教育者って意外と孤独な職業なのかな?!

プライベートスクールでの朝一番目の授業実施後に帰宅道でふと気づきました。

週ごとに決まった学校に行っては指導して、所属先に挨拶に行って、帰宅して授業準備などを一人で進めて、土日は仕事が休みなので家にいたり散歩したり休日を満喫して、次の月曜日にはまた違う学校に行って指導して。
この様な時間を過ごしています。充実はしていると思います。

なんか一人で全部やってね?!って思ったんです。
体育実施時は幼稚園、小学校では担任の先生が補助の立場で協力してくれます。中学校、高校では僕一人で数十人を指導しています。

教育者って結構一人の時間が多いのかな?問題や気づきの共有ってどの程度の頻度で行い、その結果何が変わっているんだろう?日本の学校で働いたことないので知りません。今も学校勤務ではなく、教育機関を管轄している役所の様なところに所属しているので、完全な教員という立場ではなく、アドバイザー的存在なのかもしれません。
職業柄に関係なく、自分の人としてのタイプも影響しているかもしれません。僕は昔から共通の話題や価値観がある人との居心地の良い空間が好きでありながら、その空間が気持ち悪いと思って一人になりたいと思うことがよくありました。
どの程度の共通項を感じて、他者との距離感を調節していくのかが僕にとって重要な人付き合いの条件でもあります。

話を戻します。
何事も一人でやっていることに疑問感を持ちました。
ボランティアって一人でやるもんじゃないよな。一人になる要因もわかっています。例に出すならコニュニケーションしたくてもできない、意見交換が難しいということです。一人でやる方が簡単に物事が進む可能性が高い場合が多い。仮に一人でやるなら圧倒的な実力がないといけないことも知りました。

一人でやることを望んでいるのか、一人になってしまうのか。
他者から見たら同じ行為ですが、主観的に見れば全く違う行為なのです。

難易度というハードルを下げた場合、結果というリターンの規模が小さくなることもわかっています。どちらを取るべきかの正解はないと思います。

僕の価値観の一つに「結果が全て」というものがあります。結果が出なかった人が言うことは全て言い訳に過ぎないとも思っています。
しかし、ボランティア活動って結果を重視しながらも過程をもっと重視するべきなのかと思ってきました。

結果が出た場合の過程の重要性や価値は、後からなんとでも言うことができます。言うなら結果論ってやつです。
ボランティア活動は結果論というよりも結果と過程を同時に重視して進んでいくべきなのかもしれません。

一人でやることをやめて、いい意味で人任せでやってみようと思います。


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