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いなくても感じる母の存在

山根あきらさんが、お母さんに関する記事を
書かれていたので、私も母について
書いてみようと思った。

母が亡くなったのはもう19年前だが、
そんなに経ったとは思えない。
今朝も普通に夢に出てきた。

いつも母が夢に出てくる時は、
普通に生きているように日常に現れるので、
起きてから、母はまだ生きていたのだっけ、
と寝ぼけながら混乱する。

今まで祖父や祖母も天国に見送ったが、
その瞬間に立ち会ったのは母しかいない。
ドラマなどで見る
臨終のシーンみたいなものを想像していたが、
実際は違った。
みんながみんな、静かに亡くなっていく
わけではないんだと知った。
人は生まれる時も大変だけど、
この世を去るのは人生最後の大仕事だと思った。

とうとう最期の瞬間がきた時、
覚悟して医師と立ち位置を交換した。
医師は母の瞳孔や脈を確認して、腕時計を見た。
私は身構えた。
「◯時◯分、ご臨終です」
と映画みたいに言われてしまうのが怖かった。

だが医師はその時、
「◯時◯分、旅立たれました」
と静かに言った。
私はなぜかほっとしたのを覚えている。
そういう表現をする医師が、
最後の担当医でよかったと思った。

母は7年間の闘病の末にこの世を去ったので、
覚悟していた部分はあったようだ。
母が亡くなったことを母の親友に告げたら、
私と妹宛の手紙を預かっていると言われ、
葬儀の時に受け取った。
「いつも見守っています」で括られていた手紙。
孫の顔を見たがっていた母は、
娘のチビ子のことも見守ってくれているのだろう。

亡くなってしまったのに、もういないのに、
なぜかいつも一緒のような気がして心強い。
母は旅立ってから、そんな存在になった。

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