あの夏の日の思い出
今週の初め...
野暮用で隣の市に行った際に昼飯は何処で食べようかと思案中、約二年前に仕事中に見つけたとっておきの場所を思い出したので、行ってみた。
場所はタイトル写真の通り、某ヨットハーバー。
天気は正にここの雰囲気が似合う夏空!
連日、酷暑が続いているが、頬に当たる海風が心地良い。
普段山の手で生活しているから、何か久し振りに海を目の当たりにすると活き活きする。
それは神戸出身だからなのか?
それで行くと、イメージされるのは港町なんだが…
勿論、神戸にもお気に入りの港町らしい風景がある。
しかし、ここに来ることに惹かれるのはそれとは違う記憶…
それはクラブハウス内に展示してあった競技用のディンギー(競技用のヨット)が、一つのキーワード。
しかし、何十年振りだろうディンギーを間近で見るのは...
確か、前回来た時は無かったような…
実は大学時代、ヨット同好会に所属していた。
当時はヨットなんて全く興味が無かったけど、先日約30年振りに再会した大学の唯一の親友に誘われて入ったヨット同好会。
そもそも彼に...
「練習場のヨットハーバーまで行くのに車が足りないから車出して欲しいねん!てか、一緒にやろうよ!みんないい奴ばかりだし!」
と言われて、半ば強引に同好会に入れられた。
正直、当時はクルマののめり掛けていて、余り気乗りしなかったのだが…
しかし、メンバーは確かにみんないい奴ばかりで、気さくに迎えてくれた。
その同好会は結成したばかり。
その発起人は小豆島出身の部長。
彼は当時、国体に出場するほどの実力者だった。
ただ、彼がその同好会を発足したきっかけはヨットはまだまだ日本ではマイナーな競技だし、その楽しさを少しでも知ってもらいたいからということだった。
競技に参加して競い合うのであなく、先ず身近な人に純粋にヨットの楽しさを知って貰いたい…
と言うのが彼の思いだった。
でも、そう穏やかな表情で語る彼の人柄にも惹かれて入部したのも1つのきっかけ。
その後ろには同好会の他のメンバー全員が手を併せて懇願していたのだが…(笑)
しかし、今思い返すとあの時、親友がヨット同好会に誘ってくれなかったら早々に大学を辞めていたかも…
何より卒業旅行も彼と一緒にするような間柄になり、先日約30年ぶりの再会を果たし、お互いが再会を心底喜び合える友には大学で出会わなかっただろう。
初めての活動は大阪の北港にあるヨットハーバーだった。
勿論、競技用のヨットに乗るのは生まれて初めての体験。
他のメンバーも大学に入って初めて触れるものがほぼ全員だった為、部長の彼が毎回懇切丁寧に説明してくれた。
しかし、当時の私は壊滅的なほど不器用。
親父が器用だったのに何故こんな不器用なのかと?当時は思っていた。
その難関はロープ結び。
太いロープをそれまで扱ったことが無かったし、それを説明を聞きながら器用に結ぶ他のメンバーは凄いなと毎回思っていた。
中でも特に、大学時代の唯一の親友であった彼はボーイスカウトに所属していた経験もあり、部長以外では群を抜いて上手かった。
その親友に毎回手助けされていたのは言うまでもない。
そこから、毎年夏休みに部長の故郷である小豆島で行われた夏合宿に参加。
朝から晩までヨット活動を堪能した。
その時、同好会で作ったHELLY HANSEN (ヘンリーハンセン)のお揃いのウインドブレーカーは何処か誇らしかった。
当時、宿泊したのは小豆島にあるユースホステル。
実は今から18年前の30代の半ばに一念発起して、当時乗っていた125㏄の台湾ヤマハで生産されたマジェスティ125FIに乗って住んでいた阪神地区から出発して姫路港まで行き、そこから小豆島に渡ったことがある。
125㏄のスクーターでは高速道路は乗れない。
そういう敢えて少し不便な旅がしたかった。
それはあの夏、ヨット三昧だった思い出の小豆島に行くにはそういう方法で行きたかった。
何処かヨットを動かすのにも通ずるかの様に…
その際に宿泊したのは当時合宿の宿にしていたユースホステル。
夕食の際にユースホステルのオーナーに…
「実は今回の旅は大学時代の思い出を辿る旅なんです。」
と当時のヨット同好会の思い出を話すとその事を覚えておられて、何処か嬉しかった。
部長の事もご存じだったが、その後どうしているかまでは覚えておられず、
ヨット同好会の部長との再会は果たせなかった。
その事を先日再会した親友に話すと、
「みんなこの歳になったから改めて会うのもいいかもしれないな…」
と言っていた。
ホント、実現しないかな…
改めて、あの夏の思い出を胸に当時のヨット同好会のメンバーを招集出来たら最高だろうな。
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