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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第35話)#創作大賞2024

 
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 またあの感覚。
ここで恐怖を直視してしまったら、同じことの繰り返しだ。俺は求肥。ニナは餡。俺は求肥、ニナは……。身体がニナの意識に侵食されてゆくのを感じる。ジワジワと溶けるように、実体が徐々に失われてゆく。

 そのとき、突然雅楽のような幾重にも音の重なり合った空間に、ポンッと投げ出された。そこは以前も感じた時間の感覚が曖昧な場所。丈太郎は必死に正気を取り止めようとする。俺は求肥、ニナは餡、俺は求肥、ニナは餡、俺は……。

 前回はここでニナの記憶が一気に流れ込んできたのだった。恐怖や孤独、痛み苦しみが五感を通して全て自分になった。また来る。来る……! 覚悟を決めるよりも早く、それは一瞬のうちに起こる。だが、今回はそれを眺めている自分もいる。この感覚を逃すまいと、自分が小芝井丈太郎であることだけに全集中を向ける。しばらくすると、突然恐怖が消え、えも言われぬ安堵の波が押し寄せてきた。

 それはまるで、母親の腕の中で眠る乳飲み子のような至福感。個でありながら同時に全てでもあるような不思議な感覚。宇宙の根源を知りつつ、ちっぽけな小芝井丈太郎をも堪能しているような限りない自由。それらすべてが、そこにはあった。

 音がして振り返ると、いつの間にか雅楽の空間から別の場所に切り替わっていた。ここは……。天井から吊り下げられた様々な種類のランプ。シューズボックスにはシダのような観葉植物や、色鮮やかな花々の鉢が置かれている。

 突然響く犬の鳴き声。ハッとして目を凝らすと、像が結ばれ、それがベルであることが認識できる。今、自分はニナの目を通して全てを見ているのだということに気づく。

 玄関に立った男と女。男がおもむろにベルの脇腹を足で蹴った。悲痛な鳴き声をあげてよろめくベル。言葉として聞き知っていたものよりも、視覚で捉える光景は数段衝撃的だ。思わず目を背けたくなった。
「俺はいつだって君の大事なものを壊すことができる。いとも簡単に!」
なんて事するのよ! と悲鳴のような声で掴みかかってきたアンナを払いのけて、男───レイトは叫んだ。イメージしてた通りの痩せ型で神経質そうな目元。

「やれるもんならやってみなさいよ! 絶対後悔させてやる」
そう叫んでいるのはアンナだ。ニナの視界からは後ろ姿しか見えない。もっと穏やかな女の人をイメージしていた。ダボっとした長いスカートを履いて萌え袖でのんびりとミルクティーを飲んでいるような……。

 だが片桐曰く、顔は美少女コンテストの時の妖艶な佐野だと言うし、服装はだいぶ露出度が高い。尻がやっと隠れるくらいのTシャツから突然白い太ももが伸びている。短パン的なものをちゃんと身につけていることを願うばかりだ。

 一方、レイトは紺のジャケットとスラックスというかしこまったいでたちだった。手には薔薇の花束と小箱のようなものを抱えていたが、突然それを玄関に叩きつけた。箱の蓋が開いて、中身が飛び出す。革製のキーホルダーだ。見たことのない刻印のようなものが見えた。

「あんた、重いのよ!」
アンナがキーホルダーを踏みつける。男の表情が見る見る歪んでいき、次の瞬間傘立てからチェック柄の傘を引き抜いていた。それをベルに向かって振り下ろす。
「やめて!」
咄嗟にアンナが庇う。二度、三度と振り下ろされるのを必死に掴むも、引っ張り合いのような形になり、次の瞬間には尖った先端がアンナの脇腹に直撃していた。

 空気が凍りつく。我に返ったレイトがガクガクと身体を震わせ、傘から手を離す。痛い、痛いと力なく訴えるアンナの声。
「病院……。病院に行こう!」
半分パニック状態のレイトは、アンナを抱き抱え玄関を出てゆく。寂しそうにクーンクーンと喉を鳴らしながら、ベルがその後を追いかける。そして、ずっと固定されていた丈太郎の視点が動き出す。 
 ───ニナはここで待ってるんだ!
振り返ったベルが叫んでいた。

 突然体ごと別の空間に投げ出されたような圧を受け、上下が反転した。振り返るとそこにはアンナの家の隣人、午前中に佐野に絡んできた酔っ払いの平坂が立っている。
「犬うるせえんだよ!」
充血した目をカッと見開き、狂気じみた声を出す。

 床に寝転んでいたと思しきニナがサッと体を起こし、お気に入り椅子の上に移動するのが分かった。
「あんたんちの犬もうるさいわよ! お互い様でしょ」
玄関口で大声で言い返すアンナ。服装が先ほどと違っている。ジーンズに上は肩の出たオフショルダー。

「てめえの犬が鳴くからつられて鳴くんだよ! おかげでこっちは一睡もできやしない!」
「そんなの私に関係ないでしょ!」
グイグイと平坂の肩を押して追い出すと、すごい勢いで玄関の鍵を閉めた。平坂は外でまだ怒鳴っていた。それを無視し、こちらに近づいてくるアンナ。初めて顔を見た。確かに美少女コンテストのときの佐野と似ていたが、こちらはやや化粧が濃い。

 抱き上げられたのが分かった。鼻を刺激する酒と香水の香り。もしかしたら、アンナは夜の仕事をしていたのだろうか。
「どいつもこいつも……」
そう呟きながら、アンナは目を濡らしていた。

 また場面が変わる。今度はリビングだ。夜なのか、カーテンが閉められている。間接照明の役割である無数のランプは一つも付いておらず、やや冷たい感じのする蛍光灯の下にアンナと大家がソファに肩を並べるように座っている。

 丈太郎は自分の身体───ニナの身体が、柔らかいもので包まれているのを感じた。青いシートのかかったソファの上で、自分はベルの腕の中にいた。心地いいという言葉がしっくりくる。

 だが次の瞬間、アンナの不機嫌な声に意識が持っていかれる。
「約束が違う!」
約束? アンナと大家はなんの約束をしていたのだろう。
「触らせたら今月の家賃なしにするって言ったの誰よ!」
うわっ、なんだよ……。丈太郎は一瞬のうちに背筋が寒くなった。なんかこの先の展開、見たくないな。だが、緊迫した空気を察知したニナの視線は逸れてくれない。

「色々考えたんだよ俺も。こんなこと条件にして家賃もらわないなんて、人として恥ずかしいんじゃないかって。で、自分の胸に手を押し当てて心の声を聞いてみた。そうしたらあんたの顔を思い出すたびにこう……身体が熱くなって息苦しくなってくるんだよな。だからさ───」
大家の手がアンナの胸の辺りに伸びてゆく。
「気持ち悪い!」
アンナが勢いよく立ち上がり、顔を赤らめた大家の腕を引っ張って家から追い出そうとする。

 その様子にただならぬものを感じたのか、ベルが吠える。丈太郎の身体はゴロンッと床に落ち、また場面が変わった。

───ニナ、戻れ! ちゃんと家で待ってるんだ
これは、さっきの続きだ。レイトが出血しているアンナを車に乗せて遠ざかってゆく。ベルの身体も徐々に小さくなって……。
───お願いだ、ニナ! 僕は必ず戻ってくるから!
しかし、ニナは足を止めない。身体が空洞のようになっていて、そこにニナの声が反響して聞こえた。
───置いてかないで、ベル。私をひとりにしないで!

「私をひとりにしないで……」
自分の唇が動いている感覚にハッと我に返った。顔を上げると、片桐、佐野、山本さんが丈太郎を覗き込んでいた。
「戻ってきた!」
佐野が安堵の声を上げて肩に腕を回してくる。丈太郎の身体はソファの上にあった。

「あれ……」
鼻先に僅かにマグロフレークのような匂いがある。
「丈太郎くん、ごめんなさい。この時間ニナはいつもお昼ご飯を食べてて……。催促されるがままにカリカリをあげちゃった」
山本さんが申し訳なさそうに言う。
「変則的なことをして丈太郎が戻れなくなると大変だから、みんなで判断した」
と佐野。

「いや、むしろ良かったよ。ニナの情報量多すぎてちょっと疲れてきてたから。カリカリのおかげでいいタイミングで戻ってこれた」
丈太郎は頭の後ろで両手を組むと背中をグッと伸ばした。
「無事帰ってきてくれてよかった」
みんなの目には心からの安堵が広がっていた。

 カリカリを食べ終えたニナがジッとこちらを見て、ニャーンとか細い声をあげる。おいでと手を伸ばすと、トコトコと歩いてきて指先に顔を擦りつけてきた。
やばっ……。超可愛い。
「ニナ、警戒心なくなっちゃったのね」
山本さんが感心したようにニッコリする。
「俺たち、今まで融合してたんで」
丈太郎は誇らしい気持ちになった。もしかしたら、俺がニナの記憶の一部を見ていたように、あの瞬間、ニナも俺の記憶にアクセスしていたのかもしれないな。ふとそんなことを思う。

「お昼も過ぎたし、なんか腹へったな」
佐野の一言を合図に丈太郎の腹の虫も鳴る。また山本さんがなにか作ってくれることになった。しばらくして出てきたのはキャベツの千切りの上に乗った大量の鶏の唐揚げだった。
「ごめんなさい。今日は手抜き」
申し訳なさそうに言う山本さんとは逆に、丈太郎たちの目はキラキラと輝く。

「匂いだけで白飯いけます!」
市販の安い唐揚げ粉でサッと揚げただけの唐揚げを褒められて、山本さんは困惑していたが、丈太郎たちが美味しそうに頬張るのを見ると、幸せそうに頬を緩めた。



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