見出し画像

外部要因で人の性格は作られるのか

私は、人の性格って先天性のものより生きていく中で生活してきた環境や人間関係などの外部要因によって作られている割合が大きいんじゃないかって思うことが度々ある。それは、自分自身がきっと思い当たる節が沢山あるからだろう。

例えば、私は小学校の低学年くらいまでは物凄くおしゃべりで親からは口から生まれてきたのかと言われていたほどだった。学校から帰ると、学校であったことを1から10まで母親に話して、母は自分も教室にいるようだと何度も言っていた。でも、成長するにつれて私の性格は180度変わり、小学校の高学年以降はクールな人間だと周囲に思われ生きている。「大人しいクールな優等生」というのが自分だと。

この180度の変化には外部要因が大きく関係していると思う。私は、子供の頃から背が高かった。小学校ではずっと列の最後尾に立っていた。運動も得意だったので、女子よりも男子に混ざって遊ぶことが多かった。(これは兄がいる影響もあったのだけど)

背が高いから、ちょっとぶつかったりしただけで強力のように大袈裟に振舞われたり、色々と言われることが嫌で行動も言動も段々と目立たないようにするようになった。(小柄な女の子が乱暴な行動やキツイことを言っても、そこまで何も言われないのに、、と内心思っていた)背が高いだけで、女子からも「守ってー」と盾に使われたり、「かっこいい」という形名詞を刷り込まれていった気がする。

高学年になるとクラスの男女が分断することが度々起き、その度女子は女子の味方、男子は男子の味方となることが多かったけど、私はその頃からどちらの味方にもならず、両者の話を聞いてから判断するような子供だった。女子は共感の生き物というけれど、群れるのも苦手だし、その頃から人と一定距離を保って接するようになっていった。

背の高い見た目と人と距離を置いて接するところ、あまり行動や言動で目立とうとしないところが相まって、クールキャラは定着していった。一度そうなると、お喋りだったりひょうきんな自分は出てくる術をなくし、影を潜めた。

海外で生活して、言葉が話せない環境で過ごすことで更に無口になった。無口というか言葉が話せないから必然的無口になった。

大学になると「帰国子女」や「高身長」ということでかっこいいと言われ、やっぱり何か違うよねと言われ、有難いけれど言われる度に壁を感じるようになった。日本で育ったし、背も小柄な自分達とは違うと一線引かれたように感じたのだ。それと同時に、皆から見える「かっこいい自分」でいなければと思ったし、いたいとも思っていたから・・・弱ると猫みたいに人に合わないよう一人でいることが多くなる。

何とも厄介な話だ。周囲の作り出した私の理想像を聞くたびにそんなにかっこよくもないし、クールでもないのにと思いながらも、そう見えるように振舞っている自分もまた自分だと思ってしまうから。

きっと今の私の7,8割は私の纏わりつく周囲からの期待や理想、それを壊したくない自分といった外部要因で出来ている気がする。

まだ外部からの影響を受けず本来のお喋りでひょうきんだった幼き頃の自分が顔を出すのは、本当に心を許した相手にだけだろう。今のところ、該当者は1名しかいないのだけど。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?