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マダガスカル227日目

手の握力が弱くなってペットボトルの蓋を開けるのに苦労する日になりました。きっとっこの筋肉痛は二日ぐらい続きそうです。実は今もタイピングするだけで疲れますw

高校の体育の授業が急遽なくなり、午前中の約4時間でバスケットコートの整備に取り掛かりました。体育で使うグラウンドから自分の手で作っていくなんて、漫画とドラマの話だと思っていたけど、まさかマダガスカルに来て自分がやってるなんて、不思議な気持ちになりました。

午後は授業がないので家で休みながら作業をしました。

仕事始まって一番の疲労感を感じたのがコート整備って少し笑える話ですよね。マダガスカルの人が使うスコップは日本のとは全然違て、少し使いずらかったです。4時間以上も地面を掘っていたらいつの間にか上達していました。

明日も握力が戻っていたら続きをやろうと思います。
そして、土が少し柔らかくなるようなちょうどいい量の雨が降ることを祈りがら寝ようと思います。

さて仕事の話に戻ります。

今日家に帰って自分が中学生の時代のことを思い出しながら、授業計画を作っていました。

正直中学生時代、特に3年生のある時期は学校に行く理由も特になく、正直いきたくありませんでした。つまらない、途中で帰ろうとする日々が続きました。
誰に相談することもなく、相談したところで大人が言うアドバイスなんて予想ついていました。「しんどいけどかんばれ。」
正直心身は疲れ切っていました。

確かに学校は勉強を、しに行く場所であり、学校が決めたルールに従って動くことを要求され場所です。
学校に所属する学生の立場ってものすごく弱者であり、不自由の中で自由になり、好きなことに励む環境だと思っていました。

そんな過去の経験もあってか、今僕は学校で体育の先生として、ボランティア活動しているけど、生徒に強制して何かをやらす意味がわかりません。やらしたいとも思いません。

体育だってやりたくないなら、やらなければいいと思うし、帰りたいなら帰ればいいと思います。「義務教育だからやらなきゃいけない。」なんて思考停止している人がいう言葉で片付けたいとも思いません。

僕は学生時代に対極の環境を経験しています。

①自分(僕)がやりたいと一ミリも思ってないものを先生に強制され、疲れ果てて、学校に行きたいと思わない日々を送る。
②自分(僕)の意思で県外の学校に行き、強制されない環境で、自分次第の環境で、サッカーと学校生活に力を注ぐ。

どう考えたって後者の環境が好きです。
これらの学生時代の経験が今の教育者の立場になっても大きな影響をもたらしていることに気がつきました。

自分の意思ではなく、他者に強制されたことを続け、結果が出たとしても、それに喜びを見出すことって難しいです。仮にも喜べたとしても、それは人が作った喜びの手段にされているだけです。

逆に、自分の意思で、他者に強制されることなく続け、結果が出ないとしても後悔もなければ、その方が幸せになると思います。自分で目的も目標も、手段も設定できるから。

学校教育は結果が出れば生徒の気持ちは、二の次でいいのかな?
所属する機関、環境、場所によって存在意義や目指す目的もまるっきり違います。結果が一番の環境も僕は大好きです。

僕は先生として、体育の指導者としてマダガスカルの生徒とどのように接するべきなのか分からなくなりました。
それでも、授業はやってきます。僕には責任があります。

閉め方が分からないのでこれで終わります。
明日も思いっきり楽しんで頑張ります。


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