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【Bookalyst】私の仮説「思考は体を使う」を裏付けてくれる本:「脳の外で考える」~アニー・マーフィー(松丸さとみ訳)~

今日、一度全力の記事を書く

Bookalystは、主に書籍のレビューなんだけど、
実はこの集まりが、最終的には

この世界や人間の不思議を理解するのに役立ち、人が何か思い悩んだ時、「そのすべての答え」がここに用意されることを目指している

とは、今初めて書いたが(^^;)過去の記事が意味するところも
今読んでも、そうかもしれない、程度の痕跡は残したつもりだ。

で、今日は。

最初は、徐々に外堀を埋めてから、難易度をあげる、つまりステップ型の
理解方式を考えたのだが、まずこれは、

 勉強をはじめたけどゴールが見えない

という、私があまり好きではないパターンになりそうなので、
まず、ゴールを先に示そう。

題名とは関係ない話をここに書いているのは、いつものパターン、
単なる冷やかしや、うわべだけわかった気になって、判断する人を
排除するため。
本当の意味での引き寄せの法則を理解し、自分の人生をこの地球存続を
存続させ、少しでも子供や大切な人など後世に引き継ごうとする者たち
だけに届くように、コンテンツがリベラルアーツの教材として
使えるまでは、この方式を取ります。

では、まず、以下の動画をご覧ください。
私の目的は
 この動画の言っていることが理解できるようになり、そして
 鵜吞みにせずに、疑問を持ち、適切な人に質問をして、
 その疑問を解決、つまり確かめるにはどうしたらよいのか?
 ということを頭の片隅に置きつつ、快適な人生を生きてもらう

ということです。
この動画を見て
 「私たちはもっと自分というものに疑問を持つ必要がある」
と思った人は、お気軽にコメント欄に感想でも、質問でも書いてください。
私は、それを運命と受け止めて、すべての質問に回答します。

一方、この動画を見たけど、
 怪しい
 よくわからない
 それは私の関心事ではない

などを含めて、特にもっとこの世界に疑問を持とうと思わなかった人は、
現時点で幸せな人生を送っている人なので、多少、これからの
世の中の変化にはついていけない可能性がありますが、
無知を自覚しないで人生を終えるのは、それはそれで幸せです。
私も、できることなら「知らなかった人生」ってのも経験してみたかった
ですが、過去2000年の歴史で今も残っている本だけでも読んでいれば、
どうしても「過去の人類」が後世に引き継ごうとしているものを、
見てしまった以上、無視できないんですよね。


この動画が示す現代科学でわかっている世界観

私の関心事は、周囲には以下のように話すことが多いです。

 脳科学、哲学、宗教、量子物理学、情報理論、認知言語学、AI

一方で、あまり人に話しませんが、実は同程度に調べ続けていることに

 天文学、音楽、生物学、化学、地理、歴史、文化、政治

などがあります。

一見、数が多いように見えますが、実はいずれも、同じことを
知りたいだけ
にすぎません。
それは
 自分とは一体何者なのか
です。

そして、先ほどの動画は、それをよく示しています。
この世界の観察者、つまり「自分」というものが、不思議な存在だ、
というのは「どの学問も突き詰めると」、先ほどの動画の疑問に
たどり着くのが、今の現代科学の限界
だ、ということです。

ただ、先ほどの動画には、物理系以外の話はあまりできませんでしたよね?

というのは、観察から得られることを数学的に解釈したり、意識と
言うものを考えたりするとき、本来なら「それを考えている私」と
いうものが人間である以上、その肉体や感情のことを無視するのは、
不自然なんですが、それだと、ややこしくなるからです。

ここで言う不自然、というのは、いわゆるちょっとしたホルモンバランスや
食べすぎとか遊びすぎてケガする、みたいな「考える」とは一見関係のない行動のことで、数学や情報理論、量子力学の存在とは切り離して説明した
ほうが「動画としては見てもらいやすい」からこうしてるのだと思います。

私の推測では、この動画の作者は、たぶん、
本当はそれは無関係ではないことには気づいている一人
だと思いますが、それを理解している人、例えば私がそれを見たとして、
でもそれを人に勧められるかと言えば、同じジレンマ、つまり
「わかろうとしてない人には、そもそもオカルトにしか聞こえない」
話になってしますからです。

これは、今の経済社会で
 食品業界や医療業界が異常なまでに優位である
という問題も無関係ではありません。
私たちは、いつの間にか
 自分たちが食べるものを自分たちで作る
という部分が隠蔽されているのは感じていると思います。
メディアはもちろん、ネットの世界でも流せばBANされるような
加工食品や薬害の話は、権力によって隠蔽されていることは
うすうすはわかっているでしょう。

ただ、この「加工食品や薬害の問題」は、無知の人には
一定の確率で有用、という利点があるので、私も
「人生をかけてまでそれを無くす」
ということはする気がありません。

例えば、農薬を全く使わなければ、これだけの人口を支える穀物は
生み出せませんし、保存料を使わなければ食品はその日に売り切らないと
いけないので今のようなスーパーに何でもあるという便利な生活は
失われます。

ただ、それはデジタル技術がまだ不十分だったからで、今はこれらを
進化させれば、遺伝子組み換え技術の安全性をあげるとか、
農家と料理が上手な人をネット上でマッチングさせ、好みの野菜と
料理を毎日選んでドローンで届ける、という「前向きな方法」を
人類はいずれ選ぶかもしれません。

少し話がそれたように聞こえるかもしれませんが、今しているお話は、
先ほどの関心事のうち、
 哲学、宗教、地理、歴史、文化、政治
は実は科学の発展を利用していて、これらを学ぶことで、この先
 「自分」を含めた社会をどうするか?
を考えるには、これを学ばないと、社会に影響力を与えられないからです。

数年前まではこの活動に疲れて、
 自分の生活だけよければいいか
とも思ったのですが、周りの若者が、すでに学校教育やメディアから
埋め込まれている洗脳に気がついてないことを目にするようになりました。

そこまではいいのですが、例えば就職した若者が、
 「自分の人生を自分で考えよう」
と思ったとき、そのこころざし、よし、と思って見守っていても
 「その手段の手に入れ方わかっていない」
ということに気がついていない、ということを
結構目の当たりにした、というのも今日の記事のきっかけです。

考えるとは何か

ChatGPTなどの急激な普及で、「考えるとは何なのか」という議論、意見などが世間で目にするようになっていますが、実のところ、
「AIと、考えること」
を紐づけるには、そもそも、AIの存在以前に「考えるとは何か」が定義されていなければなりません。

「考えるとは何か」については、私自身はチューリングの功績を知ってから、現状はこの定義以上の精密さは見つかっておらず、これを超えると
したら先ほどの動画で話題になっている「量子を利用したコンピュータ」の
実用化を待つほかありません。
しかも、やっかいなことに、私たち自身が量子で構成されている存在なので、すでにチューリングの計算機理論では
「絶対にゴールにはたどり着かない」
のは自明です。
ここで言うゴールとは「自分を理解すること」です。


で、今回紹介するのは、こちらの本です。
この本の素晴らしい所は
 実は私たちって、考えていると思っていたのは
  脳の中じゃなく外だったのよ
という説明が、非常にわかりやすい点にあります。

少し、内容に触れます。
まず、単純に脳の外で考える方法、訓練について触れています。
これ自体は私も教え子たちになるべくやってもらっていますが、
歳を取った人ほど、考える行為は脳の中だという勘違いで
溢れています。

詳しくは商品レビューを見てもらいたいですが、目次を一部抜粋すると

体で思考する
感覚を使う
ボディスキャンが内受容感覚を高める
動きを使う
ロールプレイをするだけで学習理解が深まる
科学者はジェスチャーをどう活用しているか
ジェスチャーは外国語の学習にも役に立つ
フラクタル模様を見ると、考える力が上がる
グーグルも気づいていた自然光を浴びる効用
「自分の場所」だと思えるとパフォーマンスが上がる
ムダのないオフィスでは、むしろ生産性が下がる
思考を形にして外に出すと、より壮大な発想ができる
小さなディスプレイを使うと知的能力が枯渇する
ノーベル賞受賞の研究者だって「頭の外」で考える
ビジネスの世界で成果を出すには、まねに徹する
ジョブズだって、最初は模倣からスタートした
仲間と議論することで知性は深まる
教えることは人間の本能にインプットされている
成果を出すには「暗黙知」に精通すること
同調して動くと、人は無意識に協力的になる
一緒にトレーニングを受けると集団志向は高まる
辛いものを一緒に食べると結束力が強くなる

どうでしょう?

余談

「いや、思考は頭の中だよ」
という人、もしそれが可能なら、言語を持たなくても
考えられることになるから、その時点で
 「人間に生まれてきた意味」を見失っている
のですが、多いですよね。なぜか?

私の推測では、あえてそれを国民に教えない選択を
政治が取っているのだろうと私は考えています。

というもの、人類の歴史では、私自身はまだ疑っているところは
いくつかありますが、おおむね哲学の発祥は地中海周辺で、
そこで哲学が盛んで、やがて政治が登場しますが、その論理は
「一部の頭のいい奴が、政治をする」
です。
この考え方は、フランス革命まで常識として続いていたのだから
つまり、「王様は裸だ」と言う人は、必要なかったわけです。

時代の変遷とともに、教育の重要性というのは認知されてきましたが、
それでも最近までは
 学問は男性のものであって、女性は学ぶ必要がない
とされていたのは、つまり「本当の意味で考える」
をされたら困る理由が、政治側にあったと推測されます。
ただ、ここでいう政治と言うのはどの国でも、いつの時代でも、
ではありません。

人は基本的に真似てうまくいくならそのまま真似る、という
逆らい難い性質を持っています。
そのため、それが何世代か続き、第一次世界大戦あたりからは
 そもそもなんでそのやり方でうまく行くんだっけ?
ってことを、だんだん政治家たちも忘れてるふしがあります。

会社で言えば、社内で問題があって、チェックシートを運用したけど、
数年すると形骸化します。それでも
 なんでこのチェックシートがあるんだっけ?
と疑問を持つ人間が現れない限り、見事に継承されるあれと一緒です。

なので、最近は、
 ま、いいんじゃない。みんな、勉強してもらって
って傾向が認められつつありますが、問題は
 なんで勉強不要論を続けていたか
を忘れてしまったため、本当の勉強
 考えるとは何か、その鍛え方
については
 すでに教えられる人がいなくなっていた
のが実態かと思います。

この話の裏は何かと言えば、
 勉強するなと言われた人が、勉強していいよ、と言われたとき、
 その人はそもそも「勉強の目的とは何か?」を理解しているか?

ということには、聞かれなかったので答えなかったのでしょう。
 勉強したい!
という気持ちを
 勉強ができたら目的達成!
にすり替えることで、結局、
 考えるとは何か、その鍛え方
は、教えなくてもだれも文句を言わず、結果的には
 政府が認めたカリキュラムを学ぶ
ことに、多くの人は疑問を持たずに社会に出ているようです。

私は、自分が快適に暮らすことにしか、正直興味が無いです。

でも、
 私に疑問を投げかけてきたら
その人に救いの手を差し伸べることは、します。

でも、
 そのアドバイスを理解するには、勉強が必要です。

私は、この世界を知りたくで、毎日勉強しています。
一緒に勉強してくれる人が少しでも増えてくれたら、
それは私の快適な生活に潤いを与えるものとなります。

しかし、強制はしません。

 本当の無知を知らないで一生を終えるのも、素敵な人生

だと思います。

 本さえ読まなければ、言語を駆使しなければ、考えなくて済みます。


その上で、あえて言います。

 考えるな、感じろ

これは、この

 noteという形式をとったリベラールアーツ

をすべてマスターして初めて理解できる、

名言の一つだと思います。

では、また。



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