言っていたけど、
自分の幸福を土星なんかに低迷させられてたまるかってくらいの気持ちで、
わたしはわたしのレールを敷いていきたいと思うのです。

どうせずっとクライシスなんだから、
楽しまなきゃ、勿体ないもんな!


最後になりましたが、
わたしにいつも笑いと癒しと学びをくれる、
最強最高雑談ポッドキャスト
「ゆとりっ娘たちのたわごと」に感謝を込めて、リンクを貼ります。




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