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【ファンタジー小説部門】ぜんぶ、佐野くんのせい(第18話)#創作大賞2024


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 しばらくしてから再びジンのもとに行くと、同じ姿勢のまま同じ場所にいた。
「先輩、なんか視えます?」
ここに来ると、なぜか声を潜める丈太郎。

 片桐は切り替えスイッチをオンにした。と同時に、わっ! と思わず声を上げてしまった。
「どうしたんですか? なにかいるんですか?!」
片桐の声に驚いたのか、丈太郎がビクッと肩を上げて腕にしがみついてきた。え?! い、いるんですか? と声が震え出す。

「丈太郎、腕痛いって。爪!」
「あ、ああ。すんません」
と言いながら、まだ片桐の腕にまとわりついている。
「なんなんですか?! お化け?」
「うん……」
片桐はごくりと唾を飲み込む。
「多分、そう」

 ジンの背後にいたのは人間だった。黒髪のショートボブでやや痩せ型。切れ長の二重まぶたが印象的な若い女の人だ。誰かに似ているような気がしたが、思い出せなかった。

 つい声を上げてしまったのは、動物に憑いている人間の霊を初めて見たからだ。片桐自身、道端を彷徨いている野良猫くらいしか見たことがないから確かなことは言えないが、動物にも何かしら憑いているのは感覚で分かる。

 しかし、今までしっかりと像を結ぶことは稀だった。ユキネちゃんやディッキーのように、長いこと人間と過ごしている犬猫だと輪郭を持った光の綿毛のように視えることがあるが、それが動物霊である限り、映像として認識することはできない。

 逆のパターン……。
人間が、動物に。
「先輩?」
腕を揺すられ、片桐は我に返る。

「女の人が憑いてる。短い髪のほっそりしたきれいな人」
女の霊、と聞いただけで怖気走ったのか、また丈太郎の爪が食い込んできた。
「そ、その人の名前とか、分かんないんですか?」
「僕は視えるだけ。会話はできない」
汗ばみ始めた丈太郎の手を払いながら、片桐は言った。

「あとはジンに聞いてみるしかないよ。ここからは丈太郎の出番」
「で、でも。ジン、俺には全然心を開いてくれないから……」
「アンナかもしれない……って言ってみたら?」
片桐は一通り丈太郎から聞いていた話を思い出す。

 丈太郎が自分の能力に気づいたのは、ジンの心の声をキャッチしたのがきっかけだったこと。アンナという名前の人物がジンの飼い主かもしれないこと。なにかの理由でジンは深く心を閉ざしていること。

「アンナ、かもしれないんですか?」
「それは分からないよ。でも、動物に人間の霊が憑いているって……よっぽどのことがあるんだと思わない?」
「そんな……」
丈太郎の心の動きが手に取るように分かる。光の膜が膨張したり縮んだり、触手のように急に伸びたりしている。

「なんか、残酷すぎません?」
「でも、言わなきゃ前には進めない。ジンの心を開きたいなら覚悟を決めなきゃ」
強い調子で言うと、丈太郎はやがて踏ん切りがついたように一言「分かりました」と言った。


 帰りのバスの中で、丈太郎は窓の外を眺めたまま一言も言葉を発しなかった。片桐は声をかける勇気が出ず、ただそばに座っているだけで精一杯だった。

 こういうとき、佐野ならなんて言うんだろう。幼馴染の佐野なら、傷ついている丈太郎を明るく慰めることができるのかな。片桐は自分の不甲斐なさに嫌気がさす。なにも言葉が浮かんでこない。

 あのとき、前足に顔を乗せて固く目を閉じているジンに、丈太郎は優しく声をかけた。頭を撫でるとジンはゆっくりと顔を上げた。そこから先の出来事は、片桐にも視ることができた。

 丈太郎の額のあたりから光の触手のようなものが伸び、それに反応するようにジンの体からも灰色の煙のようなものが出てきた。しかし、ジンのほうは触手に絡め取られそうになるのを阻むように何度もうねって、なかなか捕えられない。

「ジン!」と丈太郎は思わずといった感じで声を上げたが、それでもジンの心は頑なだった。見ていると、さらに丈太郎の額の触手が太く大きくなった。いつもならこういうとき、丈太郎の光のエネルギーは四方八方に弾けて、近くにいると片桐はあまりのエネルギー量に吐き気に見舞われるが、あのときはまるでコントロールできているかのように、丈太郎の光は真っ直ぐにジンに向かって伸びていた。

 静かな駆け引きの末、ようやくジンを捕らえた。丈太郎は伝える言葉を慎重に選んでいるようだった。しばらくするとジンが体を起こした。

 ワンッ! ワンッ! ワンッ! と興奮したように鳴いたときは、一瞬襲い掛かられるのではないかとびっくりしたが、その声がやがて悲痛な呻き声のようになった。永遠に続くかと思われるその声は、ただ見守ることしかできない片桐が聞いていても、胸が痛くなるほどだった。

 しばらくすると、丈太郎はジンを力強く抱きしめた。顔が被毛に埋もれている。やがて顔を上げた丈太郎だったが、その目は赤く濡れていた。

「先輩。ベルがやっと心を開いてくれました」
鼻を啜りながら丈太郎は言った。
「ベル?」
「こいつの名前、ベルって言うらしいです。ジンゴロウじゃないって」
「そっか」
「先輩、本当にありがとうございます。先輩のおかげです」
「僕は別になにも……」
「なんか俺、ちょっと心の整理がつかなくて。こいつがどんな思いでここにいるのかとか考えたら、すごく辛くて……」
そう言うと、丈太郎は大きく息を吐いた。

 アンナのこととか、俺の気持ちがもう少し落ち着いたらちゃんと先輩にも説明します。そう言ったきり、丈太郎は口を開かなかった。

 図書館前のバス停で降り、片桐の乗るバスが到着するまでの間、丈太郎も一緒に待っていてくれた。西の空は茜色に染まり、オレンジ色と紫色を織り合わせたようなうろこ雲が広がっている。いつもなら幻想的だと思う空だが、今日はやけに毒々しく感じられる。

「先輩の好きな空」
ぼそっと丈太郎が言った。片桐はうん、と頷き背中のリュックから一眼レフを取り出した。
「上手く撮れるかな」
「空」は片桐が好む被写体だった。いつの間にか空と言えば片桐部長、という暗黙の了解が出来上がっている。

 今まで一度として納得のいく空を撮れたことがなかった。シャッターを切るほんの一瞬、自分でも感知できるかできないかの迷いが生じることに、片桐は気づいている。それはおそらく「瞬間」を切り取ることへの畏れ───。

 丈太郎のような見るものの胸を打つ写真も、H高の山本さんのように肉体美をとことん追求した写真も、自分には撮れない。漠然とそう思っていた。だが、なぜか今日はすべてがうまくいきそうな気がした。

 身体中の毛穴が沸々と湧き立つ感覚。空に吸い寄せられ、束の間その一部になったかのような不思議な一体感。そこにあるのはただ「今この瞬間」のみだった。

パシャッ!

 シャッター音が軽快に鳴り響く。
「見せてください」
丈太郎が肩を寄せてくる。
一緒に液晶モニターを覗く。
「いいですね」
「うん。いいね」
お互い顔を合わせ、力なく微笑む。

 向こうからバスが近づいてくるのが見える。
しばらくすると、丈太郎が言いづらそうに口を開いた。
「俺、もしかしたら先輩にすごく迷惑をかけることになるかも……」
「迷惑?」
「ベルのことで協力してもらった手前、先輩にはちゃんと説明しなきゃと思ってたんですが、もし先輩が許してくれるなら、今日の出来事はスパッと忘れてください!」
「え?」
バスが停まる。問い詰めようと思ったが、そうこうしているうちに扉が開く。

 なにがなんだか分からないまま、足はバスのステップにかかっている。
「とりあえず、後でゆっくり話そう!」
片桐はそう言うのが精一杯だった。目の前で扉が閉まる。スウエットパンツのポケットに左手を突っ込んで、丈太郎が右手を肩の位置で振っていた。

 ここまで連れてきたくせに。なに言ってるんだ……。
モヤモヤした感情が込み上げてくる。片桐は一番後ろの座席に腰を下ろすと、窓を振り返って小さくなっていく丈太郎を睨みつけた。

「もう、僕に迷いはないよ」
そう呟きながらカメラを構える。さっきよりも暗く一層不気味なうろこ雲の下に、無駄に発光した丈太郎がいた。

 シャッターを押しながら、なぜかその滑稽な光景に笑いが込み上げてきて止まらなくなった。誰も乗っていなくてよかったと心から思った。


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