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「ウォッチ!今何時?小沢健二」〜オザケンの新木場ライブで感じたこと〜

僕が去年まで所属していたサークルでは、奇妙な文化があった。

毎週水曜日にサークルの会議が終わると、大学から一番近い居酒屋に向かいビールを飲むのがいつものルーティーンだったのが、飲み会が終わる時間になるとどこからともなく、こんな声が響くのだ。

「ウォッチ!今何時?小沢健二〜〜〜」と。

そうすると居酒屋に残っているサークルのメンバーたちが「今夜はブギー・バック」を歌いだす。頭サビだけでなく、スチャダラパーのラップパートも、だ。そして「ビールで一気に流し込み」というBoseのバースの部分でグラスを高く揚げて、粛々と残ったビールを飲む。残っているビールがなくなると、わさわさとサークル員は居酒屋を立ち去っていく。

せっかく頼んだお酒を残して帰るのは、居酒屋に対して失礼。だったら残っている人で飲んでから帰ろう、というのは飲み会のマナーの一つである。酔っ払うだけ酔っ払って、ビールを残して帰る輩を、僕は許さない。

いや、こんな話をしたいのではない。

僕が不思議に思うのは、小沢健二とスチャダラパーが25年前に生み出した日本語ヒップホップの名曲が、このような形で今も歌われている、ということだ。しかも、よくよく聞くとサークルでこのような慣習が生まれたのは、ここ数年だという。

「今夜はブギー・バック」は2010年代においても、ポピュラーかつ新鮮に響くアンセムであり続け、僕たちの生活や街に、馴染んでいる。

そういえば「今夜はブギー・バック」が2010年代にリバイバルしたきっかけは、確かBEAMESの40周年PVだっけ。

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「今夜はブギー・バック」に限らず、1994年〜1995年にかけての小沢健二の楽曲は、至るところでカバーされている。

僕が小沢健二を知ったきっかけはフジファブリックがカバーした「僕らが旅に出る理由」と、でんぱ組.incによる「強い気持ち・強い愛」だったりする。

他にもハナレグミや大橋トリオ(と倖田來未)がカバーした「ラブリー」や、ポカリのCMに使われた「さよならなんて云えないよ(美しさ)」など、気づいたらオザケンの楽曲は日本のスタンダードナンバーになりつつある。

それはひとえに、小沢健二が生み出した言葉とメロディの普遍性によるものだろう。彼の音楽は、どんな形で歌われようがポップで美しい。それが夜11時の居酒屋であっても、だ。

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2019年11月11日、新木場スタジオコーストのステージに降り立った小沢健二は冒頭、エイトビートのリズムとベースラインをバックにこんなことを言った。

「楽曲はリスナーに届けられることで完成する。だから、歌詞を書くということは、種を蒔くことである。」

そうして彼は、新曲である「薫る(労働と学業)」のサビの歌詞を読み上げた。

「このサビに入るためには、エイトビートのハンドクラップが必要だ。だから、みんなに、このハンドクラップをやって欲しい。例外は存在しない。」

そんな言葉を繰り返し、繰り返し、言いながら彼はまだ誰も聴いたことのなかった「薫る(労働と学業)」の言葉を蒔いた。それは、人間の日々の営為と生きる中で生まれる矛盾を、どこか俯瞰的に肯定する言葉だった。そして、緩やかなグルーヴの中で届けられる歌詞の合間に手拍子させることで、「薫る」はリスナーにとっての生活の歌になっていった。

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9年前、小沢健二の13年ぶりのツアーで、モノローグを披露した。その中の一編で、彼はこのような言葉を残した。

「この街の大衆音楽であることを、誇りに思います」

1998年に日本の音楽シーンから去った小沢健二は、大衆音楽から遠く離れようとしていた。彼はニューヨークの地で自分の新たなグルーヴと言葉を追求し(2002年『Eclectic』)、さらには世界中を放浪しながら見たことのない風景を見ながら、言葉がない音楽(2006年『毎日の環境学』)と、音楽がない言葉(2005年〜『うさぎ!』)で、それを記録した。

そうした営みの中で培った言葉を、2010年代の小沢健二は再び大衆音楽として蒔こうとしていた。

その結実が、新曲を7曲携えてライブハウスを回った2016年の「魔法的ツアー」と2017年のフジロックであった。彼は自分の歌詞をモニターに表示しながら、リスナーを歌わせ、踊らせていた。新しい曲も、古い曲も、気がついたら声と体で自然と生活に馴染んでいった。

余談だけど僕は、2018年に「流動体について」に影響されて「選ぶ」というタイトルのフリーペーパーを作った。彼が新たに届けた言葉は、なんとも不思議な形で発芽したのである。

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そして時は2019年。

新木場スタジオコーストの小沢健二は、これまでにないほどにオーディエンスに歌わせていた。

1990年代から歌われている「僕らが旅に出る理由」も、「ラブリー」も、「痛快ウキウキ通り」も。そして2010年代に生まれた「フクロウの声が聴こえる」も、「シナモン(都市と家庭)」も、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」も。

4ピースのバンド編成によるシンプルでパンキッシュな演奏は、メロディと言葉を届けるにはうってつけだった。

声が裏がえろうが、演奏がヨレようが、そんなことを気にする素振りもなく、オザケンは、ひたすらに歌わせ、手拍子を煽り、踊らせていた。半ば強制的に、オーディンエスに能動的な参加を促すことで、過剰なほどに自分の「うた」を共有していようとしていたのである。

そして何度も何度も「彗星」を観客に歌わせた末に、小沢健二は「日常に帰ろう」と宣言してステージを去った。

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明日には、歌モノの作品としては17年ぶりのアルバム『So Kakkoii 宇宙』がリリースされる。これをもって彼は、本当の意味で「この街の大衆音楽」に戻ってきたのだと思う。小沢健二が蒔く言葉とメロディが、どう2020を迎える世の中に発芽するのか。それをただ、見てみたい。


<今日の一曲>

「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」小沢健二

「この会場に来られなかった人のために」と言って演奏した一曲。

きっと彼が本当に言いたいのは「小沢君インタビューとかでは本当のこと言ってないじゃない」という部分。

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